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戦国昆虫戦記 ―浅井家の長男は、脳内の【昆虫研究家 時任】と乱世を歩む。~名は「まんぷく」なのに、知識の代償は「はらぺこ」でした~  作者: つんしー
第四章 甲賀開拓編 〜不浄の富と禁忌の技術〜

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第三十一話 鵜飼一族と、禁忌の血脈

 天正三年(一五七五年)五月

 甲賀の山々に、湿り気を帯びた初夏の風が吹き抜ける。かつて不浄の臭いが立ち込めていた汚物処理の窪地は、今や万福丸の手によって、莫大な富を生み出す巨大な「工房」へと変貌していた。その窪地を見下ろす高台に建つ質素な屋敷の広間に、冴衣が数人の男たちを連れて現れた。


 連れられた男たちの身なりは、目を覆いたくなるほどに荒廃していた。継ぎ接ぎだらけの着物は泥と煤に汚れ、頬は削げ、その眼窩は深く落ち込んでいる。しかし、彼らの指先には消えることのない硝煙の匂いが染み付き、その眼光には、野生の獣にも似た鋭利な忍びの気配が宿っていた。

 一五七二年までの激戦――元亀の騒乱。その渦中で拠点を叩き潰され、領地を持つ「武士」という立場から脱落した、鵜飼一族の生き残りであった。


「……万福丸。あたしの散り散りになった一族を探し当てて、連れてきたんだ」

 冴衣は畳に膝をつき、いつもの不敵な態度を消して深く頭を下げた。

「あんたがこの里の実権を握った今なら、もう一度、あたしたち一族が甲賀で共に生きられるかもしれない。……頼む、この者たちを召し抱えてやってくれないか。火薬と隠密の技は、必ずあんたの役に立つ」


「……冴衣、お主の一族は、なぜこれほどまで散り散りになり果てたのだ。火薬を扱う腕は随一と聞くが」


「簡単な話さ。あたしたちは『負けた』んだよ。拠点を失い、土を奪われりゃ、武士なんてのはただの野良犬に成り下がる。……でもね、あたしたちは滅びるのだけは拒否した。土地っていう重たい鎖を捨てて、代わりに火薬と隠密の技だけを背負って、影の中へ逃げ込んだのさ。そうでもしなきゃ、喰っていけなかった。土地を捨てたあたしたちは、特定の主君を持たぬ、ただの技能集団になったのさ」


 冴衣は懐から火打ち石を取り出し、指先で弄んだ。その仕草には、どこか危うい情緒が漂う。

「掟に縛られて腐るくらいなら、あんたみたいな『狂った餓鬼』に賭けてみたくなったんだよ」


「影を生きるか。……お主らのその『軽さ』、今のわしには頼もしい。しかし、冴衣。一族が土地を捨てた経緯は分かった。だが、お主が『放たれ(追放者)』となったのは、それとは別の理由であろう。それはどういう意味だ?」


 冴衣は不敵な笑みを消し、口を噤んだ。その代わりに、闇に控えていた鵜飼の長老が静かに進み出た。


「若様、その先は、老骨からお話しいたしましょう。……我ら忍びの里において、血筋と出自は何よりも重き『禁忌』にございます。冴衣は……ある高貴なお方の落胤らくいんとして、この世に生を受けました」


 万福丸は、眉を微かに動かした。長老の声には、消し去れぬ悔恨が混じっていた。

「我ら鵜飼は、血統を重視するがゆえ、彼女を『異物』として扱ったのでございます。一族の調和を乱し、戦の火種となりかねぬ『災いを呼ぶ子』として……。里を守るため、火種となる『高貴な血』を切り離す他なかったのでございます。ゆえに彼女は氏を奪われ、名も消され、里から永久に放逐されました。それが、彼女が自らを『放たれ』と呼ぶ理由にございます」


「……異物、か。ならば好都合よ。わし自身、この里にとっては異物でしかない。災いを呼ぶ子同士、仲良くやろうではないか」


「万福丸、……本気なのかい?」


「わしは嘘は嫌いじゃ。血筋などという目に見えぬ鎖に縛られたい奴らには、勝手に言わせておけ。わしが認めるのは、わしのために火薬を練り、わしの影となって走る、目の前の『当主』だけじゃ。……冴衣、顔を上げよ」


「……へっ、つくづく嫌な餓鬼だね、あんたは」

 冴衣は乱暴に袖で目を拭い、不敵な笑みを、少しだけ震える唇に貼り付けた。


 万福丸は無言で立ち上がり、平伏する男たちの背後にあるものを視線で示した。そこには、昨冬の余剰米を収めた俵と、時任の知識を借りて加工された干し肉の山が積まれている。

 土地を奪われ、飢えに喘ぎながら流浪の徒へと身を落とした彼らにとって、目の前の米と肉こそが、失われた領地や誇りよりも切実な「生きるための正解」であった。男たちの喉が、無意識に鳴る。万福丸はその生理的な反応を、冷めた目で見つめていた。


(……土地に縛られぬ『技の切り売り』か。つまりは、主家を選ばぬ職人としての忍び。なればこそ、忠義よりも利に忠実だ。扱いやすいこと、この上ない。胃袋を満たすという生存本能を握っている限り、この者たちは裏切らぬ)


「今日より、鵜飼の一族をわしの直属とする。冴衣が堺から仕入れてくるあの虫……そこからわしが抽出する『甲賀の緋色』と『甲賀の光沢セラック』。この二つの稼ぎがあれば、一族全員を養って余りある食い扶持は約束しよう。その代わり、お前たちの持つ火薬の調合、そして鉄砲の技。これからはすべてわしのために使え」


 万福丸の足元には、冴衣が堺の商人から捨て値で買い叩いてきた『紫鉱(ラックカイガラムシが寄生した枝)』の詰まった木箱が並んでいる。この虫の塊は、莫大な富を生む「極上の赤い染料」となるだけでなく、同時に漆を越える防水性を持つ「セラック樹脂」をも分泌する。火薬の防湿や雨天時の鉄砲の防護塗装に転用できる貴重な軍需物資だ。万福丸は、堺から流れ着いたたった一種の虫から金と力の両方を搾り取り、忍びたちの生存を支配しようとしていた。


「だが、わしは忙しい。鵜飼の指揮はすべて、この冴衣に委ねる。……これより、冴衣を鵜飼の「当主」として認めよ。異存はないな?」


 万福丸の言葉に、長老たちは震える肩を寄せ合った。かつて里の古い掟に縛られ、守りきれなかった娘を「当主」として担ぎ上げる少年の合理的な采配に、彼らは言葉にならない感涙を滲ませた。


 その光景を見つめていた冴衣は、いつもの悪態を飲み込み、ぽつりと一言だけ、絞り出すように呟いた。

「……ありがとよ」

 それは、一族を救われ、自らも本当の居場所を取り戻した「放たれ」からの、不器用で、しかし真摯な感謝の言葉であった。


第四章の第一話です。

冴衣の出自が少し判明しましたね。回収は、もっと後になりますが。


居場所も取り戻した冴衣を、応援してやろうと思って下さいましたら、

ブクマ⭐️評価、どうか宜しくお願いします。


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