義理と興味が招きよせた御客人
金鶏菊の月 陽慶 靖破軍臨時庁舎にて
「皆様、紅茶が入りました。少し休憩しましょう」
「おおぅ……ありがたい。朝から働き詰めで――」
『おっさんの菓子は書類で決まりだな。他は全部うちが貰う!』
「……靖破殿。魔女殿が今日も今日とて俺をいじめるのだが……」
「俺の菓子をやる。魔女よ、あまり祝覧をからかうな。やるなら張侍にしろ」
『バカ野郎。その張侍は今、国境の守りに行っちまってんだろが』
復興作業、戦後処理、防衛線の書き変え等に尽力した靖破軍は、リナムがゆとりを持って動けるほどに落ち着きを取り戻していた。
陽慶の復興作業は人手不足が解消され、他都市の資源を廻したり、ケトから支援部隊が送られるなどして、生き残った民衆の生活が維持できるぐらいまで進んでいる。
戦後処理に関しても、投降した北鑑兵六千人を張侍と鐘鬼の部隊に預け、合計二万三千の兵力で眞城の守りに就かせた。
尚、眞城は靖破軍が掌握する土地の南側最前線であり、この要所を任された二将に不満の色はなかった。
「兄様も上手くやっているでしょうか。榲國がまだ、ルーベルズ家との誼を重んじてくださるとよいのですが……」
ロキはケトに帰還していた。同地で軍の再編に努める一方、祝覧の頼みで隣國の榲に特使として赴く必要があったからだ。
「心配無用だろう。ロキ殿は締める時はしかと締める上、榲國王も不義に味方するような御仁ではない。軍事同盟ならずとも、相互不可侵の契は継続してくれる筈だ」
榲國は「法律」以上に「人情」で治まっている國。誰が正しくて誰に味方するかを直感的に判断し、そこに損得感情は含まれない。
「……リナム。榲國王とはどんな人物だ? 君やロキが世話になっているなら、俺も礼を尽くさねばなるまい」
「榲國王 厳朴様は、明朗快活な人柄から臣民に “猫様” という呼称で親しまれております。それとは別に、公正で慈悲深い政治を讃えられ “朴聖” とも呼ばれ、戦を好まず民の平穏を心から願うような御方です」
「……加えて、名のある武人すら容易くひねり潰すほどの剛勇か。非の付け所がないな」
榲の國土は大虎の半分以下。軍も戦の経験が少なく、将兵ともに弱いという噂がある。
しかし國王の勇名は、それを補って余りある程に鳴り響いていた。國王そのものが軍であるといっても過言ではない。祝覧をして、敵に回す訳にはいかない國である。
「靖破殿が礼を以て榲に当たるべきと思うのは、俺にとっても非常に助かる話だ。無論、ルーベルズ家の兄妹にとっても同じ事が言える」
「そうか。では折を見て挨拶に向かうとしよう。……良かったな、魔女よ。お前の好物アサギ山のケトで、寄り道ができるぞ」
『マジか! やりぃ! もういっそのことリナムの領地に住もうぜ』
「それはやめておけ。お前のせいで財政が傾き、山も枯れる」
『そんなまで食うわけねぇだろ! バカにしすぎだ!』
シュラはこう言うが、祝覧は靖破の言葉があながち間違いではないだろうと予想する。
それほどにシュラは、小柄な見た目に反する異次元の食欲を持っていた。
「あっ、いたいた。ししょーししょー! みんなここにいたぜ!」
「ナマハハハ、おったおった。流石はマドロトスな。よく鼻が利くわ」
靖破達が執務室で談笑にふける最中、小鬼のマドロトスに先導されて嶄條が現れた。
「靖家の小倅よ、お前さん宛に変わった客が来たようだぞ」
「俺を訪ねる客だと? ……誰だ?」
「バルチャーだ。あやつ、お前さんが眞城に居ると思ったらしくてな。向こうからたらい回しにされたらしい。ナマハハハ! 儂といい勝負で方向音痴だわ!」
南部の将軍バルチャー。彼は張侍と鐘鬼が守備に就いた眞城の、本来の城主である。
