不調
陽慶 祠の跡地にて
靖破とシュラが契約を交わしたこの場所には当初、シュラが横になれるぐらいの小さな小屋が建てられていた。(靖破は外に追いやられていた)
それがリナム加入後には、彼女が幾つかのテントや調度品を置いて拡張。彼女が靖破とともに各地を転戦としている間は、留守部隊が簡易的な事務所に改築。
暫くはそこを拠点として、遠征先のリナムから送られる指示書に沿った復興作業や、治安回復に努めていた。
そして現在。靖破軍が石岳より帰還して一週間が経過した頃。
「ぐわぁぁーー!? 何もかもが足りん!? 石岳で啖呵をきったのは良いが、ここでは満足に指揮が執れぬぞ!?」
司令塔を担う祝覧が突如として発狂した。
やはりと言うか当然の話なのだが、今や大所帯となった靖破軍を纏めるのに、仮設事務所ごときでは土台無理な話であった。
「大規模な軍事行動の後はこういう事務処理がバカみたいに増えるから嫌なんだよなぁ……。できるなら戦場にいたい」
「……なんとなくだが気持ちはわからんでもないぞ、ロキ殿。こうも酷な環境では、戦場の帷幕の方が良いこともある。……しかし意外だな。戦後処理を苦手としそうな貴殿が、まさかこれほど上手く捌いてくれるとは。普通に助かるぞ」
「一応は次期当主として、父上に叩き込まれたからな。才能はリナムに劣るかもしれないが、経験では今のところ上だ。……それとあの山を前にしてサボったら、祝覧殿は俺を殺すだろう?」
「当然だ。逃さんぞ。地獄の果てまで追って焼き鳥にしてくれる」
「怖いって……。目がマジじゃねぇかよ」
ロキが半眼を作って見た先には、建物の外にまで置かれた書類の山々があった。
その殆どが未処理の案件であり、容量オーバー甚だしく、書類が風で飛ばされないように漬物石で押さえつけて保管するという惨状だ。
「すみません祝覧将軍。私が不出際なばかりに……」
「気になさるなリナム殿。今の陽慶では誰が政務を執っても難題ばかり。それも合戦の傍らに指示を出して行うなど、至難極まりない。寧ろ明確な統治者がいない状況で、これだけ治安が保たれていたのは称賛に値しよう」
リナムは遠征先から逐一手紙を出し、陽慶の留守部隊に指示を出していた。
しかし人手や資材などを始めとする何もかもが絶望的に不足している状況では、復興作業すら遅々として進まず、軍務などを満足にこなせる臨時的な庁舎の建造は夢のまた夢だった。
そもそも靖破達が帰ってくるまでは、リナムや祝覧といった有力な指導者が不在にしていた為、事実上無用の長物でもあった。
『へっへっへ、おっさんの喘ぎ声が外まで響いてたぜ。でも安心しな! 新しい部屋がたった今完成した! たんと使いな!』
「待て魔女よ。まだ机や椅子が無いぞ。立って仕事をさせるわけにはいかんだろ」
『机と椅子なんてうちにかかればポッポッポーんだ。……張侍! 木ィ投げろ! 加工する!』
「ほーーい!」スポーーン!
『ホワチャー!』パッカーン! スパスパポコポコ!!
