怠惰なる暗君は虎になれず
石岳城(虎忙軍陣営) 午後九時頃
石岳城は先の決戦に次ぐ北鑑連合軍の大侵攻の折、姜純・奚范軍の包囲を受けたまま陸の孤島と化していた。
城兵の数は三万を超えるが、その大半は決戦に敗れて撤退してきた敗残兵であり、負傷している者が殆どという有様だ。
不足している戦力を補強すべく、王弟の虎忙に代わって実質的な指揮を執る将軍の傅磑は、臨時徴兵した城内の民を戦力に当てる事で、北鑑軍の攻撃から耐え凌いでいた。
そんな中、城内随一の屋敷では、今日も豪勢な宴会が開かれていた。
傅磑は気が重くなるのを必死に抑えながら、贅を尽くしている虎忙に謁見する。
「……虎忙殿下、お楽しみのところ申し訳ありません。傅磑です。申し上げたき儀があり罷り越しました」
「殿下は今、英気を養っておられる。傅磑将軍、また改められよ」
虎忙に代わって応対した者は、彼の腹心である狒易だ。
武人の國・大虎に似合わぬ肥満体を晒し、目元卑しい顔をした典型的な奸臣だった。
傅磑はこの汚物を通さなければならない事に辟易する。
武官と文官の仲が悪いのはどこの国でも同じようなものだが、こと狒易に関しては嫌いの度合いが桁違いなのだ。
「カカッ、よく言うわ狒易宰相。歴戦の将軍に “英気を養っている” などと、嘘が通用するものか」
黒の簾に隠された奥座より、虎忙の声がした。
堕落に耽りながらも、やはり虎の血は混じっているだ。妙に男気を纏う声音である。
「はっはっは。“宰相” などと。殿下もお戯れが好きですな」
「この城に籠るは皆死兵。どうせ最期は北鑑によってなぶり殺されるのだ。呼称ぐらい好きに呼び合っても罰はあるまい。……傅磑、よいぞ。お主も上がれ」
「……ははっ。失礼いたします」
傅磑は招かれる声に従い、狒易よりも虎忙に近い場所へあがった。
「で、何のようだ? 遂には玉砕の刻来たれりか?」
黒の簾を潜り、奥座に至った傅磑を、虎忙は遊女の膝上に寝た状態で出迎える。
構図こそ不快だが、虎忙本人は中々と立派な体躯の持ち主だった。
大虎王の愚弟として知られつつも、武人の國に生きる王族として、嫌々ながら鍛えた証だ。鍛えれば鍛えたぶんだけ、輝くだろう筋肉の原石と言える。
「今は国家存亡の刻。片腕や片眼を失った負傷兵を始め、戦った経験の無い民までもが武器を手に戦っております。偏にそこまでして戦うのは、この城が大虎最後の要であり、殿下が次期國王になられる御方だからです。それを思えばこそ、辛い戦況にも耐えて来られたのです。……できますれば殿下には、驕奢は控え、将校士卒の鑑となる勇姿をお示し下さい。さすれば全ての臣民は勇気付き、この難局を乗り越える事も叶いま――」
傅磑が言い終わるよりも前に、彼の頬すれすれを盃が滑空した。
僅かに残っていた酒が飛び散り、傅磑はもとより後ろに控える狒易にも水滴がかかる。
「チッ、外れたか。……勘違いするなよ傅磑。お主の忠義を思えばこそ、戦は好きにさせておる。だが結末の見える戦に参加するほど、余は粋狂ではないのだ」
「……我が軍の負けと決まった訳ではありません。北にはまだ、アダオウ殿の強軍が健在です。彼が来援すれば城を包囲する北鑑軍など、たちどころに撃破できます。今はまだ、救援軍の手配に手間取っているのでしょうが、我らが忍耐に励むならきっと、アダオウは駆けつけて参ります」
「……で、そのアダオウと直接連絡が取れる陽堅からは、鳥が戻ってきたのか?」
