大国の歪み
定家葛の月(芍薬の月の翌月)
北鑑王都・春府 軍総司令部
靖破・アダオウ連合軍との戦いに敗れた姜純は、残軍を連れて北鑑に撤退していた。
彼は報告の為に王都へ赴き、そこで軍総司令官のフルバスディと面会するつもりだった。
「……総司令は?」
「宰相とともに剣合国だ。先の決戦で用いた空襲火計の是非を諸侯達が上奏し、発案者の蒙儼ならびに実行者のイカキ・カクヤイとともに弁解を求められている」
「あっそ。で、なんであんたが居るんだ?」
フルバスディの代わりに司令部を取り仕切っていたのは、武弾派第三位のモラーフィ。
普段は文血派との激戦区を受け持ち、王都には滅多に足を運ばない生粋の現場武将だ。
「留守を任されたというのもあるが、お前の口から詳細な状況説明を聞きに来た」
「説明か。いいぜ話してやるよ。どこから聞きたい?」
「……戦死なされた于雲夏殿についてだ。大虎本軍との決戦に加え、残党との戦では独断専行が多かったと。……俄には信じられんが、実際はどうだ?」
「フン……下手なお人好しは全体に不利益を及ぼす、といった感じだ。最初の決戦でルーベルズ家の将兵を捕虜なんかにせず、さっさと討ち取っておけば良かったんだ。そうすれば後々、災いの種になる事はなかった。陽慶で蜂起した抵抗軍の主力が今言った奴等であり、俺達を撃破した事は紛れもない事実だからな」
「于雲夏殿がルーベルズ・ジオンと盟友の間柄にあるのは知っていた。その関係が戦場に私情を持ち込ませ、かの御仁の判断を鈍らせたか」
「ルーベルズ家の残党が蜂起した後は……まぁ大人しかったぜ。格下の俺等に顎で使われてくれたからな。
――だが、戦場での独断専行もまぁまぁあったみたいだ。それが原因で統率が取れず、敗れたっていうのも言われれば納得がいく。何せあの老将と一緒に戦っていたコイツが、こんなになっちまったぐらいだ」
「アヒィア! アヒィア!! アヒィア! アヒィヤァッ!!」
姜純が斜め後ろを一瞥すれば、そこには狂人と化した奚范がいた。
目の焦点は常に合わず、涎を垂らしアヒアヒ言いながら小躍りしている。
「あぁ、ずっと気になっていた。えらく面妖な輩を連れてきたなと思っていたが、よく見ればお前の相棒だ。……于雲夏殿と反りが合うわけがない、あの奚范だ」
「……共闘させる相手を間違えた……とは思うぜ。ただ俺の大軍と于雲夏軍を入れ替えるようなら、今度は籠城してる奴等が反撃に転じる恐れがあった」
「軍の入れ替えまで考えが及んで、なぜ軍容の調整までいかんのだ。鍾鬼、張侍、于雲鮮を于雲夏殿に預け、城を包囲させれば多少兵数が減っても籠城軍は打って出なかった。仮に出てきたとしても、関係の深い彼等ならその場をよく凌いだだろう。そしてお前と奚范が残る全軍を率いて、敵の救援軍を撃退すべきだ」
「アヒアヒ言うこいつがヤル気だったからよ、つい信頼して任せちまったのさ。大事な局面で鋭気を挫くのもどうかと思ってな」
「その考えが将として二流……いや三流の上だ。
――なるほど。于雲夏殿が全ての指揮を執っていたら、問題とされる独断専行も大軍の消滅もなかった事がよく解った。彼なら大虎の牙との圧倒的武力差を知って、それを埋める手立てを実行に移していただろう。仮に手立てがなくとも、被害を最小限に抑えるべく戦略的撤退を選んだ筈だ。早い段階で撤退すれぼ、迎撃に出向いて北部軍の急襲を受けることも無く、萓宣の残党を掃討して大虎軍の反撃にも備えるだろう」
司令部にもたらされた報告と、姜純の証言を噛み合わせたモラーフィは、于雲夏が全権を握っていた際の行動を推測する。
彼にも私情に走ることはあったが、姜純や奚范では比べ物にならないほど広い視野を持ち、豊富な経験から先の展開を見通す事もできた。
故にこれ程の大敗北を喫し、武弾派の足元を揺るがしかねない失態を晒す事もなかった。
「どう挽回するつもりだ? お前に何か考えはあるのか?」
粗方把握したモラーフィの眼光は鋭かった。
現場任せにせざるを得なかった状況とは言え、その現場の人間である姜純や奚范に問題があるとわかれば、彼等がその責を全うするのは筋である。
「……機会をくれるなら、軍を立て直してもう一度大虎に攻め込む。南半分はまだ俺らの占領地だ。現地の残軍をまとめて士気を奮わせたら、次は白眉や楽羅、榲と連絡をとって四方から同時侵攻を掛ける」
「戦しか能のないお前に、表裏比興の白眉を説き伏せられるとは思えんな。楽羅も自国の利を第一に動く。お前が南から迫ったところで、犠牲を承知の出兵はしない。榲に関しても、かの國に放った間者から榲國王が大虎側の姿勢を見せている……といった報告を受けている。あの猛獣もまた、動くつもりはないのだろう。寧ろ下手に刺激すれば、却って我等に牙を向けかねない」
「……じゃあ残された道は腹切りか。おめおめと逃げ帰ってきた時点で覚悟はしていたが、実に呆気ないものだな」
「私にお前を処断する権限はない。死にたいのであれば好きに死んでも構わんが、多くの将兵を失った今、お前まで消えれば戦力損失に拍車がかかる。それに留守を任されて最初の務めが、お前の自害処理とは縁起が悪い」
