第42話 地下四十六メートル
対策室の時計が 10:13 を示したまま、静かに秒を刻んでいた。
観測室が完全起動するまで:2時間13分。
残された時間は、想像以上に少ない。
美咲は即座に行動へ移った。
「地下46m区画への進入班を編成します。自衛隊特殊災害対処部隊と合同で行動してください」
モニターに新しい地下構造図が表示される。
地下42mで発見された増殖階段。
そのさらに下層へ、赤い推定ルートが伸びていた。
技術職員が緊張した声で説明する。
「問題は、この46m区画が現行図面に存在しないことです。地質データ上では岩盤層になっているはずでした」
存在しない階層。
存在しない駅。
そして存在しない列車。
修司は右腕の脈動を感じながら、静かに立ち上がった。
待合室へ戻ると、玲奈はすぐに修司の表情を見て何かを察した。
「行くことになったんですね」
隠しても意味はなかった。
修司は短く頷く。
「東梅田の地下に、祖父が最後に向かった観測室がある可能性が高い」
玲奈は唇を噛みしめる。
「危険なんですよね」
「かなりな」
「でも、止めないともっと危険になる…」
彼女は自分で答えに辿り着いていた。
しばらく沈黙した後、玲奈は修司の手を握る。
「私も行きたいって言ったら、…怒りますか」
修司は苦笑した。
「怒りはしない。でも今回はだめだ」
玲奈は反論しかけたが、修司の真剣な目を見て言葉を飲み込む。
「…必ず、必ず…帰ってきてください」
「ああ。必ず帰る」
玲奈を引き寄せ、強く抱きしめる。
その約束が、どれほど不確かなものか修司自身が一番よく分かっていた。
正午前。
県警地下駐車場には、すでに出動準備を整えた車両が並んでいた。
美咲は防刃ベストの上に軽装備を着けている。
自衛隊側の指揮官が修司へ近づいた。
「相良さん。あなたは先頭ではなく、第二列で行動してください。位置特定が最優先です」
「了解した」
装備として渡されたのは、ヘッドライト、無線機、簡易酸素マスク。
まるで災害救助隊の一員だ。
黒田にも連絡は入っていたらしいが、美咲が「今回は取材禁止です」と先回りして釘を刺していた。
「珍しく九条さんが本気で止めてきたからな……」と不満げなメッセージだけが届いている。
東梅田駅周辺は、すでに一部封鎖されていた。
一般客には「設備点検」と説明されているようだ。
地下通路をさらに奥へ進む。
立入禁止区域。
保守用扉。
その先に、昨夜発見された増殖階段があった。
冷気が吹き上がってくる。
まるで地下深くに巨大な冷蔵庫でもあるかのようだ。
美咲がヘッドライトを点灯する。
「ここから先は、現実の図面が通用しない可能性があります」
修司もライトを点けた。
階段の先は、闇に飲まれて見えない。
地下42m。
昨夜ホームが出現した場所に到着すると、空気が明らかに変わった。
湿っている。
鉄と油の臭いが濃い。
そして壁面には、無数の白い霜が広がっていた。
技術職員が震える声で言う。
「温度、マイナス18度……」
問題の増殖階段は、コンクリート壁の横に口を開けていた。
昨日は存在しなかったはずの空間。
階段は古い石造りで、現在の地下鉄設備とはまったく様式が違う。
美咲が無線で確認する。
「全員、通信状態を報告してください」
『第一班、正常』
『第二班、正常』
修司も応答した。
「相良、正常」
だがその瞬間、無線へ微かな雑音が混じる。
――まもなく、0番線に列車が到着します。
全員が顔を上げた。
「今の、聞きましたか」
自衛隊員が低く言う。
美咲は冷静に答える。
「記録されています。前進します」
地下44m。
階段を降りるにつれ、壁の様子が変わり始めた。
コンクリートではない。
古い白タイルが混じっている。
修司の右腕が熱を帯びる。
《観測者》が反応する。
【観測室まで残り32m】
突然、先頭の隊員が足を止めた。
「待ってください」
ライトの先。
通路の壁に、古びた駅案内板が埋め込まれていた。
埃に覆われているが、文字は読める。
→ 第零線観測室
七十四年前の案内板が、現実の地下通路に存在していた。
美咲が静かに息を吐く。
「本当にあった……」
修司の胸の奥で、嫌な確信が形になる。
祖父はこの道を通ったのだ。
そして戻らなかった。
さらに進んだその時だった。
通路の奥から、微かな光が見えた。
赤い。
電光掲示板のような赤い光。
同時に、ガタン……ゴトン……という重い走行音が地下を震わせる。
美咲が手を上げ、全員を停止させる。
音は確実に近づいていた。
線路など存在しないはずの地下46mから、列車の音が聞こえてくる。
《観測者》が警告を表示する。
【観測室直近】
【境界重複率:72%】
そして通路の角の向こうに、赤い文字がゆっくりと浮かび上がった。
0番線
修司たちはついに、《第零駅》の中枢――七十四年前から封印されていた観測室の目前まで到達していた。




