大人たちの静かなる激情
リナムを遊女の出来損ない扱いされた事で、シュラの内なる怒りは頂点に達していた。
普段から気が短く騒がしい彼女だが、本当に怒った時は胸に静かなる激情を秘め、何時にもない冷静さが関心のない話題にも理解力が及ぶ。
祝覧はシュラが、ただの格闘魔女っ娘でない事を知った。
『成り行きで王を継いだだけのお前が偉そうに言うな。女の身で乱世に挑む勇気も知らない雑魚どもも、ぐだぐだととぐろを巻くな。世間が今、“開放者” と讃えているのはうちの靖破だ。こいつに代わって大義を示すリナムも、民衆から絶大な支持を集めてる。それこそ列国に命を狙われる程にな。そこに来てお前達がやろうとしてるのは、蜂の巣に石を投げつける事だよ。やらなくてもいい事をして敵を作り、全方位から襲われて惨たらしく死ぬだけだ』
(そうだ……魔女殿の言う通り。今、民衆の英雄となっている靖破殿を冷遇し、陽慶を深部とした防衛線を勝手に変えて北鑑への対抗力を失えば、大虎中の民や兵士が大混乱に陥り、やがては徒に敵を増やす。そこに王族としての権威など無い)
『お前達がバカでわかってないなら仕方ねぇ、謝れば赦してやる。だけど、わかっててやってんなら今すぐ殺す。どうせ近い内に摘まれる命だ。怒りを抑えてまで、歴史書に数行分の余生をくれてやる価値はねぇだろ』
(いや、だから……殺したら今度は我々が悪者になるぞ。仮に価値はなくても、生かしてはおくべきだろう)
黙れと気圧された手前、心の中で喋る祝覧は、シュラの一言一言にヒヤヒヤする。
だが、宣戦布告的なシュラの言動は既に、傅磑と傅冬に加えて、かの親子に従う将校達に敵対心を持たせていた。要は彼等が、剣に手を掛けた。
「……魔女よ、もう充分だ。一、二の三で、お前は傅磑とその倅どもを殺れ。俺は後ろのアダオウを封じる」
『あぁ、瞬殺だ。うちを怒らせたのが運の尽きだな、お前等』
虎忙陣営からの殺意を察知した靖破が剣を抜くや、シュラも拳を鳴らす。
数秒後にはこの大広間が、血の海になると祝覧は諦めた。
『イチ、ニの――』
「待ってくださいっ!!!」
しかし一触即発のところで、両陣営の間に立つ者が現れる。
虎忙に侮辱された当のリナムが、シュラの前に両手を広げて立ちはだかったのだ。
「シュラ様、待ってください。まだ私に、殿下と話させてください……!」
『リナム、先に言っとくぞ。お前等が殿下殿下と仰ぐそいつに、言葉は通じねぇ。うちの覇気を真正面から受けても動じないぐらい、そいつは現世から外れてる。肉体はあっても魂はこの世に無い。屍の耳に祝電を述べたが反応なし、みたいなもんだ』
「それでも……それでもっ! 手を収めてください。靖破様も、お願いです……! 兄様も……味方同士で争わないで……!!」
涙ながらに訴えるリナムを見て、靖破と挟んでアダオウを背後から切ろうと構えていたロキが、まず最初に身を引く。
次は後ろの脅威が去った事を感じ取ったアダオウが、肩から力を抜き、その後に靖破が剣を収めた。
『國民を守る事がリナムの掲げる大義なら、そいつ等は敵だぞ。今のうちに殺しておいた方が後々の災いも防げる』
「……敵かどうかは、まだ……」
『なぁ……リナムは何を恐れてんだ? 心配しなくても、そいつ等や北鑑に遅れをとるうち等じゃねぇぞ。結果良ければ万事問題なし、なんだろ。それなら卑しくて無能なくせに、口だけは達者でバカにしてくるような味方は永久的に退場させようぜ』
「私はいくら侮辱されても、いいんです。大虎は元々、殿方が強い立場にある武人の國ですから」
『……何だか癪に触る身の引き方だな。まるでうちまでバカにされてるみたいだ。
――いいかリナム。女で武人でもないうちが充分幅を利かせてんだ。うち等に出来ない芸当をやってのけるお前が自分を卑下するんじゃねぇよ』
「す、すみません。ですが……私は……」
ここまで言ってもまだ煮えきらないリナムに、シュラは苛立ちを覚えた。
だがその矢先、涙目で困惑するリナムの目線が一瞬だけ靖破に向くと、魔女は彼女の心境を暗に悟った。
(……! あぁ……そういう事。靖破に覇者の器を見てるから、その名の信頼に泥を塗りたくない訳ね。大虎だけを救うんじゃなくて、世の動乱を靖破に治めてほしい……だから信義に反する行為はしたくない……ってところか)
『…………はぁ……。まっ、うち等を利用するぐらいの気構えでやれって言ったのはうち等本人だしな。仕方ない。我慢してやるよ』
拳を引っ込めたシュラは、虎忙に対して消化不良気味に背を向けた。
暗君の姿を見続ければいずれは手を出しかねない魔女にとって、そうするのが一番だ。
