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第38話 終点への招待



午前二時十分。


西宮の街は完全に眠りについていた。


遠くを走る車の音さえ、今夜は異様に遠く感じられる。


リビングの窓ガラスには、まだ薄く 0:13 の数字が残っていた。


修司はアルコールを含ませた布で何度も拭いた。


だが白い文字は完全には消えない。


ガラスの表面ではなく、もっと深い場所へ染み込んでいるようだった。


玲奈はその様子を不安そうに見つめている。


「警察に来てもらいますか?」


修司は首を横に振った。


「来てもらっても、今の段階じゃ説明できない」


それに、美咲たちも東梅田の対応で手一杯だろう。


玲奈を先に寝室へ戻し、修司は一人でリビングに残った。


眠る気にはなれない。


ノートパソコンを開き、今日までの記録を整理する。


《第零駅》の特徴。


0番線。


最終列車。


境界侵食。


そして、自分が「接続点」になりつつあるという仮説。


キーボードを打つ指先が、時折わずかに震える。


その時だった。


画面の端に、小さな通知が表示された。


新着メール 送信者不明


件名はない。


修司は眉をひそめながらメールを開いた。


本文には、たった一行だけが記されていた。


『終点でお待ちしております』


添付ファイルが一つ。


拡張子は画像データだった。


嫌な予感がした。


だが《観測者》が微かに反応している以上、無視するわけにもいかない。


修司はファイルを開いた。


表示された瞬間、背筋が凍りついた。


それは古いモノクロ写真だった。


地下ホーム。


白いタイル。


古い吊り下げ式の駅名標。


そしてホーム中央に立つ、スーツ姿の男。


顔はぼやけている。


だがその背後の壁に貼られたポスターだけは、異様にはっきり写っていた。


《大阪地下高速鉄道 第零線 開業予定》


写真の右下には日付が印字されている。


1952年8月1日


今日と同じ日付だった。


修司の右腕が熱を帯びる。


ズキン。


《観測者》が起動した。


青白い文字が浮かぶ。


【高い因果一致を検出】


【撮影日時:1952年8月1日 0:13】


修司は息を呑んだ。


偶然ではない。


《第零駅》は七十四年前の同じ夜、同じ時刻に何かを起こしている。


その瞬間、寝室から玲奈の悲鳴が聞こえた。


「修司さん!」


修司は立ち上がり、すぐに寝室へ駆け込む。


玲奈はベッドの上で青ざめ、窓の方を指さしていた。


カーテンの隙間から、月明かりが差し込んでいる。


「今、窓の外に誰かいました……!」


修司は勢いよくカーテンを開けた。


マンションの外廊下。


誰もいない。


だが窓ガラスの外側に、また新しい曇りが浮かんでいた。


今度は数字ではない。


細長い線が何本も並んでいる。


修司が目を凝らすと、それが線路のような図形だと分かった。


二本の平行線。


そしてその先に、小さな駅のマーク。


《観測者》が即座に解析を始める。


【地下接続図の一部を検出】


線路は西宮方面から大阪へ伸び、最後に一つの駅へ収束していた。


その駅名表示だけが、赤く滲んでいる。


第零駅


玲奈が震える声で言う。


「地図……みたいです」


修司も同じ結論に達していた。


《第零駅》はただ脅しているのではない。


こちらへ来るための道筋を示している。


スマホが震えた。


美咲からのメッセージだった。


『起きていらっしゃいますか』


修司はすぐに返信する。


『起きてる。どうした』


数秒後、電話がかかってきた。


『申し訳ありません。緊急で確認したいことがあります』


美咲の声は疲れていたが、緊張も滲んでいる。


『地下42m区画で回収した古い資料を調べていたところ、未成線計画の責任者名が判明しました』


「誰だ?」


短い沈黙。


そして、美咲は静かに告げた。


『相良修一郎――あなたの祖父です』


修司は言葉を失った。


玲奈も驚いた顔でこちらを見ている。


『記録によれば、修一郎は1952年8月1日の深夜、東梅田地下工事現場で行方不明になっています』


窓ガラスの外側に浮かぶ線路図。


七十四年前の写真。


そして祖父の失踪。


バラバラだった点が、一瞬で一本の線へ繋がった。


《第零駅》は偶然修司を選んだのではない。


七十四年前に途切れた“何か”が、相良家へ再び繋がろうとしている。


修司は窓の外の闇を見つめた。


その奥で、見えない地下鉄が静かに走り続けているような気がした。

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