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第8話 特殊災害対策課


神戸湾の沖合では、黒い深海門が静かに脈動を続けていた。


押し戻されたはずの《アビス・イーター》の気配は、完全には消えていない。


海面の下で、巨大な何かがこちらを見ている――そんな嫌な感覚だけが残っていた。


美咲は修司から目を逸らさない。


「場所を変えましょう。ここでは落ち着いて話せません」


黒田が小声で修司に囁く。


「完全に目をつけられたな、お前」


「嬉しくない注目だ」


玲奈は修司の腕を抱いたまま、美咲をじっと観察していた。


その視線には、警戒心がかなり含まれている。


美咲もそれに気づいたらしく、わずかに苦笑した。


「取って食ったりしませんよ」


「……深海の怪物よりは 少しは安心できます」


玲奈が真顔で返す。


黒田が吹き出した。


三十分後。


修司たちは神戸港近くの県警臨時施設へ案内された。


倉庫を改装したような建物だが、中には最新機材が並び、警察というより研究所に近い雰囲気だった。


壁には関西圏の地図が貼られている。


神戸、西宮、尼崎、宝塚、梅田、難波、天王寺――各地に赤いマーカーが打たれていた。


その数は、修司の想像より遥かに多い。


「こんなに発生してるのか……」


美咲が頷く。


「確認されているだけで、兵庫県内に十七か所。大阪北部を含めると三十を超えています」


「猪名川だけが特別じゃなかったってことか」


「ええ。ただし」


美咲は地図の猪名川町を指差した。


「自然発生型で、なおかつ古い霊脈と重なっているケースは極めて珍しい」


修司は赤橋事件を思い出した。


あの土地には、もともと異常な何かがあった。


ダンジョンは突然現れたのではなく、元から存在していた“穴”が拡大したのかもしれない。


会議室に移動すると、美咲はタブレットを操作しながら言った。


「まず確認します。あなたは猪名川ダンジョンで“普通ではない現象”を経験しましたね?」


修司は少し考えた。


……どこまで話すべきなのか。


完全に隠すのは、この先かなり難しい。


だが全部話すのは危険すぎる。


「モンスターの動きが、…ほんの少し先だが分かった」


美咲の目が鋭くなる。


「やはり……」


彼女はタブレットの画面をこちらへ向けた。


そこには数人の男女の写真が並んでいた。


年齢も職業もバラバラだ。


「彼らは“適合者”です」


修司は写真を見つめる。


「生存率は?」


美咲は一瞬だけ黙った。


「確認されている適合者は現在二十三名。そのうち、まともに能力を制御できているのは九名だけです」


黒田が顔をしかめる。


「半分以上…アウトじゃねえか」


「暴走、精神汚染、昏睡……症状は様々です」


玲奈の表情が強張った。


「修司さんも危険なんですか?」


美咲は正直に答えた。


「可能性はあります。ただ、神戸湾での反応を見る限り、相良さんの能力はかなり安定しています」


修司は右手の紋章を見下ろした。


安定していると言われても、突然頭の中に情報が流れ込む感覚は十分異常だ。


その時、会議室のドアがノックされた。


「失礼します」


入ってきたのは、白衣を着た若い女性だった。


丸眼鏡に、肩までの明るい茶髪。


研究者らしい細身の体型だが、どこか慌てた小動物のような雰囲気がある。


「あっ、こちらが猪名川の適合者さんですか!?」


彼女は修司を見るなり、目を輝かせた。


美咲が呆れたように紹介する。


「国立ダンジョン研究機構関西支部の白石あやめ。二十二歳、ダンジョン生物学専攻です」


あやめは勢いよく頭を下げた。


「は、初めまして! あの、ファイアボアの肉って本当に食べたんですか!?」


第一声がそれだった。


修司は思わず瞬きをする。


「そこから来るのか」


「だって未知生物の可食性ですよ!? 世界的大発見じゃないですか!」


あやめは興奮で頬を赤くしている。


黒田がニヤニヤする。


「修司、お前の“ダンジョン飯”が早くも学会デビューだぞ」


玲奈は上目遣いで…少しだけ不満そうに修司へ身体を寄せた。


「あまり変な人を増やさないでくださいね」


「俺のせいじゃない」


あやめは慌てて手を振った。


「へ、変じゃありません! ちょっと未知の生態系に興奮しやすいだけです!」


「すまない…十分変だとは思うが…」


修司が呟くと、あやめはしゅんと肩を落とした。


その反応が妙に素直で、修司は少しだけ苦笑する。


美咲は話を本題へ戻した。


「相良さん。深海門は現在、通常戦力だけでは対応困難と判断されています」


タブレットに新しい映像が映し出される。


門の内部を撮影したものだろう。


暗い海底回廊。


発光する珊瑚のような結晶。


そして遠くに見える巨大な影。


修司の右手が再び熱を帯びた。


《観測者》が反応している。


【深海門・第二階層】


【観測適性を確認】


美咲は静かに言った。


「あなたの能力が必要です」


玲奈が即座に口を開く。


「危険すぎます!」


「分かっています。でも内部構造を正確に把握できる適合者がいないんです」


修司は映像を見つめた。


深海門。


アビス・イーター。


そして《観測者》の異常な共鳴。


逃げても、いずれまた関わることになるだろう。


修司はゆっくり息を吐いた。


「条件がある」


美咲が眉を上げる。


「聞きましょう」


「俺は警察官じゃない。あくまでフリーライターだ」


「ええ」


「取材の自由を認めること。それと――」


修司は隣に座る玲奈を見た。


「彼女を危険な場所から無理に排除しないこと」


玲奈が驚いたように修司を見る。


美咲は数秒考え、静かに頷いた。


「……分かりました。ただし、私の指示には従ってもらいます」


交渉成立だった。


その瞬間、会議室の警報が突然鳴り響いた。


ビーッ! ビーッ!


赤いランプが点滅する。


美咲が即座に立ち上がる。


「何!?」


無線から切迫した声が響いた。


『深海門内部で大規模反応を確認! 第二階層から未知の生命反応が上昇中!』


修司の《観測者》が激しく明滅する。


そして視界いっぱいに、赤い文字が浮かび上がった。


【緊急任務】


【深海門・第二階層への侵入が推奨されます】


【制限時間:12時間】


修司は思わず舌打ちした。


どうやら、神戸湾の戦いはまだ始まったばかりらしい。

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