第14話 深海結界
《アビス・イーター》本体の咆哮が、第二階層そのものを震わせた。
ゴォォォォォォッ――!!
天井の海水が巨大な渦を巻き、青白い珊瑚が次々と砕け散る。
修司の足元では、《アビサル・ブルーム》から放たれた光が広がり続けていた。
それは半透明の水膜のような結界となり、空洞全体を包み込んでいく。
《観測者》が新たな情報を表示する。
【《深海結界》展開中】
階層安定化:進行中
精神汚染耐性:上昇
使用者負荷:高
同時に、猛烈な頭痛が修司を襲った。
「ぐっ……!」
膝が揺れる。
玲奈がすぐに背中を支えた。
「修司さん!」
彼女の手が触れた瞬間、銀色の光が修司の身体へ流れ込む。
不思議と痛みが少し和らいだ。
《観測者》が反応する。
【高槻玲奈との精神共鳴を確認】
【負荷軽減:17%】
「玲奈、お前……また助けてるな」
「よく分かりません。でも、修司さんが苦しそうなのは嫌です」
その言葉に、修司は少しだけ笑った。
こんな海底の異世界で、恋人に精神安定剤代わりにされるとは思わなかった。
だが状況は悪化していた。
結界に阻まれたアビス・イーターの触腕が、狂ったように暴れ始める。
ズガァァン!
巨大な吸盤が結界へ叩きつけられ、青白い膜に亀裂が走った。
深海の巫女が顔を曇らせる。
『長くは持たない……』
美咲が前へ出る。
「なら、本体を追い返すしかないわね」
黒田が思わず叫ぶ。
「いやいや、“追い返す”って簡単に言うけど相手はビルサイズだぞ!?」
あやめは震える手でタブレットを操作していた。
「結界がある今なら、アビス・イーターの魔力構造を観測できます!」
修司の視界にも、巨大な触腕の内部構造が浮かび上がる。
吸盤の奥。
さらにその先。
一本の太い魔力管が、本体へ繋がっていた。
【深海魔力導管】
【切断成功時、本体へ強制逆流を発生】
修司は目を細める。
「美咲、触腕を倒すんじゃない」
「何?」
「この導管を切れば、本体へ魔力が逆流する」
美咲は表示こそ見えないが、修司の指差す位置を確認して頷いた。
「狙える?」
「お前の槍ならな」
その時、水面が再び爆発した。
今度はアビス・イーターの頭部そのものが姿を現す。
巨大な裂けた口。
何百もの発光する眼。
その視線が、一斉に修司へ向けられた。
ゾクリ、と空気が凍る。
《観測者》が激しく警告を発した。
【観測者を優先排除対象として認識されています】
「最悪だな……!」
アビス・イーターが口を開く。
内部で青白い光が収束していく。
神戸湾で見た高圧水撃ブレスだ。
しかも至近距離。
《観測者》が予測を表示する。
【着弾まで:4秒】
「全員、伏せろ!」
修司が叫ぶ。
だが深海の巫女は動かなかった。
彼女は静かに両手を広げ、《アビサル・ブルーム》へ祈るように目を閉じる。
次の瞬間、巨大植物の花弁が一斉に輝いた。
ドォォォォン!!
アビス・イーターの水撃が放たれる。
だが《深海結界》が正面から受け止めた。
青白い膜が激しく波打ち、空洞全体が揺れる。
亀裂がさらに広がった。
巫女が苦しげに息を呑む。
『観測者……今のうちに……!』
修司は立ち上がった。
右手の紋章が灼熱のように輝いている。
《観測者》が導管への最短軌道を描き出した。
「美咲! 俺が道を作る!」
「無茶よ!」
「いつものことだ!」
修司は短槍を握り、結界の端へ向かって駆け出した。
ネレイスたちが行く手を塞ぐ。
だが《観測者》の予測線が、彼らの動きを先読みしていた。
右を避ける。
左の鰓核を突く。
半歩前へ。
身体が驚くほど滑らかに動く。
黒田が目を丸くした。
「おいおい、昨日まで一般ライターだった奴の動きじゃないぞ!」
修司はネレイスの間を突破し、暴れる巨大触腕の根元へ飛び込んだ。
そこには青白く脈打つ魔力導管が見えている。
《観測者》が最後の表示を浮かべる。
【成功確率:41%】
低い。
だがゼロではない。
修司は短槍を両手で握り締めた。
その瞬間、玲奈の声が背後から響く。
「修司さん――絶対に帰ってきてください!!」
その声に背中を押されるように、修司は全力で跳躍した。
短槍の切っ先が、青白く脈打つ深海魔力導管へ向かって一直線に突き込まれる。
そして次の瞬間――
《アビス・イーター》の無数の眼が、怒りに染まった。




