(3)マズランの出会い
思わず、息を呑む。
(……これほど、なの? )
聖女派が台頭する時点で、ある程度内部的な乱れがあることは認識しているつもりだった。しかし、とはいえグランブリトーだ。重税が与えられているわけでもなく、交易物資もそれなりに届き、船が毎日出るのだから、ここまでの様相は想像の範疇外だった。
「いや、すみませんね。驚いたでしょうや。マズランはこうなもんで、もう少し北上のアトラス港湾地域で降りるべきじゃねえかとは口添えしたんですが、あんたの連れ合い、どうしてもマズランに着くのがいいってごねてね」
「……マズラン港は、少し前までグランブリトー最大の港との謳い文句でしたから。その情報を鵜呑みにしていたのかもしれません」
「ああ……まあ、旅の人間なら、そういうこともあるのかね。マズランがこうなのは別段今に始まったことじゃねえんだが」
がたいのいい船乗りの男が嘆息する。マリアは思わず問い直した。
「そうなんですの? 一体いつごろから……」
「そりゃあんた、もうだいぶ前からさ。先王陛下の代から俺たち海の人間はずっと何とかしろと嘆願状を出してたんですが、取りつく島もねえ。国会にすら上がったのかどうか」
「──」
「ま、ブリトーの連中もアトラスを育ててえみたいだったんで、双方利があるってことでまとまったんだとは思うが、……お偉方の思惑なんぞは俺たちにゃ関係ねえ。せめて野垂れ死んだり、おまんま食いっぱぐれないことを祈るばかりって話です」
「おおい、ベン!いつまで喋ってんだ!荷下ろし始まってんぞ!」
「へい、今行きます! ……じゃ、お嬢さん。道中気を付けてくんな。いいかい、少なくともマズランを抜けるまでは連れ合いの兄ちゃんと喧嘩なんかすんじゃねえぞ。女の一人歩きじゃ、冗談じゃなく生きて帰れねえからよ。ここから一刻半も行けば小さな宿場がある。……別れ話はそこでするんだぜ? 」
「ふふ。ええ、ご忠言ありがとう。あなたも海路、お気をつけて、ミスター」
丁寧に頭を下げて、走り去っていく男を見送った。マリアはフードを深く被りなおすと、ロジェの姿を探す。しかし、周辺にそれらしい影は見当たらなかった。
「……ロジー? 」
(嘘。そんな、まさかもう彼だとばれて?それとも、誘拐や追剥ぎ……! )
「ロジー、ロジー!! どこにいるの、ロジー! 」
「ヴェイラ! 」
「! ……ロ、」
聞き慣れた声に救われた心地になり、振り返る。彼は古ぼけた布を纏った壮年の男の隣を歩きながら、大きな木箱を二つも抱えて歩いているではないか。
思わず目を見開いた。
「な、ど、──どうしたの、それは?! 」
「見ての通り、ちょっと荷運び手伝ってたんだ。さっき着いた船からのだってさ」
軽快に片目を瞑って彼が状況を説明してくれる。王たるあなたが? 何のために? と、言いたいことはあまりにも多かったが、ぐっとこらえて口を閉ざす。ロジェの隣を歩いていた男が「ほお! 」と声を上げた。
「ロジー! これがさっき言ってたお前さんの家内か? なんでえ、比喩じゃなく別嬪だなあ。てっきりどこぞのおぼこをほめそやしてるのかと思ってたぜ」
「まさか! ヴェイラは名前の通り、とんでもなく美人でいい子なんだ。ま、彼女がどんな容姿だって、きっと“おれ”はこの子に花束と指輪を渡してたけどね? 」
「きゃっ……! 」
猫がすり寄るように、ロジェがマリアの肩を抱いて頬を摺り寄せる。「ヒュー! 」と通り過ぎる若衆が口笛を吹かせていった。マリアは思わず顔を真っ赤にして目を白黒とさせる。それも当然だ、王である彼が衆人環視の場でそんなことをしては、すぐに見境のない色狂いとして話題をさらってしまうだろう。
「かあ~っ、羨ましいぜ。うちの家内なんか恰幅のいい鬼嫁でよお、そのうえ儂よりよっぽどの“ウワバミ”ときた! ま~ったく可愛げもねえってもんだい」
「そんなこと言っちゃって。なら、“爺さん”がロケットに入れてた美人は誰だよ? 」
「あ、あれはだなあ……そのお……若いころの……ちっ! よく見てんじゃねえか、このやろう! 」
「あははっ! まあね? 」
(───なんだか、まるで別人のよう)
普段とは言葉遣いも、しぐさも違う。それは、彼が長らくマリアに見せてきた物腰柔らかな姿も、あくまでも彼の一部分でしかなかったという証明のようだ。少し、彼が遠く思われて、静かに口を噤んだ。
「──ね、ヴェイラ。そうしようよ」
「……あ、え? ごめんなさい、なんだったかしら」
思い耽るうちにどうやら何か話が進んでいたらしい。聞き逃してしまって尋ね返す。ロジェは少しだけ心配そうにこちらを見やったが、そのまま気安い調子でマリアの背を叩いた。
「今日の宿! 手伝いのお礼に、ジョゼが奥さんとやってる酒場に泊まらせてくれるって。船旅も疲れただろうし、ご厚意に甘えようよ、って話」
「そんな、いいんですか? 夫はともかく、私まで」
男に聞き返す。ジョゼと呼ばれていた男は大きく頷いた。
「たりめえよ。受けた恩は返す、それが儂らのやり方だ。どうせ閑古鳥の鳴いてる安宿だ、若いめおと一組くらいいた方が明るくなっていいわな! 」
「おいおい、ほんとにありがたいけど、だからってヴェイラに酒を注がせたりなんかしないでくれよ」
「へへ、バレたか。ま、でもそしたらおめえに頼むか、ロジー? 見たとこ結構美丈夫だろ」
「なっ、いえ、それなら私が──」
「いいね、乗った! 任せときなよ、これでも故郷じゃそこそこの色男だったんだぜ。あんたの奥さん赤らめさせてもヤキモチやかないでよ、ジョゼ! 」
「ちょっと、ロジー!?」
「へへへ、やってみろい! ったく、こりゃなかなかの遊び人だ。あんたも苦労するね、ヴェイラちゃん」
「ああ、もうっ……」
マリアは八方困りかけて、息をつく。それから背に腹は変えられない、とばかりに袖をたくし上げた。
「でしたら、せめて二人で。お手伝いさせてくださいまし。そのくらいなら、私だってお役に立てますわ」




