熱量の違い。例えるなら薔薇とぺんぺん草
陽慶西側 虎忙軍本陣
「…………飽いた。余は石岳に戻るぞ」
靖破の威圧が陽慶四方に展開する連合軍を怯ませる中、恐怖とは別の感情をもって戦場を去ろうとする者がいた。
白眉王の強い根回しにより、半強制的に出陣させられた虎忙だ。
彼は以前、シュラの殺意を受けて尚、微塵も身じろぐ事がなかった。
今回もそうだ。彼は靖破の覇気に恐れ慄いた訳ではない。ただ己の気分に従って、つまらないという理由から兵を引き始めたのである。
「傅磑将軍! 傅磑将軍! 我が軍後方の、虎忙様の本陣が後退しております!」
「何だと!? まさか今ので怖じ気付かれたのか!? いかん、踏みとどまるように進言せねば! 少しだけ離れるぞ! 前軍は任せた!」
その様子を傅磑が知れば、彼は盛大に慌てふためいた。
当然だ。開戦を前にして自軍の総大将が敵前逃亡するなど、物笑いの種を通り越して末代までの恥。正統な大虎本軍を指揮する傅磑としては、國の面子に関わる一大事である。
「大王様! お待ち下さい! 一戦も交えずに兵を退くなど、あってはならぬ事!! 世界中から誹りを受け、他国はもとより、臣民は大王を見放しますぞ!! 靖破に恐れを抱いたにしても、逃げてはなりません!! 逃げるは死に勝る恥辱です!! 國の威信を失墜させ、根幹を揺るがせる真似はお止めくだされ!!」
「カカッ。傅磑よ、思う事を全て吐かねば気が済まぬか。えらい慌てぶりよな」
「臣下として慌てずにいられますか! 大王。お戯れのつもりなら即刻お止めくだされ! この行動は必ずや、近い未来に我等の自滅を招かせます。何卒、戦場へお戻りを!!」
「ふん……勘違い致すな。余は戦が怖くて帰るのではない。この戦に付き合う価値がなくなった故に帰るのだ。諸国連合軍にはそう伝えておけ」
「何を仰られますか! そのような理由で、諸国が納得する筈がございません! 納得どころか、北鑑や白眉はこれを協定違反と定めて大虎全土を攻め滅ぼす口実にするでしょう! 大王の為にも、戦線離脱だけはお考え直しいただかねば! どうか戦場にお戻りを!!」
「……戦場か。見やれ傅磑。先の一聲で、この戦の主役が靖家のものになってしまったではないか。頭が高いだけに飽き足らず、余の存在まで搔き消しよる。実につまらぬわ。
――それとな……我が目で陽慶を見て、冷めに冷めた。あれはただの瓦礫の山ではないか。宮殿など期待できそうもない。石岳の方が遥かに極楽だ」
「……大王……。どうしても、どうしても石岳に帰還なされるのですか?」
「くどい。話は先に聞いた。理由も今述べた。余がここに居る意味はもうあるまい」
「……大王は……何を目指しておられます。大虎の王となった今、大王の目指す場所はどこにございますか!?」
「決まり切った事を今さら聞くでない。余は常に言っておろうが。求めるは極楽である……と。大虎王になったのも、全てはそれ故だ」
自分の影響力をまるで理解していない王に、何を言っても無駄だった。
傅磑の懸命な説得も虚しく、虎忙は我関せずとばかりに兵を退いてしまう。
傅磑はせめて自分だけは残らねばと思い、先陣を受け持っていた息子の傅冬を呼び寄せるや、彼を虎忙の護衛に付かせて石岳へ帰還させた。
白眉軍本陣
「虎忙軍指揮官・傅磑将軍より報告です! 「我が軍の大将・虎忙は急の発病により、戦線を離脱する。これよりは傅磑が大将の代理を務める」と」
「フッ……苦し紛れについた嘘がそれか。子供の言い訳でも、もう少しマシな嘘がつけよう。恐れをなした虎忙、尻拭いをさせられる傅磑。どちらも取るに足らぬ愚か者か」
「いえ。恐れをなした訳ではない様子。不気味な静けさのまま下がるは、単に英気を損なったと見るべきでしょう」
もたらされた報告を前に、鼻で笑うのは白眉軍大将を務める第一王子レク・シュリク。
撤退の様子から大まかな事情を察する慧眼の持ち主が、白眉王より副大将兼御目付役を任されている隠渓だ。
二人は友軍の情けない姿を見ても、動揺するどころか平然と会話を続ける。
というのも端から虎忙軍に期待していなかったのだ。
「愚か者に変わりはない。退くにしても機というものがあるだろうに。靖破の威圧を受けて即退散など、愚行この上ない」
「猛る大虎と呼ばれたあの國の軍隊も、今や流れる雲の如し。利用できるだけ利用し、早々に切り捨てるがよろしいかと思われます」
「私もそう考えている。犠牲は少なく、獲物は極上を狙うぞ。
――老将軍。テズキと王洪佗の二将にも、その旨を伝えよ。「今しばらく様子を見てから翼を広げる故、進んで手を出すは禁ずる」……とな」
