見切り刻
「…………動いたか」
三日目の早朝。本陣の櫓上に立つ靖破は、北鑑軍の陣地が慌ただしい気配を放ちだした事に気づく。それはシュラも同じだった。
『……寝てる奴等を起こしてやんな。殆ど休めてないだろうが、対応できないで永眠するよりマシだろ』
徹夜で張っている情報官を通して、シュラは主将達を起こした。
と言っても、爆睡しているのは嶄篠とマドロトスぐらいだ。諸将は直ちに動き出し、次いで兵士達にも戦闘態勢をとらせた。
ここで一度、両軍の残存戦力を洗い直す。
南側の戦場。于雲鮮軍一万二千・経清隊一千五百 対 北鑑軍八万三千。
西側の戦場。嶄篠隊四千 対 白眉軍五万・虎忙軍七千・陽堅北部軍二万一千・チバ勢一千(合計兵力七万九千)。
北側の戦場。祝覧隊五千・祝那隊五千 対 北部軍二万と楽羅軍十万。
東側の戦場。キクズナ隊四千・祝鉱隊五千 対 バルチャー勢三万。
陽慶本陣 靖破・シュラ・リナム。兵力二百。
靖破軍合計 三万六千七百 対 北鑑連合軍 三十一万二千。
各所優勢に戦いを進めていたが、それでも圧倒的戦力差は依然として変わらなかった。
「鮮坊。奴等は今日決める気だ」
「……はい、芳叔父さん。于雲一族の誇りを思い知らせてやりますよ」
「そうだな。悔いの残らぬ晴れ舞台にするとよい」
于雲鮮を始め北鑑軍と相対する将達は、皆が今日の戦いで死を覚悟した。
なぜなら今まで積極的に出てこなかった北鑑軍が、全体の足並みを揃えて出撃したのだ。
東から順に李迅、ムラサキ、姜純、ジョウセン、リグレイ。布陣こそ多少変われど、姜純を筆頭に北鑑軍の全戦力が出揃っている。最前線はやはり、于雲一党の兵達だ。
城壁上の本陣に居るリナムは、この様子を見て萎縮する。
戦争経験の浅い彼女でも、今の状況から来たる未来がよくわかった。
(……大勢の方が死んでしまう。もしかしたら……今日で靖破様とも……)
『…………おい、靖破』
「あぁ、見切り刻だ」
「えっ? 靖破様……?」
そんなリナムの心情を知ってか知らずか、シュラに促された靖破は北鑑軍の方角に向かって歩いていき、城壁の端まで行くとそこで覇気を纏う。
「嶄篠! 祝覧! キクズナ! 暫く耐えろ。今から北鑑軍を根絶やしにする」
「「「!!?」」」
靖破の聲は、陽慶を守る全将兵の耳に伝わる。当然、包囲する北鑑連合軍にもだ。
「その次は一番優勢な場所に駆け付ける! 俺に身を寄せたすべての武人達よ――」
そこで漸く、全員が気付いた。この聲は絶体絶命とも言える状況に気勢を削がれてしまった味方に対する、靖破なりの鼓舞なのだと。
「生き残りたければ、他より敵を殺せ……!!!」
「「「っ……ぅうおおおぉぉぉぉーーー!!!」」」
声量ではなく、圧で語りかける激励。後が無い于雲鮮軍を筆頭に、靖破の聲は陽慶四方に存在する全ての味方を奮わせた。
何万もの闘志の叫びは、風に乗って城壁上の本陣へ舞い上がり、およそ集約される形でリナムの肌に伝わる。
(凄い……! 靖破様の聲一つで、みんなが息を吹き返した! ……本陣を預かる私も、弱気になってはいけないわ! 私にも何かできる事を……!)
彼女は胸に熱くなるものを感じ、流れ出ようとする涙をぐっと堪えた。
最前線を張る武将達も、同じように感嘆の声を漏らす。
「ナマハハハハ! 靖家の小倅め、タレの二度塗りみたいな真似をしよる。これでは一方的な虐殺で終わってしまうぞぉ?」
「靖破殿が鼓舞とは……珍しい事もあるものだ。しかし、そのお陰で士気の高さは維持された。用兵家として、これほど好ましい開戦はない!!」
靖破がこういった激励をしないとわかっているだけに、嶄篠や祝覧、キクズナの戦意はますます上がった。
彼等は今後の展開を危惧するのも忘れ、まるで優勢側であるかのように、開戦の瞬間を心待ちにして構えた。
「靖破様! シュラ様!」
靖破が方天戟を握るや否や、彼の背中目掛けてリナムが声をあげた。
靖破とシュラが後ろを振り向くと、祝覧達と同じぐ憂いを忘れたリナムが、朝露に濡れた一輪の花の如く咲いていた。
「何卒、御武運を!」
「……フッ、すぐ戻る。そこで待っていたまえ」
『飯の用意しとけよ! 腹すかして返ってくるからな!』
「……はいっ!!」
靖破が本陣より飛び立つ時。それが正に開戦の時だった。それを前にして武運を祈るリナムこそ、靖破達にとって本陣たり得る存在である。
靖破は方天戟を突き出し、再び聲に出して味方に指示を出す。
真っ先に狙いを定めたのは、北鑑軍最左翼に位置するリグレイ隊五千だ。
「右から順に切り崩す。張侍、一千を伴って俺に続け……!」
「おおさぁっ!! 行くぞ張侍隊! 漢上げるぜぇぇーー!!」
右翼張侍隊の出撃に合わせ、靖破も城壁の上から飛び立った。
疾風を纏って宙を駆け、瞬く間に張侍隊より前へ出る。
「今だ!! 白眉軍出陣!! 大虎の牙の背後を取れ!!」
「「「オオオォォーーー!!」」」
「虎忙軍と陽堅軍も前進させよ。嶄篠を抑えておくのだ」
「白眉軍が来る。経清隊、迎撃態勢を取れ! 靖破殿の背を守るぞ!」
靖破が後方の予備戦力から外れたのを見て、白眉軍を指揮するレク・シュリクが自軍に号令を下す。副大将の隠渓も、友軍に嶄篠の足止めを命じた。
対する靖破側は、経清隊が迎撃に当たるべく陣形を改めた。
とはいえ五万 対 一千五百。正直に言って勝負にすらならなかった。
「蓋叔父さん、芳叔父さんっ! 手勢を率いて経清殿の援護をっ!!」
「……いいのか鮮坊。儂らが動けば、中央の坊は手薄そのものだぞ?」
「牙殿の敵左翼突破に、およそ一刻! 一刻耐えるだけなら俺だけで充分です!」
「……成る程、一刻か。その一刻が勝敗を分けるのだな!
