于雲一党の底力
萓九・萓乗南部 靖破軍防衛線
靖破とシュラの出撃より、少し前の事。眞城より討って出た北鑑・バルチャー連合軍は、三手に別れて萓九と萓乗に侵入した。
一塊の大軍として攻めるより、三箇所より同時侵攻を仕掛けた方が靖破軍を惑わせられると、ムラサキは判断したのだ。
(……尤もそれだけではないがな)
ムラサキは本隊とも呼べる二万を引き連れて中央を進んでいた。
迎撃に現れたのは、亡命の際に討ち損ねた于雲鮮。戦歴豊富な一門衆を伴い、雪辱を晴らさんものと息巻いていた。
「予想通り士気が高い。やはり勢い任せの張侍や鐘鬼とは比べ物にならんか。奴等を離れさせて正解だった」
ムラサキが全軍を三つに分けたもう一つの理由が、用兵の玄人たる于雲鮮に多くの兵士を指揮させない為だ。
平民や義賊出身の張侍や鐘鬼とは違い、名門出の于雲鮮はその名前だけで兵士の士気を上げ、幼少より叩き込まれた戦術理解の深さは軍の強さを倍にしてしまう。
そんな男に迎撃軍の全てを指揮させれば、如何にムラサキの勢力が上回っていたとしても、最悪敗れる可能性があった。
「厄介だった藤原の小娘はもういない。突出した攻め手を失った于雲一族に、この盤面を覆す事は不可能だ。
――左軍・右軍の突破に合わせて我等本軍も前進するぞ。準備しておけ」
ムラサキは冷静な于雲鮮が、恨みに任せて攻撃を仕掛けてこない事を理解しており、自分の狙いも見透かされている筈だと思っていた。
故に敢えて攻める事はせず、左右の友軍が張侍と鐘鬼を打ち破る、もしくは于雲鮮が援護に兵力を割いて備えを薄くするのを待つことにした。
そして事実、于雲鮮はムラサキの考えを察していた。
その上で彼は、血気に逸る一門衆を制止し、予備隊を手配する。
(…………ムラサキが左軍・右軍の撃破を待っているのは確かだ。やむを得ないとは言え、鐘鬼殿や張侍殿と離されたのは痛いな。せめてこちらから援軍を派遣して、両軍の崩壊を防ぐ必要がある)
「左右の玄叔父さんと芳叔父さんに伝令だ。内容は「それぞれの予備隊を張侍・鐘鬼隊に送っていただきたい。叔父さん達の援護は俺の本陣がする」」
各所に配備された一門衆のうち、左翼に入った霊玄(四男)、中央前衛に入った于雲蓋(次男)、右翼に入った于雲芳(三男)は、一際優れた歴戦の猛者だ。
その実力は独自の軍を持っていても不思議ではなく、霊氏の養子に入った霊玄に至っては一領主として確かな軍を持っていた。
「なに? 鮮坊が右に援軍を遅れと? ……ふむ、相分かった。倅を向かわせよう」
「ワハハハハ! 危うしは左の味方か。いいだろう。霊氏最強の息子を当ててやるわい!」
この場は持久戦を要すると判断した霊玄と于雲芳は、若くて元気な息子達を援軍の将として派遣する。
後は民の避難が完了するまで、于雲鮮を含む三軍が防衛線を堅守するだけだ。
では左軍の鐘鬼、右軍の張侍の様子はどうかと言うと――
対北鑑軍 張侍率いる右軍
「張侍将軍! 敵の別働隊が俺達を迂回して……後方の民を狙ってるそうです!」
「将軍ヤバイ! さっき対応に行った奴等があべこべに奇襲されちまった!!」
「副官の部隊が苦戦中です! 今度はあっちに敵の強部隊が出現したらしい!」
「ちっ……くしょおぉーー!! あの小ムラサキめ! チマチマと嫌らしい手ばっかり使いやがって!! 正々堂々戦えや!!」
相次ぐ敗報に、最前線で得物を振るうタイプの張侍は翻弄されまくっていた。
兵力差もさる事ながら、張侍隊の士気の低さがもっとも影響しているといえた。
対バルチャー軍 鐘鬼率いる左軍
「くっ……音に聞こえし舞闘剣のバルチャー。手強い……!」
「いやいや、君も中々やる。義賊ながら北鑑と渡り合ったという話は間違いではないな」
馬上での一騎討ちはバルチャーが優勢。軍同士の戦いも多少の手加減こそあるが、倍の兵数を持つバルチャーに圧倒的利があった。
「……だが、君は運が悪い。同じ大虎軍が相手であれば融通を利かしてやるのだが、あいにくと元北鑑の者にまで、その気を回すつもりはないのだよ」
鞭の様にしなって見せ、それでいて鉄塊の様に重い剣撃が襲い掛かる。
長巻を得物とする鐘鬼は、その攻撃を受け流すだけで精一杯だった。
姜純と戦った際にも言える事だが、手数で勝負する鐘鬼は、パワーに優れる敵の相手は苦手としていた。こちらの攻撃ごと圧殺され、流れをとられてしまうのだ。
「まだだ……! まだ、やれるぞ! オレはこの程度で音を上げん!」
「フフフ……! 若い。そして熱いな。正直惜しいとは思う。だが、私とて手柄を立てねばならん立場なのだ。兵の荒波に呑まれても、悪く思わないでくれ」
