第13話 敵、壊すべきもの
槍の切っ先が、深海の巫女の喉元で止まる。
彼女は逃げなかった。
恐怖の表情すら浮かべていない。
ただ静かに、修司を見つめている。
背後ではネレイスたちの咆哮が響き、《アビサル・ブルーム》の核が激しく脈動していた。
時間はない。
美咲が叫ぶ。
「相良さん! 迷ってる暇はない!」
だが《観測者》の表示は、修司の判断をさらに鈍らせる。
【深海の巫女:敵対判定未確定】
【強制排除は推奨されません】
普通なら敵だ。
モンスターを生み出しているコアを守っている。
それでも修司は直感していた。
この巫女は、単純な怪物ではない。
『観測者……』
巫女がそっと手を伸ばす。
その指先は冷たい海水のように青白い。
『深き母は、世界を喰らおうとしているのではない』
「なら…何だ?」
修司は低く問い返した。
『崩壊を、支えている』
その言葉と同時に、修司の頭へ再び映像が流れ込んできた。
巨大な裂け目。
空から降る黒い光。
都市が崩れ、海が沸騰する光景。
そして世界中に根を張る無数の樹木型コア。
それらは侵略装置ではなく、裂けた世界を縫い止める杭のように見えた。
「……世界を、支えてる!?」
『門は傷口。母は、その傷口を塞いでいる』
修司は息を呑んだ。
もしそれが本当なら、コアを破壊することは単純な解決ではない。
その瞬間、空洞が大きく揺れた。
ゴォォォォ……!
《アビサル・ブルーム》の根元が裂け、黒い液体が噴き出す。
《観測者》が真っ赤に警告を表示した。
【異常事態】
【外部存在の侵入を確認】
「外部存在?」
次の瞬間、水面が爆発した。
ズガァァァン!!
巨大な触手が空洞へ突き刺さる。
黒い鱗。
無数の吸盤。
神戸湾で見た《アビス・イーター》の触腕だった。
「嘘でしょ……!」
美咲が顔色を変える。
アビス・イーターは第二階層の外にいたはずだ。
だが今、その巨大な本体が《アビサル・ブルーム》へ向かって触手を伸ばしている。
深海の巫女が初めて表情を変えた。
驚きと、恐怖。
『母を喰らう気……!』
修司は理解した。
アビス・イーターは守護者ではない。
捕食者だ。
《アビサル・ブルーム》のコアを喰らうために、この階層へ侵入してきたのだ。
触手が巨大植物へ巻き付き、赤黒い核を締め上げる。
《アビサル・ブルーム》が苦しむように脈動した。
ネレイスたちが一斉に悲鳴を上げる。
あやめが震える声で叫ぶ。
「コアが破壊されたら、この階層そのものが崩壊します!」
黒田が顔を引きつらせる。
「つまり俺たちも海の底に生き埋めか!?」
状況が最悪の方向へ転がっていく。
美咲は即座に槍を構えた。
「相良さん、判断して!」
修司は巫女を見る。
彼女は《アビサル・ブルーム》を庇うように立っていた。
敵ではない。
少なくとも今は。
修司は短槍を握り直し、決断した。
「巫女は、攻撃しない!」
美咲が一瞬驚く。
「本気?」
「本当の敵はあれだ!!!」
修司は巨大触手を指差した。
《観測者》が解析を始める。
【アビス・イーター触腕】
危険度:C
弱点:吸盤列中央の神経束
切断可能性:中
「美咲! 吸盤の中央を狙え!」
「はい!!」
彼女は魔石槍を全力で投擲した。
青白い光槍が触手の吸盤列へ突き刺さる。
ギャアァァァァッ!!
耳を裂くような悲鳴が空洞を震わせた。
触手が大きく痙攣する。
その隙に修司は《アビサル・ブルーム》の根元へ駆け込んだ。
巫女が驚いたように修司を見る。
「…コアを壊すんじゃない」
修司は短槍を触手へ突き立てた。
「守るために、来た」
巫女の瞳が大きく揺れる。
修司の右手の紋章が、これまでにないほど強く輝いた。
《観測者》が新たな表示を浮かび上がらせる。
【深海の巫女との共鳴を確認】
【一時権限:《深海結界》を使用可能】
次の瞬間、《アビサル・ブルーム》の花弁が一斉に開いた。
青白い光が修司の身体を包み込み、巨大な結界が空洞全体へ広がっていく。
そして深海の巫女は、初めて修司へ向かって微笑んだ。
『ありがとう、観測者』
その直後、空洞の奥から《アビス・イーター》本体の咆哮が轟いた。
海底回廊全体が激しく揺れ、さらに巨大な影がこちらへ近づいてくる。
どうやら本当の戦いは、今から始まるらしい。




