選ばれなかった杖【挿絵あり】
杖専門店の扉を開けた瞬間、木の香りが鼻をくすぐった。
店内には壁一面の棚があり、長さも形も違う杖がずらりと並んでいる。天井から吊るされた小さなランプが、棚に並ぶ色とりどりの杖を柔らかく照らしていた。
店内は多くのゲストで賑わっていた。杖を手に取って見比べる人や、値札を覗き込む人。あちこちから楽しそうな話し声が聞こえてくる。
奥には作業台らしきものも見える。削りかけの木片と工具の隣で、薄い電子端末が光っていた。
(すごいな。本当に杖屋だ)
だが、気になるものがひとつあった。
店に入る前、ショーウインドーの隅に見つけた、装飾の少ない一本だ。
「いらっしゃいませー! よろしければ、杖をご紹介しましょうか?」
奥から元気のいい声が飛んできた。
現れたのは、金髪のツーブロックが目を引く青年だった。頭には作業用のゴーグルを載せ、腕まくりした袖からは引き締まった前腕が覗いている。
「あ、はい。お願いします。杖を買うのは初めてで……」
「おおっ、初めての一本! もしかして、今日が冒険者デビューですか?」
「はい。さっき登録を済ませたばかりです」
「それはおめでとうございます! 最初の相棒選び、ぜひお任せください!」
その勢いに、綾麿は思わず瞬きをした。
青年はにっこり笑い、胸元の名札を指で示した。
「担当の諏訪丸健介です。作るのも売るのもやってます! わからないことは何でも聞いてくださいね!」
「結城綾麿です。よろしくお願いします」
「こちらこそ! では、まずはこちらへどうぞ! 初めての一本なら、杖の選び方からご説明しますね!」
諏訪丸に案内されたのは、店の一角に設けられた接客カウンターだった。
いくつかの椅子が並び、隣では別のキャストがゲストに杖を紹介している。
綾麿が勧められた椅子に腰を下ろすと、諏訪丸はカウンターの向こう側に回り、電子端末を操作した。
「さて! まずは杖について説明しますね。杖は魔法を安定して使うための道具です。材質や形によって使い心地が変わるので、自分に合った一本を選ぶのが大切なんですよ!」
「なるほど……」
「それから、杖は購入のほか、レンタルできる種類もあります! 使用する際には本人認証が必要になりますが、手続きはこちらでできますので、ご安心ください!」
諏訪丸はカウンターのタブレットで杖のカタログを開き、綾麿に見せてくれた。
形も値段もさまざまで、思わず目移りしてしまう。
「もちろん、見た目で選ぶのも大歓迎です! 気に入った杖があれば、実際に手に取って確かめられますからね!」
「あの、実は……外から見て気になった杖があって……」
「おっ! もう気になる一本があるんですね! どちらですか?」
綾麿はショーウインドーの隅を指さした。
諏訪丸はその先を見ると、「ああ!」と声を弾ませた。
「そっちですか! よく見つけましたね!」
諏訪丸はカウンターを出て、窓際の棚へ向かった。綾麿も椅子から立ち上がり、その後に続く。
棚の端に、目当ての杖が置かれていた。
派手な飾りはひとつもない。木肌は落ち着いた暗褐色で、握りの部分にだけ、細い筋のような模様が走っている。
思っていたより丁寧な作りだ。
「これ、名前はあるんですか?」
「もちろん! ミストルティンです!」
「ミストルティン……」
口に出すと、不思議と耳に残る響きだった。
「ただしですね。ひとつ、先にお伝えしておきたいことがあります」
諏訪丸は明るい声のまま、少しだけ表情を引き締めた。
「この杖、かなり人を選ぶんですよ」
「人を選ぶ?」
「はい。持つ人によって魔力の通り方が安定しにくくて。試したお客さんもいるんですが、結局、別の杖を選ばれることが多いんです」
「性能が悪いと決まったわけじゃありません。ただ、扱いにくいものを無理に勧めるわけにはいきませんからね」
「ちなみに、この杖はレンタルできるんですか?」
「残念ながら、ミストルティンは販売専用なんです。ただ、なかなか買い手がつかなくて、今はかなりお安くしているんですよ!」
「そうなんですね……」
「もちろん、無理におすすめはしません! 試してみてから決めていただいて大丈夫ですからね!」
綾麿はもう一度、杖に視線を戻した。