丘霜の戦いでは靖破と共闘してバラガスらの北鑑軍を撃破し、その後は南下して勢力を拡大していた。
「……靖破殿。先週の事だが、バルチャー殿と虎忙が面会したという報告をしたと思う。その時にバルチャー殿は、おそらく虎忙ないし傅磑から、我々を陽慶から追い出すように言われただろう」
「バルチャーが誰に従おうと、俺達は俺達で動くまでだ。会って宣戦布告するようなら、戦場で堂々と討ち取る了解を得てやる」
靖破はバルチャーと会うことに躊躇わなかった。いい具合にドライな彼は、この際バルチャーが白か黒かハッキリさせるつもりでいたのだ。
「よいか? では呼ぶぞ。……オーイお客人!! 此方へ参れーーホイホイホォーイ!!」
「ほいほいほーい! ちぃえやぁーー!」
「なんという掛け声だ……。嶄條殿……犬を呼ぶとは訳が違うぞ」
「ナマハハハ、何せ奴が名指しを嫌ったのでな。門番ではなく儂が連れてきたのもそういう理由だ。……察するにあやつは――」
「お忍びで来ているのでね。早速失礼するよ」
言うやいなや、バルチャーは颯爽と現れた。
以前会った時は戦時中ともあって、少なからず装飾の施された甲冑姿だったが、今回は風に流れる遊び人を表したような、彩色豊かで様々な模様の陣羽織を羽織っている。
「久方ぶりだな、バルチャー。虎忙から陽慶を取り返すように命じられたか?」
祝覧が探りを交えて挨拶しようとした矢先、靖破が単刀直入に問い質す。
その無遠慮に祝覧やリナムは少しだけ焦ったが、当のバルチャーはまったく気にもしなかった。誰に促されるでもなく、靖破の前で優雅に腰掛ける。
「それは勿論。私の無事や戦勝を労うより先に命令されたものだ」
「そうか。いかにも虎忙らしい。……リナム、すまんがバルチャーに紅茶を淹れてくれ」
「はい。今しばらくお待ち下さい」
白か黒かで言えば、現段階では黒。即ち敵であるにも関わらず、靖破はゆっくりと語らう席を設けた。リナムも他國から取り寄せた客人用の高級茶葉を使う。
「……ふむ、この香りは榲國原産の茶虎種。芳醇な香りを漂わせる中、独特な酸味を感じさせる後味が良い。榲の豊かな山々が目に浮かぶようだ」
他の将軍と比べて貴族文化に一日の長があるバルチャーは、リナムの淹れた紅茶を匂いだけで見事に言い当てる。
祝覧や嶄條をしても、これは真似できないと思わせた。
「……それでバルチャー殿。貴殿はやはり、我々を攻めるおつもりか?」
「王命ならば仕方あるまいて。それは靖破殿にも以前言うてある。多少ぞんざいな扱いを受けたとて、考えを改めるつもりはないよ。……だが、私がまず攻めるのは陽慶に非ず。我が城、眞を取り戻すべく進軍する」
「……貴殿の城に北鑑軍の将兵を配置したことが、逆鱗に触れてしまったようだな」
「それに関しては確かに怒りを覚えた。我が城に北鑑の者共を入れるとは無礼な……とな。しかしそれ以上に驚きでもあった。まさか復讐の鬼となった靖破殿が、高潔な武人たるバラガス一人なら兎も角、性不純な者も多いであろう数万の北鑑兵を将校ごと傘下に加えたとは」
「祝覧の策に従った結果だ。俺のやり方もまた、バルチャー同様に変わってはいない」
「フフフ、そうかね? ……まぁ感情の話はさて置き、殿下は私の活躍に対して、眞の領主に返り咲く権利をくだされた。暫くすれば、勅使が来て貴殿に眞城の明け渡しを言ってくる筈だ。おそらくはその時に、陽慶の事も言うだろう」
「切り捨てる。俺達は虎忙と決別した。奴の指示に従う必要はない」
「だろうな。貴殿ならそう言うだろうと思っていたよ。
――そこで私から提案だ。眞城と丘霜城を交換しないかね?」
その提案に、祝覧とリナムが強く反応した。
現在の靖破軍にとって、眞の地は防衛線の中で突出しており、多くの戦力を割かなければならない最前線の要所であった。