――蓋兄上、聞こえるか! 儂等は白眉軍の足止めに当たろうぞ!!」
「うむ! その一刻に賭けよう!! 我等の全身全霊を以て、白眉軍を足止めする!!
――皆、続け!! 我等はこれより白眉軍の強襲を迎撃する!!」
「大敵を恐れるな! 全てはこの一刻にある!! 全力を尽くせーー!!」
「「「オオオォォォッ!!」」」
于雲蓋と于雲芳は張侍隊を追うよう動き、経清隊との合流を図る。
彼等が経清と連合すれば、兵力はざっと六千。それだけいれば、于雲鮮の見立てた一刻(約三十分)の時間稼ぎは可能と言えた。
だが、于雲鮮をしても靖破の武力は見誤っていた。
靖破は張侍隊の先を進みながら、シュラの魔力に合わせようとする。
「見くびるな于雲鮮。蛆虫の一掃に一刻もかけぬ」
『あぁ、半刻でも余る! 殺るぞ靖破!!』
「『魔力結合!!』」
一瞬の閃光が二人の姿を眩ませると同時、蒼く巨大な魔力柱が天を貫く。
巻き起こる暴風は周囲の灰燼を砂煙に変え、張侍隊とリグレイ隊の視界を奪った。
「失せろ、蛆虫ども……!」
高き砂塵の壁を突破して現れた靖破が、蒼月の方天戟を一薙ぎする。
その一閃は煙を晴らすと同時に多くの敵兵を両断し、視界を傾かせた兵士達は弾丸の如く射出した靖破を知らぬ間に絶命。
流血を伴わない鎌鼬の刃が、リグレイ隊の前衛二列を整地した。
「ひ、ひぃぃぃ――ぁえ……?」
一瞬遅れて思考を働かせた後列の兵士が、目の前の惨状を理解して恐怖に震えるものの、次の瞬間には体の違和感を覚えたまま暗転する。
靖破の繰り出した一閃から衝撃刃が波及し、後ろ二列の北鑑兵をも断ち切っていたのだ。
「リグレイ将軍! 前衛部隊が蹂躙されております!」
「見ればわかる。兵卒が束になって敵う相手ではない。……だが! 奴の魔力にも限界はある筈だ! 群れて攻め続ければいずれ勝機は訪れる!
――ジョウセンの兵も全てこちらに回させろ! 大虎の牙が一騎軍壊の武力を持つなら、我々は一軍となって相殺するのみ!!」
如何に契約者といえども、多勢に無勢ではいつか魔力切れを起こす。
リグレイは物量で靖破を疲れさせるべく、隣のジョウセン隊も巻き込んで迎撃した。
「ぎょえぇー! 一千対一万五千かよ。靖破の大将、これは骨が折れるぜ!」
「問答無用だ。蛆虫が一万を超えたところで、虎に敵う道理はない」
多少うざったいが、力の差は歴然。靖破は会話の最中にも百人ほどの北鑑兵を斬り伏せており、縦横無尽な暴れぶりに疲れの色は一切見えなかった。
そして彼が暴れれば暴れるほど、後ろに続く張侍隊は士気を上げて奮戦する。
靖破の影に隠れて二の次に見られるが、彼等の存在も脅威たり得た。
「くそっ……!? くそぉ!! これじゃ無駄死にだ!? こんな命令ふざけてる!!」
「魔人にさえ敵わねぇのに、契約者なんかをどうにかできる訳がねぇよ!!?」
「無理だ! 死にたくない!! 俺はこんな土地で死にたくない!! 死にたくないんだっ……!!」
やがて無双状態の靖破に恐れ慄いた北鑑兵達が、我先にと逃げ始める。
リグレイ隊はその流れを真っ当に受けた。伝染する恐怖に支配された兵士達は、皆で逃げる事が解決策とばかりに四散した。
「熱き思いも……暴勇の前には勝てぬのか……!? 無念だ……!!」
「独りよがりの無駄な熱量ほど、滑稽なものはない。この戦法とて無様なものだ。純然な大虎兵なら死を厭わず魔人を殺るが、大国に胡座をかいた蛆虫どもにやれる訳がない」
崩壊したリグレイ隊の突破は、紙を裂くより簡単な事。靖破はリグレイの本陣にあっという間に迫り、増加する逃亡兵の対応に意識を取られたリグレイに急接近した。
対するリグレイも、最期を覚悟して得物を抜いた。
「…………そうか。成る程な。しかし! 北鑑に人無しと思うなよ! このリグレイ、当たれば死ぬとわかっていても、勝利の為に逃げはしない!!」
「刻が惜しい。一撃で終わらせる」




