第11話 深海の巫女
水面の下から浮かび上がった影は、一つではなかった。
青白い眼。
細長い腕。
珊瑚と海藻が絡み合ったような異形の身体。
十体、二十体――いや、それ以上。
《観測者》の表示が次々と更新される。
【深海眷属】
危険度:E+
群体行動型
精神誘導フェロモンを放出
「囲まれてる……!」
美咲が槍を構え直した。
深海の巫女は巨大植物の前に立ったまま、静かに微笑んでいる。
その微笑みは人間の女性に近い。
だからこそ不気味だった。
『観測者……』
巫女の声が空洞全体に響く。
耳で聞こえるというより、頭の中へ直接流れ込んでくる。
玲奈が小さく顔をしかめた。
「頭の中に……声が……」
修司も同じだった。
だが《観測者》が自動的に反応し、声の意味を解析していく。
《深き母は目覚めを待っている》
《門を閉じるな》
修司は眉をひそめた。
「こいつ……会話してる」
あやめが興奮した声を上げる。
「知性体です! 完全な知性体ですよ!」
「研究者モードになるの早すぎるだろ」
黒田が呆れる。
次の瞬間、深海眷属たちが一斉に水面から跳び上がった。
「来る!」
美咲の魔石槍が青白く輝く。
彼女は最初の一体を正確に突き貫いた。
眷属は黒い泡となって崩れる。
だが数が多すぎる。
左右から次々と飛びかかってくる。
修司の視界に予測線が浮かんだ。
【右前方:0.7秒後】
【左後方:1.2秒後】
身体が自然に動く。
短槍を振り、右から来た眷属の喉を突き刺す。
さらに半歩踏み込み、背後から迫った個体の頭部を石壁へ叩きつけた。
「修司さん!」
玲奈が背後を指差す。
三体の眷属が同時に襲いかかってくる。
修司は咄嗟に玲奈を庇うように前へ出た。
その瞬間、玲奈の胸元から淡い銀色の光が広がった。
ビリッ!
眷属たちが苦しげに痙攣し、動きが鈍る。
美咲が驚いた顔をした。
「精神干渉を弾いた……?」
玲奈自身も驚いている。
「わ、私……何かしました?」
修司の《観測者》が表示を更新する。
【高槻玲奈】
【精神共鳴反応を確認】
【対精神汚染耐性:高】
「玲奈、お前……精神攻撃に強いらしい」
「そんなゲームみたいな説明をされても困ります……!」
だが事実として、彼女の周囲だけ眷属の動きが鈍っていた。
黒田は鉄パイプ代わりに支給された警棒を振り回しながら叫ぶ。
「俺だけ能力なしなの理不尽じゃないか!?」
「十分しぶといから問題ない」
修司が返した直後、黒田は眷属の一体を思い切り蹴り飛ばした。
「しぶとさで戦うの嫌なんだが!」
そのやり取りに、緊張の中でも少しだけ空気が和らぐ。
だが深海の巫女は動かなかった。
彼女は《アビサル・ブルーム》に手を添えたまま、修司だけを見つめている。
その視線が妙に気になる。
まるで敵を見る目ではない。
“待っていた”ものを見る目だった。
巫女がゆっくり口を開く。
『観測者……なぜ、深き母を拒むの?』
同時に、修司の頭へ大量の映像が流れ込んできた。
暗い海。
沈んだ都市。
無数の門。
そして巨大な樹木のような存在が、海底から世界を支えている光景。
「ぐっ……!」
激しい頭痛に膝をつく。
玲奈が慌てて支える。
「修司さん!」
《観測者》が激しく明滅する。
【未知記憶データを受信】
【適合率上昇:5%】
頭の中に、一つの言葉だけが強く残った。
《深き母》
それは単なる怪物の名前ではない。
もっと巨大な、世界そのものに関わる存在だ。
美咲が巫女へ槍を向ける。
「修司さんから離れなさい!」
だが巫女は微笑むだけだった。
『観測者は、いずれ深き母の扉を開く』
その瞬間、《アビサル・ブルーム》の幹が大きく脈動した。
ドクン――。
空洞全体が揺れる。
天井の海水が渦を巻き、巨大植物の根元に青白い魔力が集中していく。
あやめが悲鳴に近い声を上げた。
「まずいです! コアが活性化してます!」
修司の視界に真っ赤な警告が浮かぶ。
【階層暴走反応】
【30秒以内に大量眷属出現】
美咲が即座に判断した。
「撤退する! 全員、入口方向へ!」
だが深海の巫女は静かに首を振った。
『もう遅い』
《アビサル・ブルーム》の花弁が一斉に開いた。
青白い光が爆発的に広がり、空洞の水面から無数の黒い影が立ち上がる。
それは先ほどの眷属とは比べものにならない大きさだった。
修司は短槍を握り直し、玲奈を背中へ庇う。
《観測者》が最後の警告を表示する。
【深海守護群出現】
【推定危険度:D〜C】
そして巨大な影の一体が、水を引き裂きながら五人へ向かって咆哮した。