ほかの杖が華やかな光を受ける中、その一本だけが、ずっと同じ場所で誰かを待っていたように見えた。
「これも、特別な木でできているんですか?」
「ええ! 実は、杖に使われる木材はすべて、南極の古代遺跡で見つかった種を育てたものなんです。ただし、木の種類は杖によって違いますよ!」
「南極の……」
公式サイトで読んだ話が、手の届くところにある。
「ちなみに、お客様の魔法適性は?」
「……Eです」
綾麿は声を少し落とした。
すると諏訪丸は、なぜか嬉しそうに頷いた。
「なるほど、Eランク! いいじゃないですか!」
「え、いいんですか?」
「もちろん! Eランクでも魔法は使えますから! それに、今から初めて使うんでしょう? だったら伸びしろだらけです!」
あまりにも迷いのない言い方に、綾麿は少し笑ってしまった。
「でも、これってEランクには難しいんじゃ……」
「それは実際に確かめましょう! 合わなかったら別の一本をご案内します。遠慮は無用ですよ!」
諏訪丸は杖をそっと持ち上げ、綾麿に差し出した。
「まずは握ってみてください」
「はい」
綾麿は両手で受け取り、右手で握り直した。
思ったより軽い。
表面は滑らかなのに、指が自然と収まる。長さも重心も、驚くほどしっくりきた。
(……あれ?)
指先から腕にかけて、微かな温もりが伝わってくるような気がした。
けれど、すぐにその感覚は消えた。
「どうです?」
「……持ちやすいです。すごく」
「おっ! 本当ですか!」
諏訪丸の顔がぱっと明るくなった。
「いやあ、嬉しいなあ! 作った側としては、そう言ってもらえるだけで報われますよ!」
「諏訪丸さんが作ったんですか?」
「ええ! 削って、磨いて、何度も調整しました。まあ、なかなか選ばれない一本ではありましたけど!」
最後の言葉まで明るい。
綾麿は手元の杖を見つめた。
選ばれなかった杖。
少し前まで、最低ランクの判定に落ち込んでいた自分と、どこか似ている気がした。
「もしよければ、これで魔法を試してみたいです」
「もちろんです! その言葉を待ってました!」
◇
店の奥には、試用スペースがあった。
床の円形模様は魔法陣に見えるが、傍らには安全確認用の画面と排水口がある。異世界風でも、設備は現代的だ。
試用スペースの入り口には、杖を置くための認証台が設けられていた。
「では、試用登録をしましょう! まずは杖をこちらの台に置いてください。そのあと、パークアプリの入園証をかざしていただきます!」
綾麿は言われたとおり、ミストルティンを認証台に置いた。それからスマートフォンでアプリを開き、入園証をかざすと、短い電子音が鳴った。
「はい、認証完了! お買い上げになったら正式な所有登録に切り替えます。今はここでだけ使える状態です」
「わかりました」
綾麿は認証台からミストルティンを手に取り、試用スペースの中央に立った。
「初めて魔法を使うなら、まずは水を集める初級術式がおすすめです。攻撃魔法じゃないので、この試用スペースでも使えますよ」
諏訪丸が画面を操作すると、短い詠唱文が表示された。
「杖を前に向けて、文字を声に出してください。慌てなくて大丈夫! 大事なのは、自分が何をしたいか意識することです」
綾麿は小さく頷いた。
画面には、水を球状に集める魔法の説明が表示されている。
初級魔法とはいえ、自分にも本当に使えるのだろうか。
「……水よ、ここに集え。小さな球となれ――水球!」
声に合わせて、杖の先へ意識を集中させる。
何も起きない。
「あれ……?」
詠唱を終え、綾麿は肩を落としかけた。
「大丈夫、大丈夫! 最初から上手くいく人ばかりじゃありませんよ!」
諏訪丸は笑いながら、杖を持つ手の高さを少し直してくれた。
「もう一度。今度は、水がそこに集まるところを思い浮かべてみてください」
「はい」
綾麿は息を整え、もう一度唱えた。
「水よ、ここに集え。小さな球となれ――水球!」
杖の先から一メートルほど離れた空中に、透明な水の粒がひとつ浮かんだ。
「……!」
粒はふたつ、みっつと増え、やがてビー玉ほどの水球になった。
綾麿が手を動かすと、水球もわずかに揺れる。
(できた……本当に、できた!)
