【ヘイドスの血】
「これが、私たちが死んだ果てのフランチェストですって?」
ふつふつと湧き上がる感情を何とか抑え込んで問い返す。邪神と名乗った胡乱な男は頷いた。
「その通り! ひどいほら吹きだよねえ、シャトーブリアンズ? あんたたちを殺した聖女サマとその愉快なお友達、いったんは円満にことが進んだように見せかけたと思ったらと~んでもない国賊を次々呼び込みはじめちゃってさ。あっという間に汚職、搾取、略奪、増税、天下りのバイキング、からのラグナロク~! いやあ、腐ったミカンを同じ箱に入れといちゃダメな理由の博覧会だったなあ」
「……あなたが言っていることは、半分もよく理解できないけれど」
マリアは静かに拳を握る。彼女の瞳の奥には色濃く怒りが宿っていた。
「つまり、【聖女派】は、恥ずかしげもなく。ロジェのことを裏切ったのね」
「そうさ。それも考えつく限りもっとも醜悪で下品な、最低最悪の方法で!」
「──そう」
静かに息を吐く。あくまでも感情を露わにせずふるまうマリアに男はふわりと近づいた。
「マリア。どう思う? こんなひっどい蹂躙を受けてどんな気持ち? 辛い? しんどい? 苦しい? エモい? ぱらららーん!と心の痛みを十段階で示すならどのくらい? 」
「ボクって邪神サマだから、人間のソレが大好きなんだ。だからさ──」
「もっとたくさん苦しむ代わりに、世界をイジる覚悟はないかい?」
にやり、と蛇が囁きかける。それはいかにも邪で、神様じみた甘言だった。
「厳密にはちょっと難しい表現なんだけど。
ようはあんた、このめっちゃくちゃにされたセカイを"リロード”したくはないかなあ? 」
「リロード? 」
「またの名をつよくてニューゲーム! 死んで、死んで、死にまくりながら、世界を変えてしまうのさ。そうだね、たとえばロジェーリオくんとのトゥルーエンドを目指してみたり、あの悪逆非道のステーキどもを拷問したり、聖女を手ずから殺してみたり? もちろん全部順番にやったっていい。『何度でも死んで過去に飛ぶ』……そういうの、憧れちゃったりしないかい? 」
男はにやにや笑んでいた。まるで新たな玩具を手にした子供のように。彼の言っている戯言を分かる範囲で噛み砕く。つまり、繰り返し死ぬことで、過去の世界に干渉しろと、……そういう話だろうか。
「やるわ」
「いやあ、うんうん。分かるよ~、みんな痛いのは怖いよね?しかも一回死んでんだからあんなの二度とごめんって気持ちは分かるとも」
「構わない」
「でも、逆に言っちゃえばむしろ一回死んでんだからあとは何回でも変わらなくないっていうか!そもそも人間って変な生命だから、都合の悪い記憶は忘れて──え、あれ?今なんか言った?」
「だから。やると言っているのだけど」
平然と答える。男はぱちぱちと瞬きをして彼女の言葉を反芻すると、
「ええ~~~~~~!?つ、つまんな~~~~!!」
と、空中でくるりと逆さになった。
「やるの!? ホントに!? 死に戻りって結構忌み子スキルなはずじゃない!? 痛いし辛いしめんどくさいよ!? 誰かを助けて仲良くなっても死んだら全部パーだしさあ」
「どうでもいい。いちいち駄々を捏ねないで。できるのならとっととそれを寄越しなさい」
顔を上げたマリアに陰りはない。男がむしろ面食らって不貞腐れていた。
「分かった、分かったよ。なんか想像とちがうヒトだなあ……」
「何度も言うけれど、心底すべてがどうでもいいの。あなたは私を愛国心に溢れた苦しめがいのある王妃と思ったのかもしれないけれど、そんなことはない」
「私がフランチェストを愛するのは、ロジェーリオの国だから。私が民をいつくしみ、そために働くのは、彼らがロジェーリオのいとし子だから。私がグランブリトーや聖女だのを赦せないのは、ロジェーリオを殺したから。ただそれだけの話よ」
マリアはそこで言葉を区切る。そのまま口を閉ざそうとした彼女は、本当にふと気が向いたとばかりに、今一度口を開いた。
「彼を縛る国が嫌い。彼を苦しめる冠が嫌い。彼を一喜一憂させる人間も嫌い。彼に石を投げる人間も、罵声を浴びせる人間も、歪んで好意を焦がす人間も嫌い」
「──わたしとはこんなものよ。
わたしは、わたしとロジェーリオ以外の、全てが、すべからく、大嫌い」
「どうかしら。私の胎の中、あなたの悪趣味なお眼鏡には叶って?」
はあ、と、心底おっくうそうに溜息を吐く。マリアの独白をぽかんと聞いていた男は数度瞬きをすると、「ふ、あはは!」と、盛大に天を仰いで笑った。
「なんだそれ!あんた、とんだやべー女じゃん!全部嫌い? 本当に? ならボクのことも嫌いかあ! 」
「あなたに関しては、それにつけても好ける理由が一つもないわ」
「本当にね、いっそすがすがしい気分だよ。でも、残念!
ボクはそういう愚かで屈折した、気持ちの悪い人間こそが大好きだ」
ふ、と、周囲の空気感が一変する。この退廃に満ちた空間のどこから集めたのか、膨大な生命力の類が禍々しく彼の周りに集まりだした。マリアは一歩も引かず、彼の為さんとしていることを見定めんと目を見開いていた。
「ブルフォワ・レ・マリアヴェール」
「!」
「邪神トロイの名において、今、おまえにこそ相応しい、もっとも残酷で愚かな勲を与えよう。
かのギフトこそは『ヘイドスの血』。
──おまえはただその愛のため、幾度となく、定められた生命の楔を冒涜せよ」
「その血路に、どうか鮮やかな苦しみが大からんことを!」
役者のように両手を広げた"トロイ”から、マリアの心臓を射貫くように、異質な力が流れ込んでくる。それを離さないよう、ぐっと左胸を握り込んだ。
……この世界にはかつてより、【ギフテッド】と呼ばれる存在がある。
人間にはあり得ない超常の力を後天的に手にしたもののことだ。
例えばそれは超能力。読心、治癒に、圧倒的な精神力や、恵まれた身体能力。
曰く、それこそが『神王国記』に語られる『ちから』。
この世界を守護する神々による、気紛れな祝福なのだと。
状況を呑み込む暇もないまま、マリアは真紅の光に包まれて。
「──ふふ。期待以上だ。マリアヴェール。きみなら、あるいは──」
薔薇の花弁が散るように、彼女はこの“未来”から姿を消した。
────
──
「──ア。おーい、マリアってば。ううん……起きないな、珍しい……」
遠くから、懐かしい甘い声がする。ちりちりと瞼の上からのどかな日差しが差していた。
「えっと。それじゃあ、一回だけ……試してみようかな。ちょっと気恥ずかしいけど」
彼。
彼──は。こほん、と、なんだか若々しく咳払いをしたと思うと。
閉じた瞼にそっと口付けを落とし、囁いた。
「起きて、マリアヴェール」
「……ロジェーリオ、?」
──神王歴1877年、春。
ブルフォワ・レ・ヴァルドロ王が崩御して半年後のフランチェスト神王国にて、物語は動き出す。
それは、黒衣の王妃の逆行譚。
何度も死んで、また死んで。
彼女が嫌う世界を壊す、たったひとつの冴えたやりかた。




