第15話 観測者の一撃
《アビス・イーター》の無数の眼が、一斉に赤黒く染まった。
修司は空中で短槍を握り締める。
狙うのは、青白く脈打つ深海魔力導管。
《観測者》の予測線が収束する。
【最適角度:右斜め下 12度】
【残り時間:0.8秒】
「――っ!!」
修司は身体を捻り、全体重を乗せて槍を突き出した。
ズブァァッ!!
青白い液体が爆発するように噴き出した。
同時に、導管内部を逆流する凄まじい魔力が修司の右腕へ流れ込んでくる。
「ぐああああっ!!」
焼ける。
腕の骨まで灼けるような痛み。
視界が真っ白に染まり、《観測者》の表示が狂ったように点滅した。
【過剰魔力流入】
【使用者損傷率:危険】
だが次の瞬間――
ギャアアアアアアアアッ!!
《アビス・イーター》が絶叫した。
巨大触腕が激しく痙攣し、青白い亀裂が全身へ走っていく。
魔力逆流は成功したのだ。
「やった……!?」
あやめが叫ぶ。
だが修司の身体は、そのまま海水へ落下した。
ドボンッ!
冷たい水が全身を包み込む。
深い。
異常なほど深い。
水中なのに、どこまでも底が見えない。
修司の意識が遠のきかける。
その時、銀色の光が水中へ飛び込んできた。
玲奈だった。
「修司さん!!」
彼女は迷いなく水へ飛び込み、修司の腕を掴む。
普通なら溺れてもおかしくない。
だが玲奈の周囲には、あの銀色の光が広がっていた。
《観測者》が微かに反応する。
【精神共鳴フィールドが肉体保護へ拡張】
玲奈は必死に修司を引き上げようとする。
「こんなところで……置いていかないでください……!」
その声は震えていた。
普段は従順で大人しい彼女が、今は泣きそうな顔で修司を抱き締めている。
修司は薄れかけた意識の中で、彼女の温もりを感じた。
その頃、空洞では異変が起きていた。
魔力逆流を受けた《アビス・イーター》の触腕が、次々と崩壊を始めていたのだ。
青白い光が内部から溢れ、巨大な肉塊が泡となって消えていく。
美咲が驚愕する。
「本当に逆流した……!」
しかし、本体はまだ健在だった。
空洞の奥から響く咆哮は、むしろさらに凶暴さを増している。
ゴォォォォォォッ!!
天井の海水が大きく裂け、巨大な頭部が完全に姿を現した。
《アビス・イーター》本体。
その大きさは、もはや小型潜水艦に匹敵する。
黒い鱗の隙間から、青白い魔力が漏れ出していた。
深海の巫女が顔を青ざめさせる。
『導管を傷つけられた……怒っている……』
美咲は即座に判断した。
「相良さんを回収する! 黒田さん、援護を!」
「了解!」
黒田は警棒を握り直しながら、水際へ駆けた。
「修司ー! こんなところで主人公退場は許さんぞー!」
水中。
玲奈は必死に修司を引き寄せていた。
だが修司の右腕は黒い紋章ごと青白く輝き、異常な熱を放っている。
《観測者》が暴走しかけていた。
その瞬間、修司の頭の中に、再び深海の巫女の声が響いた。
『観測者……目を開けて』
暗闇の中で、巨大な樹木が見える。
世界中へ根を張る《深き母》。
そして、その根を喰らおうとする無数の黒い影。
アビス・イーターは、その一匹に過ぎない。
『まだ終わっていない』
修司は薄く目を開けた。
視界の先には、泣きそうな顔の玲奈がいる。
「……玲奈」
「修司さん!」
彼女の表情が一気に明るくなる。
修司は苦笑した。
「相変わらず……無茶するな」
「それはこっちの台詞です!」
玲奈は半泣きのまま修司を抱き締めた。
その瞬間、銀色の光がさらに強く輝き、二人の身体を包み込む。
水面へ向かって、ふわりと浮かび上がる感覚。
岸へ引き上げられた修司は、激しく咳き込みながら海水を吐き出した。
美咲がすぐに状態を確認する。
「生きてる!?」
「……多分な」
右腕はまだ痺れているが、動かせないほどではない。
玲奈は修司の隣に膝をつき、離れようとしなかった。
その手はまだ震えている。
黒田が安堵したように息を吐く。
「心臓に悪すぎるぞ、お前」
あやめも駆け寄ってきた。
「魔力反応は!? 暴走してませんか!?」
修司が答えようとした、その時だった。
《アビス・イーター》本体が空洞の奥で大きく身をよじる。
そして崩壊した触腕の断面から、黒い霧のようなものが溢れ出した。
《観測者》が最後の警告を表示する。
【注意】
【アビス・イーターは撤退を開始しています】
【しかし“卵”を残しました】
修司は顔を上げた。
《アビサル・ブルーム》の根元。
そこには、黒く脈打つ拳大の球体が静かに転がっていた。
深海の巫女はそれを見つめ、震える声で呟く。
『……最悪』
美咲が槍を構える。
「何なの、あれ」
修司の《観測者》が解析を終える。
そして表示された文字を見て、修司は背筋が凍った。
【名称:アビス・エッグ】
【危険度:不明】
【推定:新たなアビス・イーター幼生】
神戸湾の深海門は、まだ終わっていなかった。