思わず顔がほころんだ。
けれど、嬉しくなって杖を動かしすぎたのか、水球は形を崩し、ぱしゃりと床の円の中へ落ちてしまった。
「あっ、すみません!」
「謝ることなんてありませんよ! ちゃんと水の球になったじゃないですか!」
諏訪丸は自分のことのように喜んでいる。
床に落ちた水は、円の外へ広がる前に排水口へ流れていった。
「もっと大きくしたいなら、今後は詠唱と魔力の扱い方を少しずつ覚えていくといいですね。焦らず、楽しく!」
「……はい。ありがとうございます」
「いやあ、驚きました! ミストルティンで魔法がちゃんと発動したの、久しぶりに見ましたよ!」
諏訪丸は少しだけ首を傾げ、すぐに笑った。
「やっぱり相性って面白い! 杖は実際に持ってみないとわかりませんね!」
何がそんなに珍しいのかはわからなかった。
ただ、この杖ならもう一度使ってみたい。今度は、もう少し長く水球を浮かべていられるかもしれない。
そんなことを考えている自分に気づき、少し驚いた。
◇
「それで、どうします? ほかの杖も試せますよ!」
試用スペースを出たところで、諏訪丸が尋ねた。
綾麿は手の中のミストルティンを見る。
目立つ装飾はない。店の外からでは値段さえわからなかった、あの一本だ。
「……これにしたいのですが、値段はおいくらですか?」
「こちらは現在、35シデラです! 腰のベルトに取り付けられる専用ホルダーもセットですよ!」
(三千五百円か……)
それなら、用意してきた予算でも十分に買える。
「それなら、お願いします」
「おおっ! ありがとうございます! きっと、いい相棒になりますよ! それでは、お支払いはどうされますか? 専用アプリでも、シデラ硬貨でも大丈夫ですよ!」
「アプリでお願いします」
「かしこまりました! それでは、こちらの決済画面からお願いします!」
綾麿はミストルティンを諏訪丸に預けた。
パークアプリを開き、登録していたカードを使って支払いを済ませた。
続いて、諏訪丸は端末を操作し、ミストルティンの試用登録を綾麿名義の正式な所有登録へと切り替えた。
「よし、正式登録完了です! これでミストルティンは結城さんの杖になりましたよ!」
諏訪丸は杖の扱い方と保管時の注意を教え、最後にしっかりと手渡してくれた。
綾麿は説明されたとおりに専用ホルダーを腰のベルトに取り付け、位置を調整した。
「それじゃ、結城さん! 思いっきり楽しんできてくださいね!」
「はい。本当にありがとうございました!」
店を出ると、通りには相変わらず賑やかな音楽が流れていた。
綾麿は手にした杖をそっと握り直す。
魔法適性はE。それでも、初めて使った魔法は確かに本物だった。
案内票を開くと、初心者向けのクエストは冒険者ギルドで受注できると記されていた。
(次は、クエストか)
少しだけ不安もある。けれど、それ以上に楽しみだった。
綾麿はミストルティンを腰のホルダーに収めると、クエストを受注するため、再び冒険者ギルドへと足を向けた。




