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戦国昆虫戦記 ―浅井家の長男は、脳内の【昆虫研究家 時任】と乱世を歩む。~名は「まんぷく」なのに、知識の代償は「はらぺこ」でした~  作者: つんしー
第三章 甲賀泥底編 〜生き残りと価値の証明〜

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第二十四話 山の神の薬と、陸のエビ

 天正元年(一五七三年)十一月、初冬。

 甲賀の隠れ里を囲む裏山には、乾いた枯れ葉を踏む音とともに、情けない腹の虫の音が響いていた。

 万福丸は、木漏れ日の下で大木の根元に力なく座り込み、虚空を睨みつけた。九歳の成長期、それも潜伏生活の乏しい食糧事情では、常に腹の底に冷たい穴が開いているような感覚が拭えない。


(……時任、おぬしのせいだ。妙な知恵を絞り出すたびに、わしの身体は戦に負けた後のように干上がっていく……。九歳の子供を餓死させる気か、この外道め!)

 ――「人聞きが悪いな、万福丸。腹が鳴っているのは単純な燃料不足だ。帝国大学の講義だって、腹が減っては頭に入らん。……いいか、お前のエンジンを回し、かつ、この里の食糧難を抜本的に解決する手段を授けてやる。覚悟しろよ」

(……これ以上減るというのか! だが、このままでは餓死を待つのみだ。教えろ、時任! わしをこの飢えから救ってみせろ!)


 ――「よろしい。まずは『脂質』の確保だ。あの腐葉土に群れる甲虫の分布を見ろ。特定の昆虫の密度と移動経路を地図に重ね、そこから逆算すれば……猪の回遊ルートはここだ。高虎に、あそこの隘路に罠を張らせろ」

 万福丸の脳内に、時任の「昆虫生態学から導き出した最短の獣道」という知見が、暴力的なまでの情報量で流し込まれた。

「……っ! ぐ、うぅう……ッ!」

 瞬間、ただでさえ空っぽだった万福丸の胃が、目に見えぬ手に雑巾のように絞られる感覚に襲われた。凄まじい飢餓感が全身の毛穴から脂汗を噴き出させ、視界がチカチカと明滅する。知識の代償――それは、もともと乏しかった幼い身体の蓄えを、根こそぎ燃料として燃やし尽くす過酷な支払いだった。


「若様!? 顔色が真っ青ではございませぬか!」

 駆け寄る喜三郎の肩を、万福丸は震える手で掴んだ。

「……喜三郎、騒ぐな。……高虎、いるか」

「ここに」

 影の中から、藤堂高虎が音もなく姿を現す。

「……あの、枯れ木の根元……。あそこに、罠を張るがよい。……山の神が、あそこに、肉を追い込んで……くださる……」


 万福丸が脂汗を流しながら指し示した場所は、一見すれば何の変哲もない急斜面だった。だが、高虎の眼光が鋭く光る。

(……なるほど。あそこは風下で、かつ逃げ場のない隘路。若様は地を這う虫の動きや土の匂いから、山の獣の配置を逆算しておられるのか……。なんと恐ろしき算盤か)

 高虎は主君の「異常な知覚」に戦慄し、即座に動いた。一方で喜三郎は、力なく崩れ落ちる万福丸を抱きかかえ、感極まった声を上げる。

「若様……! 里の民の飢えを救うため、自ら身を削ってまで肉の在処を占われるとは……! なんと慈悲深き御心か!」

(……いや、こいつ単に腹が減って倒れそうなだけだがな)

 脳内の時任が吐き捨てるようにツッコミを入れたが、喜三郎の耳には届かない。万福丸は遠のく意識の中で、「肉……肉を……」とうわ言を漏らすのが精一杯だった。


その光景を、遠く離れた梢の中から、息を殺して見つめる影があった。虫の動きから獣の道を逆算する異常な理――。影は、飢えに喘ぐ稚児の背中へ、深い戦慄の視線を静かに向けていた。


 数刻後。高虎の仕掛けた罠に、巨躯の猪が面白いようにかかった。

 里の広場では、たちまち香ばしい脂の匂いが立ち込める。だが、解体された獲物を囲む里人たちの顔には、期待よりも戸惑いが勝っていた。

「……猪を食うのか? 四足の肉など、穢れが伝染るのでは……」

 当時の戦国日本において、獣肉食は「薬」として例外的に扱われることはあっても、日常の食事としては忌避される風潮が強い。ましてや、血や死を忌む農民たちにとって、四足歩行の獣を堂々と食らうことは心理的な抵抗が大きかった。

 だが、万福丸は滴る猪の脂を指で拭い、里人たちを一喝した。


「穢れが何だ! 飢えて死ねば浅井の再興も、仏の加護もなかろう! これは山の神が我らに授けた『薬』である! 疑う者は、この肉を食う資格はない!」

 九歳の子供とは思えぬ凄みに、里人たちは気圧され、恐る恐る肉を口にした。滴る脂の旨味は、彼らの理性を一瞬で粉砕し、広場には獣のように肉を啜る音が満ちた。


 猪の脂と肉で万福丸の胃もようやく落ち着き、身体の震えが収まっていく。だが、時任の冷徹な声が再び脳内に響いた。

 ――「さて、当座の燃料代わりにはなったか。だが猪一頭だけでは、里全員の冬は越せない。真の救済は、この『小さき隣人』たちにあるぞ」

 万福丸の視線の先にあるのは、時任の指示に従って彼自身が高虎や里の子供たちに命じて集めさせていた竹籠。その中で、ガサガサと蠢く無数のコオロギだった。秋の終わりに大量発生する彼らは、手付かずのタンパク源の宝庫である。


