第24話 地下二階の…
阪急梅田駅から大阪駅前第2ビルへ向かう地下通路は、昼休みの人波で埋め尽くされていた。
スーツ姿の会社員。
買い物帰りの主婦。
観光客らしい若者たち。
誰もが自分の目的地へ急ぎ、立ち止まる者はいない。
その雑踏の中で、修司だけが異物のような感覚を覚えていた。
《観測者》の熱は弱い。
だが完全には消えていない。
地下に降りるほど、右腕の奥がじわりと疼く。
玲奈は修司のすぐ隣を歩いていた。
普段より口数が少ない。
周囲を警戒しているのが分かる。
「大丈夫か」
「人が多いだけです」
そう答えながらも、彼女の指先は修司の袖を軽く掴んでいた。
大阪駅前第2ビル地下2階。
古い喫茶店や定食屋が並ぶ、雑多な昭和の空気が残ったフロアだ。ほわほわ煮込みハンバーグは食べたいところだが…
約束の喫茶店の奥の席に、黒田はすでに座っていた。
珍しく冗談も言わず、灰皿の横で冷めかけたコーヒーを弄っている。
「遅かったな」
「電車が混んでた」
黒田は玲奈にも軽く会釈した。
「玲奈ちゃんも来たか。正解だ。今日は一人で来ない方がいい」
その言い方に、修司は眉をひそめる。
「何があった」
黒田は周囲を確認し、声を落とした。
「昨夜消えた保守員、名前は坂井健二。四十八歳。東梅田駅の設備点検担当だった」
テーブルに一枚のコピーを置く。
地下鉄職員の顔写真付き資料。
普通の中年男性にしか見えない。
「問題はここからだ」
黒田はスマホを取り出し、動画を再生した。
監視カメラ映像だった。
時刻は 23:58。
東梅田駅の保守通路を、作業服姿の坂井が一人で歩いている。
次のカメラへ切り替わる。
坂井は通路の奥で立ち止まった。
そこには、本来なら壁しかないはずの場所に――
下へ続く階段が映っていた。
修司の背筋が冷える。
階段の先には、薄暗いホームらしき空間。
白いタイル。
古い蛍光灯。
そして、線路の向こう側に立つ黒い人影。
昨夜《観測者》が見せた光景と、ほとんど同じだった。
玲奈が小さく息を呑む。
「同じ……」
黒田は動画を止めた。
「坂井はその階段を降りた。で、次のカメラには映ってない」
「警察は?」
「設備図面に存在しない階段だから、最初は映像の破損扱いだ。でも美咲たちは本気で調べ始めてる」
修司は黙って映像を見つめた。
階段の先の暗闇が、妙に現実味を帯びている。
その時だった。
店内のスピーカーから流れていたジャズが、一瞬だけ途切れた。
ブツッ。
そして微かに、別の音が混ざる。
――キィィィィィ。
地下鉄のブレーキ音。
修司だけではない。
玲奈も顔を上げ、黒田も眉をひそめた。
店内の他の客は気づいていない。
「……聞こえたか?」
黒田が低く尋ねる。
修司はゆっくり頷いた。
《観測者》が反応する。
【誘導波強度上昇】
【対象との距離:やや近接】
近い。
東梅田駅は地下通路で繋がってはいるが
距離としては離れてはいる。
修司はコーヒーカップを置いた。
その瞬間、店の窓ガラスに映る地下通路の人波の中に、不自然なものが見えた。
黒いコート姿の男。
顔がぼやけて見えない。
だが男は歩いていない。
雑踏の流れの中で、ただこちらを見て立っていた。
修司が目を凝らした瞬間、男の姿は人波に紛れて消えた。
玲奈が小さく修司の腕を掴む。
「どうしました?」
「今、あの通路に誰かいた」
黒田が辺りを見回す。
しかし窓の外には、普通の通行人しか見えない。
修司は胸の奥に嫌な確信が広がるのを感じた。
《第零駅》は、ただ地下に存在するだけではないのか。
こちらを認識し、誘導しようとしている。
黒田は真剣な顔で身を乗り出した。
「修司、もう一つある」
「まだあるのか」
「坂井が消える三日前、別の保守員がこんなことを言ってた」
黒田はメモ帳を開き、書き写した文章を読み上げた。
『終電後、東梅田駅のホームに“0番線”の表示が出ていた。気づいた時には消えていた』
0番線。
修司の右腕が強く脈打つ。
ズキン。
視界の端に、青白い文字が浮かび上がった。
【《第零駅》接続条件の一部を確認】
そして続けて、冷たい一文が表示される。
【“0番線”を視認した者は、門に記録されます】
修司はゆっくりと顔を上げた。
地下二階の喫茶店の外では、無数の人々が何事もなく行き交っている。
その近くで、存在しない駅が静かに人を選び始めていた。




