解放される者と、縛られる者
虎忙と決別した靖破一行は、早速陽慶に帰還する準備を始めた。
それはアダオウ率いる北部軍も同じであり、虎忙との関わりを最小限で済ますように帰還準備を進める。
尤もかの軍に関しては、石岳城の危機に終始静観を貫いた陽堅へ寄り道する必要もあり、北部一帯を空にする期間を可能な限り減らしたいという目的もあった。
兎に角その流れが起きるや、数日前まで敵味方合わせて十万以上いた軍勢が、潮が引くかの様に撤収していくのであった。
石岳城々内
「こっちだ! 曲者はこっちに逃げたぞ! 追えぇーー!!」
「くっ……流石は大虎の兵か。気配を消しても獲物の匂いをすぐに嗅ぎ取ってくる」
そんな中、虎忙陣営一色に染まっている石岳城の中を、于雲夏の首級を抱えながら走り去る女武者が一人。
牟区市の戦いで靖破軍の捕虜となっていた藤原経清だ。
彼女はシュラによって魔力が封じられた状態にも関わらず、晒し首にされた恩人の名誉を守る為、単身で石岳城に潜入していた。
「っ!? しまった……行き止まりか!」
「よーし、袋小路に追い詰めたぞ……って小娘じゃねぇか!? 北鑑の将軍の首なんて持ち逃げして、どうするんだ?」
「……言わねば解らぬか?」
「いや、だいたい解る……俺らも武人の端くれだからな」
悔しいかな。想いは強かれども、今の経清は生身の人間。常人と比べれば素の身体能力は高いが、それでも広い城内を徒で逃げるには限界があった。
ましてや見知らぬ土地である上に、彼女は少なからず方向音痴の気がある。袋小路に迷い込み、追手に追いつかれても仕方がなかった。
「……気持ちはわからんでもないが、俺達も仕事だ。大人しく首を返せば、後は子供の悪戯として穏便に済ましてやる。だからそれを置いて早く逃げろ」
経清を知らない大虎兵達は、彼女が丸腰という事もあって意外と優しかった。
抑々、武将として名高い于雲夏を慕う者がいても不思議ではない、と理解している所からして、悪い者達ではないのだ。
「……たとえ裸に剥かれ、百杖の罰に処されようとも、この首を返しはしない。どうしてもというなら力づくで参るがいい!」
「……なら仕方ない。婦女暴行をするようで気は引けるが……少々手荒にいくぞ」
警棒に持ち替えた大虎兵達が、ジリジリと経清に歩み寄る。
対する経清は、先頭の隊長らしき者の腰に目をやる。
(…………ざっと二十人。剣さえ奪えばなんとかなるか? だが剣を抜いて抗えば、もはや生きて帰させる気はなくなるだろう。……いや、この期におよんで命を出し惜しむな。一回きりの機会だからこそ、死力を尽くして恩に報いるのだ!)
経清は于雲夏の首が入った布袋を脇に抱えつつ、居合の構えの様に腰を屈める。
見る者が見れば、それは武に精通した人間の突撃体勢だとわかった。
「む!? 小娘、やる気か。ならば容赦はせんぞ」
「……っ! いざ……」
覚悟を決めて飛び出そうとする経清と、三重の壁を作って間合いを詰める大虎兵達。
数秒後には両者が激突する状況であった。
『アタッチャー!』
「「「ごばぁっ!!?」」」
だがそこへ、経清の背後から靖破軍の格闘魔女っ娘が突如として乱入する。
三階建ての屋根から飛び降りて参上した彼女は、風となりて大虎兵達と擦れ違い、グーパンチで物理的に黙らせた。
『安心しな! 峰打ちだ!』
顎の半分が凹み、その衝撃から顔の骨格さえも変化した有様は、辛うじて即死を免れたという方が正しい表現だった。
姿を視認する間もなく、一瞬でブチのめされた大虎兵達に意識があれば、「どこが!?」とツッコミを入れるだろう。
「貴殿は蒼髪の魔女!? なぜここに……」
「陣を抜け出して何をするかと思えば、酔狂な奴だ」
「――!? 大虎の牙!? いつの間に……!」
声のした方を振り返って見れば、シュラが飛び降りたであろう屋根の上に、業物の太刀を持った靖破が佇んでいた。
「これは返すぞ。魔女よ、魔力の枷も解いてやれ」
『おぅ。……ほらよ、これでお前は自由だ。何処へでも行っちまいな』
靖破から愛用の太刀を返却され、シュラからは力を開放される。
経清は青天の霹靂にあったように、事態が呑み込めなかった。
