第6話 戻らない
考えてみれば、当たり前のことだ。
出口から出たら、元の世界へ帰る。元の世界へ帰った人が、わざわざ、こんな忘れものセンターへ、戻ってくるはずがない。
だから、ソーダが戻ってこないのは、むしろ、いいことのはずだ。ソーダが、ちゃんと向こうで、自分の続きを生きている、という証拠のはずだ。
そう、頭では分かっている。
それでも。
私は、どうしても、館長に、聞かずにいられない。
館長に会うのは、初めてだ。
センターのいちばん奥、棚の森のさらに向こう、霧がいっとう深くなるあたりに、館長室はある。古い木の机と、天井まで届く書棚と、それから、机の上に積まれた、美しい筆跡の台帳が、何冊も。館長は、その机の向こうに、静かに座っている。
歳も、男か女かも、よく分からない。ただ、ものすごく長いあいだ、ここに座っているのだろうということだけは、分かる。館長は、湯気の立つ茶を一口すすって、私を見る。
「ソーダのことかな」
私が口を開く前に、館長が言う。
「……はい」私はうなずく。「ソーダは、向こうで、元気にしてるんでしょうか。海に、行けたんでしょうか。あいつ、また、ここに、遊びにくるってことは——」
「ここへ戻ることは、ありません」
館長は、静かに、けれど、はっきりと、そう言う。
「それは……海に、行けなかったってことですか。それとも——」
「ここへ戻ることは、ありません」
館長は、ただ、同じ言葉を繰り返す。それ以上は、何も教えてくれない。表情も、変わらない。慈悲深くも、冷たくもない、ただ、ずっと前から決まっていることを告げるような、静かな顔だ。
私は、館長室を出る。
そして、この場所に来てから、初めて、こう考える。
——出口の先には、本当に、救いがあるのだろうか。
ソーダは、笑って出ていった。海を信じて、出ていった。
でも、もし。
もし、出口の向こうに、ソーダの思っていたような海なんてなかったら。もし、出口というのが、ただ、ここから消えてなくなる、というだけのことだったら。私たちは、毎日、何のために、いつ現れるか分からない出口を待って、今日を生きているのだろう。
私は、その夜、ヤカンに、それをぶつける。
「ヤカンは、怖くないんですか」
「何がだ」
「出口の向こうが。もし、ソーダが、本当は……」私は、言葉を選びかねる。「もし、出口の向こうに、何もなかったら」
ヤカンは、しばらく、お茶の湯気を見ている。
「ハチ。お前、なんで、ソーダが海の話ばっかりしてたか、分かるか」
「……海が、好きだったから?」
「逆だ」ヤカンは、ゆっくり言う。「あいつはな、生きてたとき、たぶん、一度も海を見たことがなかったんだ。だから、行きたかった。失くしたから、欲しがるんじゃない。手に入れられなかったから、夢見るんだ」ヤカンは、湯のみを置く。「出口の向こうに何があるか、俺は知らん。それは、誰にも分からん。館長にだって、たぶん、分からん。だがな、ハチ。一つだけ、分かってることがある」
「なんですか」
「ここは、終わりじゃない、ってことだ」ヤカンは、霧の天井を見上げる。「ここは、どこかと、どこかの、あいだだ。ずうっとここにいることはできない。みんな、いつか、出口を選ぶ。それが、向こうの世界か、それとも別の何かか——そんなことより、大事なことがある。出口を、自分で選んだか、どうかだ」
私には、その言葉の意味が、まだ、よく分からない。
ただ、その夜から、私の中で、何かが変わる。
私は、依頼を、ただこなすのではなく、お客の一人ひとりを、前より、ずっと深く見るようになる。
そして、見れば見るほど、奇妙なことに、気がついていく。
お客たちは、どこか、私に、似ている。




