各将散開。迫る大軍に駆けて備える
「……取り敢えず、状況を整理しましょう。慌てれば敵の思う壺だ」
冷や汗を垂らしつつも、于雲鮮が軍勢を表す駒を配置していく。
「北は楽羅軍、北部軍。楽羅本軍と北部軍はまっすぐ陽慶を目指して進んでくる。方や、楽羅の別働軍はケトを狙っており、榲國軍も東方より便乗する流れであると……」
「榲國は……榲國は本当に敵になったのですか!? 兄様が使節として向かわれたばかりなのに! 父様やそれ以前の代からずっと……手を取り合ってきたのに……!!」
「申し訳ありません……宣戦布告してきた訳では無いのですが、何分いきなりのことでして……ケトのロキ様も判断に困っている様です」
「……榲國軍に関しては、僅かながらに希望がある……と」
榲國は義を知り情によって治まる國。もしかしたら誤報かもしれないという事で、于雲鮮は涙目になるリナムを落ち着かせた。シュラも優しく頭を撫でてやる。
「東の戦線はロキ殿が耐えてくれる事を期待して……問題は南と西です。北鑑軍十万の大将が誰かはわかりませんが、その先陣となるのは間違いなくバルチャー将軍でしょう」
「バルチャー殿の軍勢も、今日までにかなり増強されていると聞く。本気で攻撃しないにしても、戦術面では北部軍並みに手強い存在だ」
「西からは虎忙軍二万とチバ軍、遅れて白眉軍五万。……白眉が本国から兵を出したとなれば、その先陣は陽堅の北部軍でしょうね」
「ナマハハハァ、なんじゃあ、まだ敵が増えるのか?」
「陽堅は白眉によって占拠されていますから、この機に出陣しない筈はありません。それにこの際です。敵は多めに見積もっておきましょう。……その方が、気分的にも多少は楽ですよ?」
「達観としておるのぉ、お前さん。まぁ無様に慌てふためくよりはマシか」
「いえいえ、正直言えばさっきから冷や汗が止まりません。さすがに……これはヤバイ。まず味方兵の性質に問題がある上、守るべき拠点に対する数が圧倒的に足りない。それに戦力が分散しすぎている」
現状、靖破軍の総兵数は八万五千を数えた。内訳はルーベルズ兵を含む靖破本軍が四万、ケトの守備兵が二万、元北鑑兵が二万五千。
だいぶ規模が増したかに思えるが、ケトの守備兵は半分以上が予備兵役に就いていた民兵を徴兵したものであり、軍としての練度はルーベルズ正規兵に比べて低い。靖破本軍も半数が義勇兵で構成されている為、士気は高くとも戦力としては心許ないのだ。
そして最後に、元北鑑兵に関しては、その立場から頼りになる味方とは言い難い存在。
これらの事を鑑みた結果、靖破軍にあって実質的な即戦力足り得る兵数は、三万もあれば良い方と言えた。
于雲鮮は解決できない自軍の問題に、これを真っ先に上げている。
その上で続く言葉に、拠点が多くて戦力の分散を招いているという事実だ。
「萓九と萓乗には張侍・鐘鬼・于雲鮮殿の二万五千。陽慶と丘霜には本軍四万。ケトにはロキ殿の二万か。攻め寄せる敵軍が三十万は優に超えると予想される中で、各地の防衛に一万から二万ではな……」
楽羅軍はともかく、北鑑軍や白眉軍、北部軍に関しては各國正規軍の精鋭部隊だ。
勢いと成り行きで規模を増した靖破軍が、まともに戦える相手ではなかった。
「祝覧殿、リナム殿。反対は百も承知ですが、ここは戦線を縮小する必要があります」
「……萓九と萓乗を放棄して、二城の民を丘霜に避難させるのだな」
「陽慶も放棄します。前線の二城がなければ守る事はできませんし、戦略的に見ても司令部を維持する必要はなくなりますからね」
「では民を連れてケトまで後退し、土地の境界で敵を防ぐ事になる」
「はい。ケトと丘霜に戦力を集中させ、民を第一に守りましょう。その様子を榲國軍が知れば、情で動く彼等は味方してくれるかもしれません。それに虎忙軍の目的が陽慶奪取なら、陽慶に入った時点で彼等の戦意は衰える筈。つけ入る隙も生まれるでしょう」
「何より、今の陽慶では大軍を進駐させる事はできん。我々が長期間粘れば、敵の連合軍はそれだけで不利になっていく訳か。
――うむ。戦略的には良き案だが……リナム殿はどう思われる?」
「……やむを得ないと思います。多くの國民が今の生活を捨てなければならないのは、すごく酷な話ですが……留まっていたらもっと酷い目に遭わされるかもしれません」
軍人の祝覧は戦略的思考で “可” と答えたが、為政者の卵であるリナムは、自分達の争いで民を困窮させる事に不義を抱いていた。
それも本来の大虎王たる虎忙の暴走ともいえる侵略だ。為政者として、民に対する不甲斐なさでいっぱいだった。
「……リナム。君が責められて然るべき時は、務めを放棄した時だ。今はただ果たす時。時間稼ぎは俺達に任せて、君は助けを求める民衆を一人残らず避難させたまえ」
そこですかさず靖破が諭す。リナムへの励ましだけは人一倍早かった。
「靖破様……。……そうですね。今は全力で責務を果たす時。落ち込んでいる暇はありませんね!」
「……よし! 皆の意見は纏まったな。上々上々!