なぜ大虎にとって敵である自分を助けるのか。散々敵として戦い、何の興味も示さなかった筈の靖破が、なぜ今になって生かすような真似をするのか。
その疑問は経清の表情にありありと顕れ、それを見て察したシュラが、無気力な靖破に代わって答えてやる。
『ロキとリナムだよ。お前は北鑑の人間じゃない。ただ恩に報いようと頑張る奴だから、その想いぐらいは果たさせてやってほしいって』
「……気が変わらぬうちに行け。今のお前なら、この城の脱出ごとき訳ないだろう」
言うだけ言って、靖破は経清に背を向けた。シュラも軽やかな跳躍で屋根に飛び乗り、この場を去ろうとする。
「たっ……靖破殿!」
「…………なんだ」
“大虎の牙”。そう呼ばれて敵意を向けてきた経清が、敬意を以て名を呼んだ。
呼ばれた靖破も気紛れとばかりに視線を戻すと、経清は深々と頭を下げていた。
「この御恩……いつか必ずや!」
「……律儀すぎて生き辛そうな奴だ。俺が敵であることには変わらん。次に会っても普通に切り掛かるぞ」
靖破なりの警告もしくは気遣いとでも言うのだろうか。
誠意を見せる経清にそうとだけ言い残すや、靖破とシュラは今度こそ立ち去った。
経清もそれを見送った後、改めて城内脱出に走り出す。
魔力を取り戻した後は障壁と言えるようなものはなく、彼女は于雲夏の首とともに石岳領を抜く事に成功した。
翌日。靖破軍は虎忙軍に何の挨拶もせずに撤収する。
キクズナや嶄條を始め、全ての将兵が靖破達の受けた冷遇を聞いた為、虎忙に義理立てる者は誰もいなかった。
アダオウの北部軍が陽堅へ向かったのは、そこから更に翌日の事。彼等も簡易的な挨拶に留めて、足早に石岳を出た。
「……おかしい。陽堅に入って以降、誰の迎えもないぞ。祝鉱、使者はちゃんと出したのであろうな?」
「そこは間違いなく出しましたぜ、大将。不戦の理由もちゃんと説明するようにって」
「……あん? 大将、兄者。向こうから走ってくるの、うち等の使いじゃないかい?」
アダオウ、祝鉱、祝那の三将は、陽堅城からの出迎えがない事に疑問を抱いていた。
そんな最中、祝那の指さした遠くの方に、祝鉱が出したとされる軍使の姿が見える。
アダオウは合流次第、軍使に何があったかを問い質した。
「それがよくわかりません。城門を開ける様子もなく、城壁の上の兵士に話し掛けても返事すらしません。アダオウ様直々の参陣と伝えても無視です。いくら待っても不気味な程の静けさを放っている為、一旦戻ってきました」
「…………祝那。北鑑連合軍との決戦前まで、陽堅とは意思疎通ができていたな?」
「あい。ちゃんと現状報告してましたよ。陽堅城主の趙隕も、大虎本軍が出陣する前に一回本部へ来てました」
「俺ァ趙隕と話しましたが、特におかしな様子はなかったっす。寧ろいつも以上に張り切ってたぐらいですぜ」
「……では何が問題だ。このまま進み、我輩が現れた事で解決すればよいが……」
陽堅城主の趙隕は、石岳城が包囲されて戦々恐々するような臆病者ではない。かといって北鑑と内通するような卑怯者でもない。
では何故、今もこうして不気味な沈黙を貫いているのか。
アダオウは長年の経験から、俄に謀略の匂いを感じ取った。
(…………まさか、白眉が何かしらの干渉でもしてきたか? 城門を開けぬという事は、我輩等に中を見られる訳にはいかんのだろう。……趙隕はしかと城に居るのだろうか。……相当きな臭いぞ、これは)
アダオウは急遽、警戒態勢を取らせた。北部軍の将兵は自國の、それも自分達の任地で臨戦態勢を整えるという、不可思議な事態に困惑した。
そのため北部軍は当初の進軍速度を大きく落として進まざるを得ず、陽堅城に到達できたのは日が暮れる寸前だった。
しかし、そこから翌日の昼まで待っても、陽堅は頑なに門を閉ざしたままであり、アダオウ本人の声掛けにも何の返答もしなかった。
「…………ダメっすね、大将。こりゃ待つだけ無駄だわ」
「……ここで時間を浪費しても仕方ないか。全軍、本部に戻るぞ」
結局、アダオウは楽羅に備える事を優先して、陽堅からも撤収する。
その後ろ姿を、城壁にいる兵士達は悔しそうに見送っていたという。