姜純は契約者たる靖破には敵わずとも、鐘鬼や張侍、おそらくはロキや祝鉱といった猛将を凌ぐ武力を有していた。
全滅に近い状態で帰還したとしても、彼を処刑するのは余りにも不利益だ。
「それでも自害の道を選ぶというのであれば、せめて騒ぎ立てている文血派を黙らせてからにしてほしいものだ」
モラーフィの言葉に、姜純は少しだけ首をかしげた。文血派が何の用だ? と。
「……奴等は何と言ってる?」
「責任転嫁が好きな文血派の過激者どもは、自分達の軍勢が派手に敗れたのは于雲夏のせいだと主張し、于雲鮮を戦犯の息子として裁くつもりだ。国法に照らして処断するから身柄を寄越せと言ってきている」
「それは盛大な言い掛かりだな。あの親子を庇うわけじゃねぇが、向こうが敗れた理由の殆どに于雲夏は関係ねぇ。向こうはただ弱い奴が多かっただけだ。聞けば初陣の蔡とかいう弱國の軍勢に助けられたんだって?」
「無論建前は別で、先に述べた主張は私なりに直訳したにすぎん。当然お前の言う通り盛大な言い掛かりだ。だが醜態を隠すのに、既に死んだ于雲夏殿は最適なのだろう」
「死人に口無しか。……で、俺には文血派の奴等を黙らせてこいと。それぐらいなら構わんぜ。ただ、九死以来の内乱が勃発するだろうけどな」
武弾派将軍の姜純が文血派に武力を振るえば、文血派はそれを理由に内乱もやむ無しの姿勢で北鑑国内の全権奪取に動き出すだろう。それぐらいは姜純も解っていた。
「……いや、先程述べた事は言葉のあやだ。真に受ける必要はない。そもそも于雲一党は中立派だ。個人的な親交こそあれど、彼等を助ける為に文血派と争うのは悪手すぎる。今の我々に、その余裕はないからな」
「じゃあ見殺しか」
「……基本的にはな」
「“基本的に” だ? 例外があるのかよ」
「今回の騒動が于雲鮮だけの処分で済むならまだいい。だが仮に于雲一党まで波及し、彼等が他國へ走るような事態となれば、総司令は見逃さんだろう」
「珺の敵となる者を生かしたところで、害あって利なし……って言うもんな」
「故に、かの一党が國外逃亡の動きを見せた時はお前が始末しろ」
「フッ、一族郎党皆殺しか。手厳しいな」
中立派の于雲鮮を救う為に武弾派が動けば、対を成す文血派も理由を得て総出で立ち向かい、大規模な内戦となる事が容易に想像できる。
かといって優秀な者が多すぎる于雲一党が他國に走り重用されれば、後々の災いの種になることも明白。大を生かす為に于雲一党を小と見なして切り捨てる他ない。
「その時は狂ったお前の相棒も連れて行け。何かしら役に立つのだろう」
「文武両道だったのが、文を捨てて武に全振りした感じだ。単純な戦闘力は上がっている。……何があったかは知らんが、僅かな供と一緒に俺の本隊と合流した時には既に、こんな感じになっていた。死の恐怖に精神を病むような奴じゃあないんだがな」
「アヒィヤァァァーーー!! アヒィアヒィ!!」
「煩い。黙れ」
「オッパイ!」
「……バカにしているのか? 屠殺するぞ」
「いやぁ、本人は真面目に返事したつもりだろう」
著しく低下した知能により、奚笵の言動は単純明快な世紀末と化していた。
と言うよりも、奇声を上げながら首を胴体から外し、髪をプロペラの様に振り乱しながら首だけで低空飛行する様は、もはや人とは言えなかった。
妖怪・飛頭蛮の親戚だが、下品故に親類から見放された一匹妖怪というべきか。
「奚笵の所領や私兵は、全てお前に移譲させる。せいぜい養ってやれ」
「フッ……かわいいペットだぜ。おら、今日から俺が主人だ。わかったか?」
「オッパイ!」
世紀末ならオッパイ犬ぐらい居ても不思議ではない。だが犬に領地や兵士は不要。
姜純は失った兵力を回復させる為に、かつての相棒の基盤を受け継ぎ、傭兵や賊徒、奴隷や将を失った敗走兵など、何でもいいから数を増やす事に専念した。
しかし、兵を集めているのは姜純だけではない。武弾派を密かに排除せんとする文血派の将軍達も、数を重視して盛んに兵を集めていた。
つまり姜純軍の戦力回復は早くも難渋し、かつての軍勢規模を取り戻すには長い時間を要するのが現状だった。ここに来て姜純は、自身の敗北の重さを知ったという。
《北鑑の二大派閥 武弾派と文血派》
北鑑を二分する軍閥勢力。軍総司令官フルバスディの率いる勢力を武弾派と呼び、鉄血宰相ガレオーダが掌握する勢力を文血派と呼ぶ。
両派閥の発生は九年前に勃発した北鑑最大の内戦 “九死の変” である。
事の発端は省いて、乱を平定したガレオーダが、族滅したと見られる北鑑王家に代わって新たな王になろうとした時、彼に賛同した者達が後に文血派の主体となった。
一方の武弾派は、内戦時に現在の北鑑王(王族唯一の生き残り)を保護して匿い、ガレオーダの王位継承宣言に否を唱えたフルバスディと彼女に協力した将軍達が主体である。
武弾派の多くは武官で構成されており、軍事的センスに優れる高潔な武将が多い反面、財政基盤が脆弱であるという欠点を抱えている。
一方の文血派は、ガレオーダが宰相を務めている事もあって、文官の割合が半数以上を占めている。それでもガレオーダ陣営に所属する将軍や地方軍司令官の中には優秀な者もおり、単純な軍事力では武弾派に引けをとらないようだ。