守りに就いた張侍と鐘鬼は元北鑑の将軍であり、眞の領民からの支持率は目に見えて低く、慣れない土地と城で満足に守り通せないのではないかという不安もある。
方や丘霜の地は、ケトの南隣かつ陽慶の東に位置している。見方によれば虎忙陣営のバルチャーが、ケトと陽慶の間に楔を打っているとも言える位置関係だ。
「祝覧殿は丘霜に居る私が、色んな意味で邪魔だと知っている筈だ。リナム嬢も、いつ敵になって襲い掛かるかわからぬ存在が丘霜に居ては、落ち着いて筆もとれんだろう?」
「……その通りだ。俺もリナム殿も、実はバルチャー殿を危惧していた。今はまだ大丈夫だろうが、虎忙軍と戦になった時、真っ先にケトと陽慶を分断しにくるだろう……とな。それに眞城の扱いにも困っている。あの城はどうも、大虎流の軍法戦術から外れる形の籠城を強いられそうだ」
「フフフ、敢えて言えば流血を惜しまぬ東方流の城郭と言うべきか。私が眞の地に適する様、かの大陸の城を参考にして造り、それを誰にも伝授してない故、北方の者が使いこなせる訳がないのだよ」
自分の城、領地である以上に、バルチャーは自分から言い出しただけあって、南から北鑑軍が迫った時の防衛戦法をしかと頭に思い浮かべていた。
それ故に彼は、他人それも元北鑑の将兵に、眞城を任せる気になれないのだろう。
「眞城を返してくれれば、前線の守りは私が引き受けよう。かの地の財政も私が居た時に比べて幾分か弱まったようだが、特に問題になるほどでもない。そして私が現在根拠地にしている丘霜は、そんな眞より豊かだぞ? 何せ北鑑軍に落とされなかったからな」
「……バルチャー殿から提案してもらえるのは、俺としては相当助かる。後は虎忙がどう思うかと、我等が大将 靖破殿がどう決めるかだ」
祝覧、リナム、嶄條、バルチャーの視線が、一気に靖破の下へ集まる。
因みに小難しい話に興味がないシュラは、マドロトスと格闘ごっこに興じていた。
靖破は相変わらず無気力な様子を見せつつも、一瞬だけリナムを一瞥すると、彼女の存在が鶴の一声とばかりに即決する。
「リナムが安心できるようであれば、俺に反対はない。祝覧が良いと思うようにしろ」
「うむ、決まりだな。殿下には傅磑殿を通して私から上奏しておこう。もし勅使が来たら、そのように伝えて帰ってもらうとよい。本当の敵を前にして、同じ國の者同士で争う必要もなかろうからな」
バルチャーが単身訪れたお陰で、眞の領土問題は双方にとって良く収まりそうだった。
その上でバルチャーは陽慶の問題にも触れる。虎忙がどうしてもと言うのならくれてやれ、と。これ程まで荒廃しきった土地を根拠地にしても、良い事は何もないとも。
だがこちらに関しては、靖破、祝覧、リナムともに、譲れないものがあった。
「皆が頑張っている土地を、何故虎忙ごときにくれてやらねばならん」
「陽慶は守るに適さんが、ここを失えば萓九と萓乗が孤立してしまう。現状、陽慶の明け渡しは呑めん要求なのだ」
「虎忙殿下がここに入っても、あの方は民を想ってはくれないでしょう。私は生き残った民衆に、これ以上の絶望を与えるなんてできません」
嫌悪・戦術・大義。三人の想いを直に聞いて、バルチャーは無理強いができなかった。
彼は僅かに黙考した後、小さく頷いて了承の意を示す。
「…………なるほどな。相わかった。陽慶の事は私からも強く言っておこう。私だけではなく、アダオウ殿や傅磑殿にもご助力願えるように頼んでおく。臣下一同がかくも言えば、殿下とて考えを改めざるを得まい。
――さて、靖破殿。以前受けた恩はこれで返せるかね?」
「充分だ。感謝するぞ、舞闘剣のバルチャー殿」
バルチャーは満足げに微笑する。彼の靖破への興味は、今なお強いように感じた。