――それでは陽慶の民の避難はリナム殿に。萓九と萓乗の民はキクズナに頼む。他の将兵は敵の足止めを担った後、ケトと丘霜に下がってくれ。後の戦略は追って説明致す」
全員の意思が固まり、リナムもやる気を取り戻したところで、祝覧が指示を飛ばす。
各将は直ちに散開する。いの一番に出発した者は嶄條だった。
彼はマドロトスのみを伴って北へ向かい、赤楼跡地の関所を訪れる。
「見ておれよマドロトス。これが世界に名を馳せる大剣豪の――」
関所の北側に出た嶄條は、魔力を込めた巨剣を勢いよく地面に突き刺すや……
「遊び心じゃあぁぁーーー!!」
一秒と待たず、切り上げるように引き抜いた。
すると巨剣の切っ先から大地を穿つ斬撃が前方に射出され、金城山脈の僅かな切れ間の道を器用に這って進む。斬撃に意思でもあるかのような、生物的な動きだった。
「すげーやししょう!! 道が川になっちまった!!」
深く深く削られた道は、左右に急な斜面を持つ険路と化す。
そして山の水脈でも切ったのか、何処からともなく湧き出た水が激流を成して、険路を湖底に水没させてしまった。
「人、これを道と呼ばず……だ。陽慶へ繋がる道が唯一つというのは、要はこういう事である。故に北部軍は強い。強くなくてはならぬ。大虎本軍の力を借りられず、時として玉砕もありうるのだからな」
「どういうことだししょー。“ぎょくさい” って何だー?」
「マドロトスな、よく覚えておけよ。男とは時として、負けるとわかっていても前に出なければならぬのだ。人、それを漢と呼ぶ」
「おれも漢になるぜーー!」
マドロトスは木剣を持った両手を元気よく万歳させる。まったく意味を理解していなさそうな感じだが、感性に優れる彼であればゆくゆくは理解するだろう。
「ナマハハハハ!! さて、北から迫る奴等にはこれで充分時が稼げるだろう。後は任せたぞ。敵が来たら信号弾を打ち上げて知らせてくれぃ」
「ハッ! 承知いたしました!」
軽い一手で進軍路を塞いだ嶄條は、高笑いとともに関所を後にする。
次は祝覧隊と合流し、白眉軍に備えなければならなかった。
一方、七千の兵士を連れて出陣した祝覧は、陽慶西域の要害・五叙山の麓に陣を構えた。ここを境界として東側が、靖破に味方する領域であった。
「祝覧将軍、来ました! 来ましたが……白眉軍でも虎忙軍でもありません」
「……陽堅城の北部軍か。于雲鮮殿が言った通りになった訳だ。……数は?」
「ざっと三万ほどかと……」
「虎忙殿下が動員令を出したとはいえ、あまりにも早すぎる。察するところ、白眉によって予め徴兵されていたに違いない。……気は進まんが、やるしかないようだな」
于雲鮮の推測では、陽堅城は白眉の暗部によって抑えられているとの事。
今、その陽堅城の軍が大きく増員された状態で、白眉軍の先陣となっている事は、先に述べた事態を確証つける出来事だった。
「嶄條殿はまだだが、陽堅軍も士気は低い筈だ。足止め程度なら俺達だけで充分。
――皆、出るぞ! 山の北と南に伏せている部隊にも報せるのだ!」
三万対七千の勝負だが、絶望的という訳では無い。特にこれぐらいの戦力差の足止めだけなら、祝覧は手慣れたものだった。
祝覧の本隊六千は速やかに陣を出て、陽堅軍の前に姿を見せる。