「……待て。時任、それは……まさか……」

 ――「まずは鍋で乾煎りにしろ。生では寄生虫の危険がある。熱を通すことで雑菌が死に、外殻のキチン質がアミノ酸と反応し、エビやカニの殻を焼いた時と全く同じ香ばしい匂いを放つようになる。これをメイラード反応という。それを粉にしてしまえば形は分からん」


「……っ、が、あぁ……ッ!」

 時任の容赦ない『化学ばけがく』の講義が脳を駆け巡った瞬間、万福丸は再び激しい眩暈に襲われ、その場に膝をついた。先ほど食らったばかりの猪の脂と肉が、凄まじい速度で『知識の代償』として胃袋から燃やし尽くされていく感覚。

(……おのれ、時任……! あの旨かった猪の肉は、この気色悪い虫の調理法を知るための、ただのたきぎに過ぎなかったというのか……ッ!)


 ――「その通りだ。腹も減っただろう? さあ、神が設計した完全食、コオロギ粉末を作るぞ。今度は人たらしのお前の出番だ」


 万福丸は脂汗を拭い、再び鳥肌を全身に立てながら、熱せられてピチピチと跳ねるコオロギを涙目で鍋の中で乾煎りし始めた。

「ひぃぃ……ッ! 跳ねるな、こっちを見るな……ッ!」

(……わしは、わしは負けぬぞ……! 虫など……虫などに……!)

 パチパチとはぜる音と共に、甲殻類を炙ったような極上の香ばしい匂いが立ち上る。万福丸は息を止めながらそれを石臼で挽き、細かい粉末に変えていった。


 粉末になった「それ」を粟と稗の雑炊に混ぜ、万福丸は里人たちの前に立った。その顔には、引きつりながらも完璧な「慈愛の微笑」が張り付いている。

「皆の者、聞け! これは南蛮の地より伝わりし、伝説の稀少な粉……『陸のエビ』である! 猪の肉で穢れを払い、この粉で身体にさらなる霊力を宿すのだ!」

 里人たちは、その見事なまでにエビそっくりな香ばしい匂いに誘われ、次々と雑炊を啜った。

「おお……! 本当にエビのような味がするぞ!」

「山の奥深くで、海の恵みが味わえるとは……! この御方、本当に神の知識を授かっておられるのかもしれぬ……!」

 まだ「若様」と呼ぶには距離があるが、里人たちの瞳には、万福丸への明らかな「畏怖」と「期待」が宿り始めていた。


 その光景を、柱に寄りかかった冴衣が冷ややかな視線で見つめていた。

「……あんた、息をするように嘘をつくね。あれ、ただの虫の粉だろ?」


 万福丸は、冴衣の鋭い視線を正面から受け流し、震える手で自らもその雑炊を掬い上げた。

「……虫ではない。エビだ。わしがそう決めたのだ……っ!」

 万福丸は涙を浮かべながら、その「陸のエビ」を喉に流し込んだ。

「う、美味い……! まさに、陸のエビ……っ! げふっ」


 トラウマで悶絶し、うっすらと涙を流しながらも完食する主君の姿。

 それを見た高虎は、「万福丸様が自らエビの祝福を……泥を啜るどころか、虫をエビと言い換えて万民を統率する。なんと強固な意志か」と畏怖を深めた。

 そして喜三郎は、「万福丸様は里の民のために、これほど貴重な南蛮のエビを自ら食して示しておられるのだ! そのお覚悟の涙、某しかと受け止めましたぞ!」と大声で号泣した。


 九歳の少年と脳内の風変わりな学者は、騒がしい家臣たちと共に、戦国の常識と飢えを「虫の力」で静かに、確実に塗り替え始めていた。


【時任昆虫教室:其の十二 ― 漆黒の解体業者・センチコガネ ―】


万福丸、ミズアブがいないと嘆くな。足元の獣糞を見ろ。そこに集う、金属光沢を放つ小さな「重機」たちが、お前の不足を補う現地の精鋭だ。


・解体のスカベンジャー:こいつらは糞を見つけるや否や、強靭な前脚でそれを地中へと引きずり込む。地表に放置すれば病を呼ぶ汚物を、地下の「貯蔵庫」へと強制隔離する解体業者だ。昭和の研究室でも、彼らがいなければ牧草地は糞で埋まり、家畜は病に倒れていただろう。

・還元の理(デコンポーザーへの橋渡し):ただ埋めるのではない。地中に運び込まれた糞は、地中の微生物や菌類デコンポーザーの絶好の餌場となる。こいつらが「地下へ運搬し、細かく砕く」ことで、土への還元速度は劇的に跳ね上がるのだ。


理想のミズアブを待つ時間は無い。この「現場の職人」たちを使いこなし、不浄を地中へ沈めろ。汚物を「見えない場所」で発酵させ、大地の底から力を蓄える……それが、今の逃亡者であるお前の戦い方そのものなのだからな。


(昭和初期の昆虫研究家・時任)

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