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第34話 最終列車



午後十一時四十七分。


西宮のマンションは静まり返っていた。


テレビは消えている。


冷蔵庫の低い駆動音だけが、時折部屋の沈黙を震わせていた。


玲奈は修司の隣に座ったまま、毛布を握り締めている。


二人とも眠る気配はない。


テーブルの上には、美咲から送られてきた最新のメッセージが表示されたままだ。


『現地隊員二名と通信が断続的に途切れています』


その数分後に届いた最後の報告。


『地下42m区画で、列車接近を示す風圧を確認』


修司はスマホを伏せた。


地下四十二メートル。


そこは現在の地下鉄網よりさらに深い。


本来なら列車が存在するはずのない場所だ。


午後十一時五十三分。


ズキン。


右腕が脈打った。


《観測者》が自動起動する。


青白い文字が視界へ浮かぶ。


【《第零駅》接続準備を検知】


同時に、部屋の照明がわずかに明滅した。


パチッ。


ほんの一瞬。


だが玲奈も気づいたらしく、修司の腕を強く掴む。


「今……」


「ああ」


その時、マンションの廊下の奥から、微かな音が聞こえた。


カツン。


革靴の足音。


こんな時間に、誰かが歩いている。


それ自体は珍しくない。


だが音は妙だった。


一定の間隔で、ゆっくりと近づいてくる。


カツン。


カツン。


修司は息を潜めた。


音は自分たちの部屋の前で止まった。


沈黙。


玲奈の指先が震えているのが分かる。


インターホンは鳴らない。


ノックもない。


ただ、扉の向こうに「誰か」が立っている気配だけがあった。


午後十一時五十六分。


スマホが震えた。


美咲からの着信。


修司はすぐに応答する。


「美咲?」


『相良さん、今どちらにいらっしゃいますか』


声が少し切迫していた。


「西宮の自宅だ」


電話の向こうで、雑音が混じる。


無線のノイズ。


人の怒鳴り声。


そして、遠くで響く金属音。


『東梅田駅で異常が発生しました』


修司は立ち上がる。


『地下42m区画の壁が消失しました』


「何だって」


『その先に、ホームがありました』


一瞬、心臓が止まったような感覚に襲われる。


美咲は早口になっていた。


『白いタイル張りのホームです。古い駅名標があり、“第零駅”と確認できました』


背後で玲奈が青ざめた顔をしている。


『現在、調査班がホームへ進入しています。ただ――』


そこで通信が大きく乱れた。


ザーッ、というノイズの向こうから、別の音が混ざる。


――まもなく、0番線に最終列車が到着します。


機械的な女の声。


修司の全身に鳥肌が立つ。


「美咲さん!?」


『……聞こえましたか』


「そっちでも流れてるのか」


『はい。駅構内のスピーカーではありません。ホーム全体から聞こえているようです』


午後十一時五十九分。


電話を繋いだまま、修司は玄関の方を見た。


扉の向こうは静かだ。


だが気配は消えていない。


《観測者》がさらに警告を表示する。


【案内人が接近しています】


その瞬間、ドアスコープの金属部分が、ゆっくりと曇り始めた。


内側から見ているのに、まるで外側に白い息が吹きかけられているようだった。


玲奈がかすれた声を漏らす。


「修司さん……見ないでください」


だが修司は視線を逸らせなかった。


曇ったスコープの中央に、黒い影が浮かび上がる。


長いコート。


帽子のような暗い輪郭。


顔だけが、異常なほどぼやけている。


そして影は、ゆっくりとこちらへ顔を近づけた。


ドア一枚隔てた向こう側で、「それ」は確かにこちらを覗き込んでいた。


午前零時〇二分。


電話の向こうで、美咲が鋭く叫ぶ声が聞こえた。


『止まってください! 線路へ近づかないで!』


続いて、誰かの悲鳴。


金属を引きずるような轟音。


そして――


ガタン、ゴトン。


列車の走行音。


修司は凍りついた。


現代の地下鉄とは違う。


古い鉄輪が軋むような、重く湿った音だった。


美咲の息が荒くなる。


『列車が来ます……本当に来ます……!』


その瞬間、修司の部屋の照明が完全に落ちた。


ブツン。


闇。


窓の外の街灯の光だけが、薄く部屋を照らしている。


玲奈が修司へしがみつく。


暗闇の中で、玄関の向こうから音がした。


コン。


小さなノック。


間を置いて、もう一度。


コン。


そして三度目。


コン。


静かな、礼儀正しいノックだった。


だがその直後、ドアの隙間の向こうから、あの機械的な女の声がはっきりと聞こえた。


『0番線、最終列車が到着しました。お乗り遅れのないようご注意ください』


時計を見る。


0:12


次の一分が終われば、《第零駅》の最終接続時刻が訪れる。

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