第41話 観測点再起動
対策室の空気が一変した。
モニター中央に映るコンクリート壁。
その表面に浮かんだ 0:13 の赤い数字が、脈動する心臓のように明滅している。
現在時刻は 10:07。
接続時間ではない。
それでも《第零駅》は動き始めていた。
技術職員が緊張した声で報告する。
「壁面温度が急激に低下しています! マイナス12度まで下がりました!」
別のモニターにはサーモグラフィ画像が表示される。
地下42m区画だけが、異常な青色へ変わっていた。
美咲が即座に指示を飛ばす。
「現地班を後退させてください。壁面への接触は禁止です」
『了解!』
無線の向こうで慌ただしい足音が響く。
修司の右腕が強く熱を帯びた。
ズキン、ズキン。
《観測者》が次々と情報を流し込んでくる。
【観測点再起動率:27%】
【旧第零線信号系統と同期中】
そして新たな表示。
【接続条件が変化しています】
修司は眉をひそめた。
「美咲さん、条件が変わってる」
「どういう意味ですか」
「今までは0時13分が接続時刻だった。だが観測点そのものが再起動すると、時間制限が短縮される可能性がある」
対策室がざわつく。
つまり、次の侵食は深夜まで待ってくれないかもしれない。
その時、現地映像が大きく乱れた。
ザーッ――。
ノイズの向こうに、白いタイルが一瞬映る。
技術職員が叫ぶ。
「壁の一部が透過しています!」
モニターには、コンクリートの奥に重なる地下ホームが映し出された。
前回より鮮明だ。
柱。
ベンチ。
古い電光掲示板。
そしてホーム端に立つ、黒いコートの男。
男はカメラの方へゆっくり顔を向けた。
次の瞬間、映像が完全に切れる。
ブツン。
対策室の照明が一瞬暗くなった。
『現地班より報告!』
無線が悲鳴のように響く。
『壁の向こうから列車接近音を確認! 繰り返す、列車接近音を確認!』
午前十時台に、地下42mで列車が走るはずがない。
それでも音は記録されていた。
ガタン……ゴトン……。
重く湿った鉄輪の軋み。
修司は昨夜聞いた音と同じだと確信した。
美咲が素早く判断する。
「地下区画を完全閉鎖します。全員、第二防壁まで後退してください」
しかし無線の向こうから返ってきた声は、さらに深刻だった。
『だめです! 階段が……階段が増えています!』
対策室が静まり返る。
「増えている?」
『はい! 図面にない下り階段がもう一本出現しました!』
モニターに緊急撮影された画像が表示される。
地下42m区画の行き止まり。
その横に、新たに口を開いた暗い階段。
まるで地下そのものが形を変えているようだった。
修司の脳裏に、祖父のメモが蘇る。
『駅の方がこちらへ来る』
《第零駅》は固定空間ではない。
現実の地下構造を侵食しながら、自分の駅を「増築」している。
美咲が修司を見る。
「この階段、どこへ繋がっていると思いますか」
修司は《観測者》へ意識を向けた。
青白い文字が浮かび上がる。
【推定接続先:観測室】
【旧第零線観測室への経路を確認】
祖父が最後に向かった場所。
七十四年前の観測点。
そこが再び開こうとしている。
技術職員がさらに報告する。
「地下42m区画周辺で、一般地下鉄路線にも微弱な信号障害が発生しています!」
モニターに大阪メトロ御堂筋線の運行データが映る。
東梅田駅付近だけ、数秒単位の通信遅延が繰り返されていた。
まだ利用客が気づくレベルではない。
だが侵食は確実に現実のインフラへ及び始めている。
内閣府の職員が低い声で言った。
「このまま拡大すれば、通常路線へ接続する可能性があります」
つまり《第零駅》が本物の地下鉄網へ侵入するということだ。
数百万人が利用する梅田地下に、怪異が直接繋がる。
それは深海門とは比較にならない規模の災害になる。
美咲は短く息を吐き、決断した。
「相良さん。観測室を特定する必要があります」
「俺に行けってことか」
「正式には、まだお願いしていません」
彼女は丁寧な口調のまま続ける。
「ですが、《観測者》だけが観測室の位置を追跡できる可能性があります」
修司はモニターを見つめた。
増殖する階段。
脈動する 0:13 の数字。
そして祖父が最後に向かった観測室。
逃げるという選択肢は、もう現実的ではなかった。
玲奈の顔が脳裏に浮かぶ。
危険に巻き込みたくない。
だが《第零駅》はすでに西宮の自宅にまで接続してきている。
止めなければ、次はもっと多くの人間が巻き込まれる。
修司は静かに言った。
「観測室の位置を追う。だが条件がある」
美咲が頷く。
「何でしょうか」
「玲奈を安全圏に置くこと。そして警察と自衛隊の支援を必ず付けることだ」
美咲は迷わず答えた。
「承知しました。必ず手配します」
その瞬間、《観測者》が新たな座標を表示した。
【旧第零線観測室 推定位置:東梅田地下46m】
地下四十六メートル。
昨夜より、さらに深い。
そして表示の最後に、冷たい一文が浮かび上がった。
【観測室が完全起動するまで:2時間13分】
対策室の時計は 10:13 を示していた。
《第零駅》は、もう夜を待たなくなっていた。