鐘鬼隊が切り出して、張侍隊が運んできた丸太を、シュラがチョップカッターで瞬く間に加工。あっという間に追加の事務用品が出来上がる。
手狭な事務所にすし詰め状態となっていた祝覧、ロキ、リナムにとって、正に手品のように素晴らしく、暗闇を照らす光のようにありがたかった。
「やったぜ! 雁技のロキ一番乗り! この部屋は俺が頂いた!!」
「待て! そこは俺が使う! ちょうど南部防衛線の資料を広げるのに必要なのだ!」
「知らねーな! こういうもんは早い者勝ちだぜ! トラぁっ!!」
「ぬあぁぁぁーー!? 得物で場所取りしよって! おのれ小賢しい鳳め!」
「…………魔女と張侍よ。もう一部屋早急に造ってやれ」
「あいよぉっ。んじゃ材木をもっと運んでくるとしますかい」
『……靖破。お前も何か手伝えよ。うち等ばっか働いてんじゃん』
「壊すのは任せろ。他は他を当たれ」
皆がせかせかと働く中、大将の靖破が最も楽をしていた。
彼が得意と言う破壊に関しても、既に破壊されつくした陽慶では役に立つ技能とは言い難い。せいぜい焼け落ちた建物を塵芥に変えるぐらいだろう。
「…………リナム。元気がないようだが?」
「……えっ? あっ……はい。大丈夫です……」
楽をしているととるか、皆を良く見ているととるか。靖破は仲間達の中で唯一人だけ、リナムの様子が普段と違う事に気付いた。
普段ならリナム自身が忙しくとも、周りの疲労を気遣ってお茶を淹れたりしてくれる筈なのだが、今日に至っては周りの者以上に疲労困憊な気配を纏っていたのだ。
「無理だけはするなよ。疲れたと感じたらすぐに休むといい」
「これぐらい、何ともありません。それよりも皆様の方が……ぁ……」
「――っ」
そう言って立とうとした瞬間、リナムは急な目眩を感じて椅子から崩れ落ちた。
靖破は疾風となってリナムの許へ駆けつけ、間一髪で彼女を受け止める。
「魔女ッ! 戻れ、リナムが倒れた!」
『あぁ!? どういう事だよ!? ちょっと代われ!』
外で作業中のシュラが張侍とともに舞い戻り、聲を聞いたロキと祝覧も駆け付ける。
『ロキ! 今の部屋開けろ! 張侍は寝台持ってこい! おっさんはうちの居た小屋から、うちの荷物全部運んでくれ!』
シュラの指揮の下、その場に居合わせた皆が救護に当たる。
辺りは一気に騒然となり、もはや政務どころではなくなった。積まれた書類は派手に乱れ、新しく出来た部屋も応急的な医務室に変えられた。
『うちが診る。下手な軍医なんかより腕は確かな方だ。汚い野郎どもは外に出てろ』
「き、汚いって……」
「貴殿の事だぞ、ロキ殿。風呂は三日に一回。異性に向かって野糞も投げる。汚いと言われて当然だ」
「だからんなもん投げるかっ!! 風呂も二日に一回は入っとるわ! 俺なんかよりおっさんの加齢臭の方が不潔だろ!! リナムの近くで一番作業してたおっさんのせいだ!!」
「失礼な奴だな! まだそこまで老けてはおらん! 臭いというなら張侍殿の汗だろう!」
「うわーヒデェ。もう小屋建ててやーらね。なっ、大将。……ん? 大将、そのマントちゃんと洗ってる? 返り血がずっと付いたままな気がすんだけど」
「…………三日前、リナムが新しいものをくれた筈だが。……さて、どこにやったか」
『オメェら全員が汚くてくせぇんだよ。いいから出ろ。……ぶち殺すぞ……!!!』
「「「………………」」」(俺の加齢臭は確定なのか!?)
シュラの額に青筋が走り、静かなる激情が周囲一帯の建物を軋ませる。
嫁入り前の女子の裸を見せまいとする以上に、シュラは衛生面で良くない男共の出入りを固く禁じた。
『さて、と。……辛そうだな、すまんな。うちがちゃんと気ィ配ってないばかりに』
魔女は熱を帯びたリナムの額にそっと手を当て、彼女の疲労に気付いてやれなかった愚かな自分を悔やむ。
『待ってろ。魔女特製の治癒術で、すぐ楽にしてやるよ』
最新医学に匹敵しうる、失われた古の治癒術。蒼髪の魔女はその生き字引でもあった。