対する陽堅軍の先鋒は魏逸という武将で、兵数は一万。そのすぐ後ろに、陽堅城主の趙隕が二万を率いて続いた。
祝覧はまず、声に魔力を乗せて、後方にいる趙隕まで聞こえるような侮辱を飛ばす。
「趙隕殿! 先の戦いで北鑑軍に恐れをなした貴殿が、今更どの面下げて出てこられた! 武人の矜持を沼に捨てた卑怯者!! さっさと帰って城に籠もるがお似合いだぞ!!」
「祝覧殿! 我が主にも故あっての事だ! これ以上貶すようであれば、主に代わって俺が容赦せぬぞ!」
「ほぅ、面白い。何を容赦せぬと言うのだ?」
「一騎討ちだ! 陽堅随一の武人として、主に代わってお前を討つ!」
「つい最近まで殻に籠もっていた輩が大層な事を言うな。その勇気があるならさっさと掛かってこい! 臆病者に敗れるほど、祝覧の武名は軽くないぞ!」
「言ったなこのムサ男! もう本当に容赦せん!」
魔力聲を得意とする祝覧の挑発は、たとえ気持ち半分でも相手をよく惑わした。
普段であればもっと冷静に動く筈の魏逸が、品のない言葉に走るのだから。
「……うむ、大言を吐くだけはあるな。趙隕殿に飼われるだけはある」
「ほざけムサ男! 今に討ち取ってやる!」
「ムサイムサイ言うな! 歳で言えば俺もお前も大差無い!」
「歳は言ってない! ただお前からは、典型的なおっさん臭がするだけだ!」
「気にする事を何度も言いよってからに! 俺の方こそ容赦せぬぞ!」
短戟を得物に猛攻を仕掛ける魏逸と、剣で上手く受け流す祝覧。
見る者が見れば互いに本気でない事はわかるが、猛将として知られる魏逸を相手に、互角で打ち合う祝覧は流石だった。
(……よし、この辺でいいだろう)
「あっ!? 待て! 逃げるのか! 勝負はこれからだぞ!!」
しかし、魏逸の闘争心が燃え始めた頃、祝覧は突如として劣勢を演じて背を向けた。
それを魏逸が追えば、祝覧は兵ともども麓の陣地まで後退を始める。
すかさず陽堅軍が追撃に転じた。好機と見た趙隕が号令を掛けたのだ。
「今だ! 合図を送れ!」
祝覧が指示を出すと、今度は靖破軍の喚声があがる。麓の陣地から見て左右南北の山に伏せられた部隊が、一斉に鬨の声をあげたのだ。
「趙隕様! 左後方の山から伏兵が現れました! 旗印は扶美の祝家のものです!」
「右後方からも出現! ケトのルーベルズ家です!」
「祝家の旗!? しまった……! アダオウ長官は陽慶側につかれてしまったか!」
祝家とルーベルズ家の旗が大量に掲げられ、山津波の如き喚声が木霊する。
北部軍本部との連絡が遮断されている陽堅軍は、祝家が味方している=アダオウが靖破の味方についたと容易に誤認した。
「いかん!! 退路を絶たれる前に撤退だ! 魏逸もすぐに引かせろ!」
北部軍に属するだけあって、趙隕はかの軍の戦術に詳しかった。
彼は自分達が狩場に誘い込まれたと思い、撤退を即断即決する。
「上々上々。こんな事もあろうかと、実家の軍旗を大量に拝借しておいて良かった。やはりと言うか、陽堅軍は白眉の情報統制を受けて北部軍本軍の動きを知らぬのだ。今なら恐怖を感じる程度に追撃をかけるだけで充分だろう」
祝覧本隊は陽堅軍に程々の痛手を負わせて引き上げた。
それと同時に、南北の山から大量の旗を振っていた別働隊も本隊に合流する。
旗と最低限の装備しか持たなかった兵達の数は、およそ千名程度だったという。




