失意を癒す約束の言葉
「ロキィッ!! お前は誰に向かって口を聞いているのかわかっているのか! 一貴族の跡取り如きが殿下に向かって何たる無礼な――」
ダァンッ!!
「っ……!? 蒼髪の……魔女!」
激怒した傅磑がロキの態度を咎めようとするも、背を向けたまま腕を組むシュラが床を蹴り破った音で、容易に黙らせられる。
魔女の心中には、目下にしか強く出られない雑魚は黙っていろ、というものがあった。
「カカッ! 見事に気圧されたな、傅磑よ。
――ルーベルズ・ロキ。外様貴族のくせに言うではないか。蒼髪の魔女によって虐げられていた祖先を、我が王家が救って貴族にまでしてやったというのに。こともあろうか恩を仇で返す……か?」
「それはお前らが勝手に語り草にしてるだけだ。妹に加えて魔女様まで貶してんじゃねぇよ、子供おっさん」
「ほぅ……王家が教わる伝承と、ケトで伝わるものでは違うのか。それはちと興味の湧く話だが……聞いたところで意味はなかろうな。同志が同志なら、大将も大将。靖家の者等とは、同じ大虎の人間でも解り合えそうにない」
「あぁ、解り合うなんてこっちから願い下げだ。
――ルーベルズ家は今ここに、大虎王家との完全な縁切りを宣言する!! お前等がうちの領内に踏み入ったら、後ろからでも容赦なく切り捨てるからな!!」
ルーベルズ家を代表して、ロキは声高らかに絶縁を申し出た。
当然、靖破や虎忙を除いて殆どの者が驚愕するも、ロキは至極堂々とする。
「兄様……!」
「構わねぇよな、リナム。お前も靖破殿や魔女様が貶されるのは、我慢できない筈だ」
「…………! (コクリ)」
虎忙に対して恐怖心を抱いてしまったリナムは、頼もしい兄の背中に向かって力強く首肯する。
ロキの宣言は正に、リナムが言いたくても言い出せない本音を代弁するものであった。
「……では、これ以上議論することはないな。傅磑殿、我々はこれで失礼する。次に見えるとしたら戦場になるかもしれん」
締めは祝覧だ。彼も虎忙の継ぐ大虎に見切りをつけたようで、虎忙陣営の実質的な指揮官たる傅磑に宣戦布告して去る。
「……フッ、行くぞ。ロキ、リナム」
リナムを包むようにマントを翻すや、靖破はロキと張侍を伴って祝覧を追う。
一行は祝覧が先頭を進み、左右をシュラと張侍が固め、靖破とロキが殿を務めるように、リナムを守りながら大広間を出た。
それを追おうとも、呼び止めようとする者も居なかった。
あくまでも共闘関係にあったアダオウは最後まで中立を貫き、傅磑は何とも言えない険しい表情で沈黙する。
方や、虎忙は何食わぬ顔で酒を所望するや、一杯だけ呷った後に宴席へ戻る。狒易は靖破一行の背を忌々しげに見送った後、虎忙の後を追った。
「…………兄様……あの……」
「ん? なんだリナム」
「私が思う大義って……所詮綺麗事の、自己満足なの? 大虎から仕掛けた戦は絶対に無くならない。民は為す術なく、餌食にされるのが正しい世の在り方なんでしょうか?」
屋敷を出る途中。意気消沈したリナムは堪らず弱音を吐いた。
ロキは周囲を警戒しつつも、涙声の妹の頭を優しく撫でる。
「俺達が示さなけりゃ、綺麗事で終わるのは事実だ。それに正道に基づいた自己満足で何が悪い。臣民を歯牙にもかけず、酒を飲んで自分だけが満足する虎忙より何千倍もマシだと思うぜ。なぁ、靖破殿」
「あぁ、間違いない。……リナム。君は君が正しいと思う道を進めばいい。文句を言う輩は、俺とロキがいくらでも切り捨ててやるさ」
『うちもな。いるぞちゃんと。忘れんなよ』
リナムから見て右を歩くシュラが、リナムの肩を抱いて落ち着かせる。背丈は殆ど同じか、若干リナムが低いように感じるものの、親と子のような気配を纏っていた。
「靖破様……シュラ様。でも、私のせいで、お二人まで悪く言われては……」
「そんな事は気にするな。もとより俺は、自分が何と言われようとも興味すらない。魔女も同じだ。アサギでもくれてやれば大抵の事は忘れる」
『おい! うちが阿呆みたいな言い方すんな!』
「だが事実だろう。この間アサギを食った後、水浴びするとか言っていた筈がそのまま寝たではないか。水浴びぐらいなら祝覧を呼び止めておけばいいと思っていたが、昼寝したから相当待たせたぞ(萓宣安撫中のある日の出来事)」
「ぬああぁぁ……! 道理で長かった訳だ……! 靖破殿。たとえ水浴びでも、ちゃんと言ってくれねば困るぞ。俺は策の為に一刻一秒とて無駄にするわけにはいかんのだ」