「承知しました。では我等は横陣のままどっしりと構え、 “栄え” ある先陣は他国に譲るといたしましょう」
白の軍装で固められた白眉軍は、左に陽堅の北部軍、右に傅磑の虎忙軍を侍らせる形で待機。兵の動揺を上手く治めた。
陽慶南東 バルチャー軍
冷静な白眉軍とは裏腹に、傅磑と同じ大虎軍の将軍であるバルチャーは、虎忙撤退の急報を聞いて激しく動転した。
「…………信じられん! 大虎の王ともあろう者が、開戦を前に敵前逃亡だと……!? そのような愚行は是が非でも止めねば!」
未完成の布陣を放り出し、バルチャーは真反対に位置する虎忙軍の本陣へ向かう。
途中、北鑑軍の陣営を通るが、そこから浴びせられる視線は冷ややかなものであった。
北鑑軍本陣
「姜純様! 右翼バルチャー勢より、大将のバルチャーが陣を抜け出して西に向かっています! 撤退中の虎忙軍の許へ向かうものかと思われます!」
「虎忙軍は既に半数が撤退しました。後には傅磑の部隊だけが残っています」
「ああ、そうだな。まぁ放っておけ。もとから奴等なんぞあてにしちゃいない」
「ゔーぁーー、おっぱいおっぱい!」
「あぁ、おっぱいだな。雄っぱいたくさんだな。惨めなもんだぜ」
虎忙軍の慌てぶりを聞いて尚、姜純は意に介さず。
寧ろ狂人になった奚笵と遊ぶほど、虎忙の事などどうでも良かった。
「……とは言え、このままってのもつまらねぇな。奴等の逃亡で兵どもの士気は間違いなく下がった」
紛いなりにも強者である姜純は、一連の流れで無勢の靖破軍に戦局が傾いた事を理解していた。このまま開戦という訳にはいかないと。
「兵どもに喚声を上げさせろ。まずは数の圧ってので、自分達が有利だと気づかせる」
兵士が自分自身を奮わせる為に、姜純は北鑑軍全兵に喚声を上げるよう指示を出す。
各将軍達は直下の兵団に命じ、北鑑軍全体が見せかけの喚声を上げた。
しかし、他國の軍がそれに便乗する事はなかった。
白眉軍は幼稚な下策と鼻で笑い、虎忙軍は大将不在で指揮どころではない。北部軍本隊や陽堅軍も元々の戦意が乏しく、楽羅軍に関しては上将と呼べるべき人物がいなくて軍全体の動きが極端に悪かった。
結果、北鑑軍の喚声は、虚しさが残るだけで徒労に終る。
それは正面で相対する于雲鮮は当然ながら、反対側に布陣する祝覧にも知れ渡った。
「ふふふ……まるで子供の遊びだ。姜純は武力に秀でていても、大軍を束ねる将器ではない。その事をいい加減に気付くべきだ。……身の程を弁えない愚かな大将に従う兵が、不憫で仕方ないな」
「統率のとれない連合軍ほど滑稽なものはない……か。姜純は自らの軍を動かすだけに徹し、諸国連合の指揮はフルバスディか白眉王でなければ務まらぬようだ」
所詮は寄せ集めの連合軍。プライドの高い白眉の第一王子や、暗愚でも虎忙に従う傅磑やバルチャーなどの大虎軍将兵が、フルバスディの属将に過ぎない姜純の号令に協力する訳がなかった。
「敵の不和につけ込むは軍法の肝だ! 祝家ならではの意趣返しを用いて、姜純という大将の情けなさを助長させるとしよう!」
何かを閃いた祝覧。単身で北部軍の前に身を晒すや、祝家の兵団に向けて聲をあげた。
「祝鉱! 反対側の北鑑軍が何やらさえずいているぞ! 男の雄叫びがどんなものか、お前達が手本を見せてやれ!!」
「よォーーッし!! 俺様に任せとけ兄貴!!
――おい、オメェ等!! 兄貴に向かって喚声を送れェェ!!」
「馬鹿者。今は敵だぞ。応援するな――」
「「「祝覧将軍!! 祝覧将軍!! 祝覧将軍ッ!! オオオォォォォーーーー!!!」」」
途中で龍伯が止めるも、祝家の兵団は平常運転さながらに、祝覧へ声援を送り始めた。
「「「ドドンドドン!! ドドンドドン!! ドドンドドンドンドン!!! ハイハイッ!!」」」
「「「我等が尊師・祝覧将軍!!」」」
「「「ハイハイッ!!」」」胸筋ビキビキ!!
「「「我等が恩師・祝覧将軍!!」」」
「「「ハイハイッ!!」」」腹筋バキバキ!!
「「「我等が指標・祝覧将軍!!」」」
「「「ハイハイッ!!」」」服がビリビリ!!
「「「“はい” は一回という教えだハイハイッ!!」」」
「「「ハイハァァーーッイ!!!」」ワァーオッ!! 裸鎧こそ北部の漢!!
「「「いざ唱え我等が讃美歌!! エル・オー・ブイ・イー!!」」」
「「「「「「祝覧将軍ゥンーーー!!!」」」」」」色んな汁がブシャー!!
天を焦がし地を頬染めさせる大歓声。連合軍にあって北部軍の一部(祝家の兵団)だけが、本気で士気を奮わせた。




