第25話 記録された者
喫茶店の外では、昼休みの人波が絶え間なく流れていた。
誰も異常に気づいていない。
だが修司の視界には、青白い文字がまだ残っていた。
【“0番線”を視認した者は、門に記録されます】
門に記録される。
その意味を考えるだけで、背筋が冷たくなる。
修司はゆっくりとコーヒーを飲み干した。
苦味が妙に薄く感じる。
黒田が低い声で尋ねた。
「今、また何か見えたのか」
「ああ。《第零駅》の条件の一部らしい」
修司は表示の内容を簡潔に伝えた。
黒田は顔をしかめる。
「記録されるって、完全に呪いじゃないか」
「俺もそう思う」
玲奈は黙ったまま修司の右手を見つめていた。
彼女の表情には、はっきりとした不安が浮かんでいる。
黒田はバッグからもう一枚の資料を取り出した。
今度は地下鉄職員の聞き取りメモだった。
「坂井だけじゃない。過去半年で、東梅田駅周辺の保守員や警備員が三人行方不明になってる」
「半年……?」
修司は眉をひそめる。
深海門の出現は数日前だ。
だが《第零駅》は、それ以前から活動していたことになる。
黒田は頷いた。
「しかも失踪者には共通点がある。全員、終電後の巡回中に“表示がおかしい”って報告を残してる」
メモには短い記録が並んでいた。
『0番線の案内が点灯していた』
『列車が来ていないのに接近放送が流れた』
『ホームの時計が0:00で止まっていた』
玲奈が小さく呟く。
「時間が止まっているみたい……」
修司も同じ印象を受けていた。
《第零駅》は単なる隠し通路ではない。
時間や空間そのものが歪んでいる可能性がある。
その時、修司のスマホが震えた。
美咲からのメッセージだった。
『今どこにいますか』
修司は短く返信する。
『大阪駅前第2ビル地下2階。黒田と一緒だ』
数秒後、すぐに返事が来た。
『そこから東側通路へ近づかないで下さい。さっき同じエリアで監視カメラに異常が出ました』
修司は思わず顔を上げた。
「美咲からだ。東側通路で監視カメラ異常が出たらしい」
黒田が舌打ちする。
「タイミングが悪すぎる」
玲奈は周囲を見回した。
地下二階の空気が、さっきより少し重く感じる。
人は多い。
笑い声も聞こえる。
それなのに、どこか音が遠い。
修司は窓の外の地下通路を見つめた。
先ほど黒いコートの男が立っていた場所。
今は普通の通行人しかいない。
だが《観測者》は微かに反応を続けている。
ズキン。
右腕に鈍い痛みが走る。
視界の端に、一瞬だけ青白い線路が重なって見えた。
地下通路の床の下を、存在しない列車が走り抜けたような感覚。
修司は目を閉じ、深く息を吐く。
「ここに…長居するのはマズいかもしれない」
黒田も真剣な顔で頷いた。
「俺もそう思う。情報は渡した。今日は一旦引こう」
玲奈はほっとしたように小さく息を吐いた。
会計を済ませ、三人は地下通路へ出た。
昼の梅田は相変わらず人で溢れている。
だが修司には、雑踏の奥に別の気配が潜んでいるように感じられた。
東側通路へ続く地下街の案内板。
→ 東梅田駅
その矢印を見た瞬間、《観測者》が強く脈打つ。
【誘導波を検知】
修司は反射的に視線を逸らした。
玲奈がすぐに腕を抱き込む。
「行きませんよね」
「ああ。今日は行かない」
その言葉に嘘はなかった。
今はまだ情報が足りない。
深海門の時のように、勢いだけで踏み込める相手ではないだろう。
地下通路を西側へ向かって歩き始めた時だった。
背後から、はっきりとした音が聞こえた。
─カツン。
革靴の硬い足音。
雑踏の中なのに、その音だけが異様に鮮明だった。
修司は振り返る。
人混みの向こう。
東梅田方面へ続く通路の入口に、あの黒いコート姿の男が立っていた。
今度は見間違いではない。
男は微動だにせず、こちらを見ている。
顔は相変わらずぼやけている。
だがその輪郭だけは、監視カメラ映像のホームに立っていた黒い人影と完全に一致していた。
玲奈もそれを見た瞬間、息を呑んだ。
「修司さん……あの人……」
黒田が振り返った時には、男は人波の中へ溶けるように消えていた。
修司の右腕が熱を帯びる。
《観測者》が静かに文字を浮かべる。
【門の案内人を確認】
そして続けて、冷たい警告が表示された。
【対象はあなたを認識しています】
梅田の地下は、ただ人を誘っているだけではなかった。
すでに修司を、次の来訪者として選び始めていた。