「蒼い髪に、“魔女” と呼ばれる人ならざりし者……か。もしかしなくとも、お前が伝説に囁かれる「蒼髪の魔女」だな」
『うちに話しかけるな、子供おっさん。お前はリナムの言葉に耳を傾ければそれでいいんだよ。……リナム、言ってやんな』
背を向けていても威圧は充分。虎忙陣営の者達は魔女の逆鱗を恐れて、不敬罪だの何だの言うことができなかった。
リナムはシュラの後押しを受けるや、涙を拭って虎忙に向き直る。
その顔は武人に匹敵しうる気概を宿し、君主に諫言する忠臣そのものだった。
「虎忙殿下。國を成すに当たってその基となるものは國民です。民なくして國は治まりません。世界中のどの勢力においてもそれは同じです。威を以て世界の動乱を治める覇者・剣合国は、民の疲弊を無視した恐怖政治を敷いた結果、大虎を始めとした多くの国の叛意を招きました。殿下が大虎を継がれる場合も、そうなってはなりません。民を第一にお考え下さい」
「民か……カカッ! 口を開けば民、民、民と。草木に等しい存在に、なぜそれほど気をかける必要がある」
「私の父ジオンは、生前このように申しておりました。「國家とは王だけの家ではない。王を含めた臣民全ての家である」と。國民を基礎や土台、床とすれば、國威や信義は柱となり、私達臣下は壁となります。そして王が上に立って屋根となる事で、國家は出来上がるのだと。こうして初めて、何事にも屈さない強固な國を成す事ができるのです。
――それなのに殿下は今、基礎たる國民を見捨て、威を軽んじ、御身の為に尽くした臣下を疎んじておられます。それでどうして、國が成り立ちましょうか! 殿下に先王の意志を継ぐ心がありますなら、國民を案じなさった上で、祝覧将軍の献策をお聞き入れ下さい。このままでは次の侵攻を受けた時、前にも増して多くの民が犠牲になってしまいます! 私達が始めた戦争を機に、無辜の民が守られもせずに殺されていく世界など……余りにも残酷ではありませんか!?」
始まりこそシュラに気圧された傅磑達は、リナムにも敵対心を向けていた。
しかし彼女の訴えは、武官・文官を問わず國を想う者の心を打った。
朝廷に於いてはただの貴族令嬢の一人にすぎないリナムが、真の國士であると認識を改められた瞬間である。
「え……きゃっ!?」
虎忙が王印の刻まれた文鎮を持ち上げるや、リナムの視界が赤に染まる。
彼女が驚いたそれは、スッと横に入った靖破が、リナムを守る為に広げたマントだった。
「チッ、当たらなんだか。靖家のが余計な事をしたわ」
重量物の落下音から一拍置いて、虎忙の残念そうな声が脳裏に響く。
それと同時にリナムは、自分の足下に落ちた拳大の文鎮を見てゾッとした。
靖破が守ってくれたから事なきを得たが、今のは間違いなく殺意の塊を飛ばされていた。
「虎忙……殿下……!? なぜ私を……」
「禿(※遊女の側仕え)が一丁前に駄弁るからだ。身の程を知らせる為に、折檻してやろうと思ったまでよ。
――それでも一応、王として言葉を返してやるなら「足手まといの民衆を助けるより、見捨てた方が余の利益になる」のだ。地位も低く、力も弱い。草のような存在に貴重な戦力を廻した所で、無駄な戦火を広げるだけであろう。大虎の民には見捨てる価値があればこそ、助けてやる必要などあるわけがない。王が心配せずとも、草はまた生えてくるわ。少しは解ったか? 禿よ」
國士たる姿を見せたリナムの表情が、見る見るうちに絶望の色に変わって尚、虎忙はリナムの事を遊女の出来損い以下という認識で応答した。
これには流石の虎忙陣営も開いた口が塞がらず、恐る恐る靖破とシュラの顔色を窺う。
「靖家の。次会わせるまでに、その小娘を少しはマシに仕上げておけ。今のままでは話を聞こうという気も起きんわ」
「お前は誰に生かされているか、まるで解らんようだな」
「……あ?」
「リナムの前でなければ、お前など即斬り殺している。この子をまた会わせるつもりもない。引き合わせたところで全ては無駄だと解ったからな。お前は、リナムにとって悪い教材でしかないようだ」
靖破とシュラは当然の如く怒っていたが、それでもリナムの意志を尊重した。
彼女をこれ以上傷付けまいとして、今この場で武力を用いようとはしなかった。
反対に今まで黙っていたロキが、我慢の限界とばかりに前へ出る。
「虎忙殿下……いや、捻くれた子供おっさん。俺は基本的に、敵であろうと人を嫌いになる事はしない。だがそんな俺でも、必ず嫌いになる奴が存在する。「妹を虐める奴」だ。捻くれた子供おっさんよ、あんたはさっさと――」
靖破と並んでリナムを守るように立つロキは、誰にも向けたことの無い下卑面を浮かべて見せるや――
「糞して寝ろ……!!!」
虎忙に対して中指を立てた。




