第39話 時を超えた終電
「祖父が……東梅田で失踪したのですか?」
修司は窓ガラスに残る 0:13 の文字を見つめたまま、静かに呟いた。
スマートフォン越しに、美咲が落ち着いた声で応じる。
『はい。回収した工事記録にその旨の記載がありました』
玲奈も息を呑む。
深夜の静かな寝室には、エアコンの微かな送風音だけが響いていた。
『相良修一郎氏は、1952年当時の大阪地下高速鉄道・第零線計画における主任技師でした』
修司はベッド脇の椅子に腰を下ろす。
頭の中で、幼少期の記憶がゆっくりと蘇っていく。
祖父について、彼はほとんど何も知らない。
父が幼い頃に行方不明になったとだけ聞かされていた。
当時の混乱期に起きた事故だろうと、長らく考えていた。
しかし――。
『失踪日時は、1952年8月1日 午前0時13分です』
美咲の声が重く響く。
窓ガラスに浮かぶ数字と、完全に一致していた。
『さらに、注目すべき記録があります』
美咲は続けた。
『第零線計画は公式には「地下水脈崩落の危険性」により中止とされています』
「公式には、ということですね」
『その通りです。ただし内部報告書には、別の記述が残されています』
紙をめくる音が微かに聞こえる。
やがて彼女は慎重に読み上げた。
『“試験運行中、存在しないホームへの誤接続を確認。乗務員一名、帰還せず”』
修司の背筋に冷たいものが走る。
七十四年前の時点で、すでに《第零駅》は存在していたことになる。
さらに「試験運行」という表現は、当時の関係者が何らかの形でその領域に到達していた可能性を示唆していた。
玲奈が小さく問いかける。
「その乗務員というのは……」
『氏名は黒塗りで伏せられています』
美咲は一拍置いた。
『ただし後続記録には、相良修一郎氏が単独で地下42m区画の再調査に向かったと記されています』
そして、そのまま帰還は確認されていません。
修司は自らの右腕に視線を落とした。
青白い線が静かに脈動している。
《観測者》が自分を選んだ理由。
それは偶然ではなく、祖父の代から続く接続である可能性があった。
『相良さん』
美咲の声がわずかに柔らかくなる。
『今夜の件を踏まえ、すぐにお伝えすべきか迷いました』
「いえ、知らせていただいて…ありがとう」
修司は率直に答えた。
知らなければ、単なる怪異として処理していたかもしれない。
しかし今は違う。
《第零駅》には、自身の家系の過去が深く関与している。
『明日、県警にて関連資料をご提示します。ただし……』
美咲は言葉を選びながら続ける。
『これ以上の深入りは控えてください。これは単なる失踪事件ではありません』
修司は小さく苦笑した。
「その忠告は、もう少し早く伺いたかったですね」
通話の向こうで、美咲がわずかに息を漏らす。
『……確かに、その通りかもしれません』
通話が終了すると、部屋は再び静寂に包まれた。
玲奈がそっと修司の隣に腰を下ろす。
「お祖父様のこと、覚えていらっしゃいますか?」
「写真でしか知らないんだよな」
修司は静かに答える。
「古いアルバムに、ヘルメット姿の写真が一枚だけありました。地下鉄工事現場で撮影されたものだと思います」
当時は特に気に留めていなかった。
しかし今となっては理解できる。
あれはおそらく、第零線計画の現場だったのだ。
玲奈は修司の肩にそっと頭を預ける。
「偶然ではないのですね」
「ああ……おそらくは」
窓ガラスに映る 0:13 を見つめながら、修司は静かに言葉を落とした。
「俺は、祖父が辿った線路の続きを歩かされているのかもしれない」
午前三時。
二人はようやくベッドに入った。
しかし、眠りは浅かった。
修司は夢を見た。
暗い地下トンネル。
古びた工事用ランプの灯り。
その先を、ヘルメット姿の男が歩いている。
男は振り返らない。
それでも、その背中から確信できた。
祖父だ。
男はトンネルの奥へ進み、白いタイル張りのホームへと辿り着く。
そこには赤い文字が浮かんでいた。
0番線 最終列車
ホームの向こうには、銀色の古い列車が停車している。
扉は開いていた。
祖父は一瞬だけ足を止め、ゆっくりとこちらを振り返る。
顔は影に覆われ、判然としない。
それでも確かに、修司へ向けて手を伸ばしていた。
そして低い声が響く。
『来るな』
次の瞬間、列車の扉が閉まり、祖父の姿は闇の中へと消えた。
修司ははっと目を覚ます。
時計は 3:13 を示していた。
隣では玲奈が静かに眠っている。
窓ガラスの 0:13 は、薄れながらもなお消えていなかった。
修司は暗闇の中で静かに息を吐く。
《第零駅》は、終点への招待状を送り続けている。
しかし夢の中の祖父は、それに反して「来るな」と警告していた。
その矛盾したメッセージの意味を、修司はまだ理解できずにいた。