「……前衛が崩れているのか!? 今すぐ巻き返してやる! オオオォォ!!」
「個人の気合だけではどうにもならんよっ! 経験不足でも将軍の端くれなら、直感的にわかるものだろう!」
バルチャーの指揮がなくとも、彼の軍勢は鐘鬼軍を蹴散らし始めた。
鐘鬼の他に、兵を指揮できる中級指揮官が不足しているからだ。
これでは仮に用兵合戦となっても結果は同じだろう。于雲夏や奚范の下で攻撃の駒として活躍していた鐘鬼軍は、単軍で臨機応変に戦う術が備わっていなかった。
結果として、于雲鮮とムラサキが対峙する前に開戦した張侍・鐘鬼軍は、ムラサキの副将の軍と、バルチャーの軍を相手に押し負けてしまう。
「ちっ……このままだと本当にやべぇ! 張侍軍、一旦下がるぞ!! 副官にも伝えろ! 軍を下げて態勢を立て直せ!! 殿は俺がやる!!」
「全軍後退だ! 後方の陣まで一度下がれ!! バルチャーは俺が止めておく!」
被害を増しながら戦い続ける二軍だが、前衛の崩壊を機に後退を余儀なくされた。
この時点で士気の低下から、逃亡兵も見え始めた。相対する敵の別働隊も戦場を迂回して、背後に廻りつつある。
靖破軍の南部防衛線は左右の軍から内側に下がり、俯瞰して見れば扇状となった。
そうなれば中央に位置する于雲鮮は三方向から攻められる危険が生まれ、彼の軍も必然的に後退せざるを得ない。
その動きを対峙するムラサキが見逃す筈はなく、于雲鮮軍の後退を見て笑みをこぼす。
「……于雲鮮が下がり始めたか。左右両軍に揺らぎが生じた証拠だ。直に我々の出番となる。突撃の合図だけは聞き逃すなと、兵達に改めて伝えよ」
「「「オオオォォッ!!」」」
戦わずとも士気が上がるムラサキの本軍。対する于雲鮮も、友軍の苦戦を知りつつ兵の士気を保ち続けていた。
(次の援軍を出せば、ムラサキは攻め寄せるに違いない。それでも援軍を出さなければ、おそらく三軍が敗走する事態になるだろう)
「……正念場が来るぞ。本陣の予備兵を全て使い切るから、一瞬も気を緩めないように」
「「「御意ッ!!」」」
于雲鮮を含む本陣部隊も戦う事になる。彼等からすれば正に総力戦であった。
場所は再び、張侍・鐘鬼軍 対 ムラサキ副将・バルチャー軍の戦場。
こちらでは于雲鮮が送り出した救援部隊が、両軍の窮地に間一髪で駆けつけていた。
「于雲休、助太刀に参った! ムラサキの好きにはさせんぞ!」
「霊清推参! 御味方の方々、よくぞ耐えられた!!」
霊玄と于雲芳の息子達は、背後に廻らんとする敵の別働隊を急襲撃破し、減退した友軍戦力の穴を埋め、不足している現場指揮能力を改善する。
歳は張侍や鐘鬼と大差無いものの、軍才という面では幼少より叩き込まれた彼等に一日の長があると言えた。
「おっしゃ! 援軍だぜ! まじ張侍感謝感激!!」
「于雲鮮殿の援軍か……! かたじけない!」
敗走寸前だった二軍は援軍を得てなんとか持ち直し、追い討ちを掛けていた北鑑軍およびバルチャー勢が、奇を突かれて態勢を崩す。
「……両翼の叔父さん達に伝令! 再度一千の兵を左右の援軍に向かわせるべし!」
張侍・鐘鬼軍の窮地を救って尚、于雲鮮はまだ足りないと思った。
故に、両翼から既に一千ずつ派遣した状態から、更に一千ずつ救援に向かわせる。
これで于雲鮮軍は六千となり、ムラサキ本軍との兵力差は三倍を超えた。もちろん自軍の危険を重々承知の上で出した援軍である。
そして兵力が減った于雲鮮軍を見て、ムラサキの本軍二万は遂に進撃を始めた。
「おぉ、来おったなムラサキめ。返り討ちにしてくれる!!」
「フフフ、鮮坊も人遣いの荒い。若手は外して、年寄りどもに正面を任せるとはな!」
「ワハハハハ! 于雲一族の本領は逆境でこそ発揮される!! 者共臆するな! 敵を討てェ!!」
中央前衛の于雲蓋、右翼の于雲芳、左翼の霊玄が、兵達を叱咤激励する。
于雲鮮もまた、なけなしの騎兵を率いて本陣を出撃した。
歩兵は全て両翼の備に回し、自身の護衛を兼ねる騎兵はおよそ三百騎という状況だ。
「皆、よく聞け。この一戦は勝つことが目的ではない。民の避難が終わるまでの時間稼ぎだ。敵との兵力差は、騎馬の機動力と俺の魔力を以て埋める。
――この三百に満たない俺達が、後方を守る鉄壁の翼だ!! 心して掛かれ!!」
「「「オオオォォッ!!」」」
于雲鮮の檄で士気の高まった騎馬隊が、大兵の利を用いた物量攻めを行うムラサキ本軍の側面に躍り出る。
彼等の目的は遊撃と撹乱。この場の大将である于雲鮮自身が、小回りの利く小隊で飛び回る事で、敵を大いに掻き乱すのだ。