「理解した。以後気をつけよう」
『ぶぅーー。なんだよ、昼寝ぐらい目ぇ瞑れよ』
「魔女様上手い! 昼寝だけにってね!」
「巡回中に食い倒れした鳳は黙ってろ!!」
「……食い倒れって……。兄様、何してたんですか」
祝覧はロキと共に、萓宣の南側を安撫して廻っていた。
その最中に見せたロキの食い意地を、祝覧は大目に見て黙っていたが、皮肉にも彼を黙らせる為に言ってしまう。リナムの涙が急に引っ込み、ジト目を作った瞬間だった。
「まぁ心配するなリナム。今回の件で靖破殿と魔女様が悪く言われるような事は、まず無いと思うぜ。なんたって二人の無礼を俺が華麗に上書きしたからな。無礼討ちされて生まれ変わった瞬間に即処刑される程の無礼を働いた。悪く言われるなら俺の方だな」
「ロキはそう言うが、魔女も魔女で虎忙に手を上げている。逆にこんな無礼は、古今東西どこにも存在しないだろう。だからあいつ等が俺達の事を悪く言ったところで、現場に居なかった人間は半信半疑だ」
「靖破殿に同じく。寧ろ知識人は、民衆の開放者たる靖破殿を虎忙陣営が陥れようとしている……と取るだろう。何にせよ、我々は挑発しただけで大義は失っておらん。今回の件で虎忙陣営が何か仕掛けてくれば、非は向こうにある」
「フッ、“挑発” ね。ものは言いようだな。それにしても祝覧殿。散々武力行使はどうのって言ってたくせに、ヤル気満々だな。今からもう一度殴り込みに行くか?」
「軽口はその辺にしておくのだ、ロキ殿。……まさか虎忙殿下が、あれほど話のわからない者とは思わなかった。側近の狒易も碌ではない。傅磑殿なら心を同じくしてくれるとも思ったが、見事に裏切られた気分だ。彼等は必ずや、我々に危害を加えてくるぞ」
「気を引き締めろって事な。了解!」
大将 靖破を支える知勇両翼の二将は、次の相手をしかと見据えた。
その様子にリナムが奮い立たされたのは言うまでもなく、底知れぬ頼もしさを芯に響かせた彼女の顔からは、勇気を帯びたように不安の色が除かれた。
「……わっ!? 靖破様!?」
すると今度は、後ろから伸びた靖破の手が、リナムの頭を優しく撫でた。
リナムが振り返って見れば、靖破の表情が僅かに口元を上げているように感じた。
「……そういう事だ。君は堂々としていたまえ。もし道に迷ったとしても、何度だって助けてやるさ。虎の子の約束は絶対だからな」
「……ぇ……!? 靖破様……いま、“約束” って……」
靖破はさらりと流すように言ったが、彼の言葉の中には、リナムの心を強くときめかせる単語が入っていた。
だが、それを確認する間もなく、靖破はシュラにバトンを渡してしまう。
「魔女よ、リナムを慰めてやれ」
『よっし任せとけ! ほーれリナム! 高い高ーい! 他界他界ーー!!』
「えっ、ちょっとシュラ様――きゃあっ!? 天井が近い! 近いですって!?」
「おっ、リナムー。後ろの俺達からはパンツ見えてるぞぉーー。隠しとけーー」
「兄様ッ……!!」
空中で赤面しながらスカートを抑えるリナム。
ロキ曰く “後ろの俺達” とは靖破を含んでいた。
兄に見られるのはまだ良いとしても、靖破に見られるのは恥ずかしい。しかもそれを堂々と言われるものだから、余計恥ずかしかった。
やはりロキはデリカシーの欠片もない鳳。内股で落下するリナムを受け止めながら、シュラはそう思う。
(でも……今はそれが嬉しい……!)
羞恥心に勝る胸のときめきが、顔を紅潮させる主な理由でもあったリナムにとって、それを隠せるロキの発言はありがたくもあるのだ。
(道に迷ってもオレが一緒だ! 何があっても絶対に守ってやるから、もう泣くな!)
(ぐすっ……お道に迷ったら……頼っていいの?)
(あぁ! 虎の子の約束は絶対だ!)
(靖破様……! あの時の約束を……覚えていてくださったんだ……!!)
幼い頃に陽慶で交わした、本当に些細な約束。不安で堪らなかった自分を優しく、そして力強く撫でてくれた靖破の手に、リナムは底知れない安心感を抱いたのだ。
リナムは忘れているだろうと思っていたそれを、靖破はちゃんと覚えていて、しかも他人に対する興味を無くした今も貫いてくれる。
自らの道を否定されたばかりのリナムにとって、それがどれほど嬉しい事であったか。
彼女の瞳から、今度は嬉し涙がこぼれ落ちる。それをシュラが高い高いの恐怖からだと勘違いして、ロキが笑いながらリナムの頭を、もう一度撫でてやるのだった。