「…………いえ。陽堅には何度も救援を知らせる鳥を飛ばしておりますが、一羽も帰って参りません」
「カカッ、では終わったな。陽堅は既に陥落したのだ。アダオウが援軍に来ないのも、陽堅を突破した北鑑軍の対応に追われておるか……はたまた北部軍も終わったかのどちらかだ」
「いえ、北鑑軍は陽堅まで攻め入っていないでしょう。侵攻もしくは陥落せしめたなら、大々的に公表して我らの士気を下げる筈です」
「カカカッ、同じことよ。援軍が来ぬのであれば、城の生き死になど関係なかろうが」
「…………」
石岳城は大虎本軍の管轄である。この城が完全包囲されている今、アダオウの北部軍本隊に連絡するには、北隣に位置する陽堅を仲介する必要があった。
しかし幾度となく空の便を送っても、陽堅から返事が来ないばかりか、肝心のアダオウも陽堅とは連絡がつかなかった。陽堅は健在であるにも関わらずだ。
健在である筈の北部軍の城が、アダオウの指示にも従わずに沈黙を貫いている。
それ故に傅磑も虎忙もアダオウも、互いの状況はわからずじまい。だからこそアダオウは、祝覧の共闘案に乗ったといえた。
「……陽堅はともかく、アダオウ率いる北部軍もそう簡単に敗れるとは思えませぬ。かの軍は大虎創設以来、北の反乱に対して応戦できる武力を維持してきました。率いる将軍も世襲制ではなく、長年の実績と名声、人柄によって定められております。言うなれば、大虎本軍に次ぐ実力を持った精強軍です。
――それに先の決戦で、大虎本軍の全てが敗死した訳ではありません。各地では味方の残党が抵抗を見せ、民も義勇兵として立ち上がっているとの噂。……殿下、今一度具申いたします。我が軍はまだ負けた訳ではありません。頑強に耐え凌げば必ずや、反撃の機は訪れます。故に殿下には……」
「そこから先は聞いた。別の話が無ければ下がってよいぞ」
「殿下……お考え直しを。殿下は今、敵からも味方からも試されております。ここで英雄たる行動を示せば、剣合国の悪政を憎む諸侯達は味方し、多くの将兵が集まって大虎は蘇ります」
「カカッ……“英雄” とはたいそれた事を言う。賢兄愚弟と評判の余に、そのような器はなかろうが」
「器は玉石に同じく。良き臣下にして、良き職人に恵まれて磨かれるもの。誰しもが皆、始めから王者の輝きを放っているわけではありません。臣下の進言を聞き入れ、善きものを実行していくうちに、王者の才は開花するのです」
「才能……才能か。結局は本人の器ではないか。……傅磑よ、仮に余の器が王者のものであっても、お前の理想は実現しない。賢兄でも正しいと思った戦を断行した結果、殆どの国を敵に回して敗れたではないか。……賢兄は賢いからこそ、無謀なことが果たせられると勘違いしたのだろうが、愚弟は愚か故、無謀な戦は無謀としか見て取れぬ」
虎忙は先ほど投げ捨てた盃を、虚ろな目で見つめていた。
彼の本音に、傅磑は気の利いた返事ができなかった。無骨にして実直な武人である傅磑に、弱者の気持ちは半分程度しか理解できないのだ。
「余は目に見えてわかる極楽を求めるぞ。他国の王達もそれを嫌う者はおるまい。切り取り次第の大虎から、極楽を得ようとするならくれてやれ。長く抗い、下手な講話をするより可能性はあるだろう」
「それでは大虎の誇りを損ないます。……殿下。少しずつ……少しずつでも構いませぬ。何卒私の進言を聞き入れ、大虎たる王に相応しい御姿を――」
「傅磑殿! 無礼が過ぎるぞ! 殿下、今の傅磑の発言は不敬罪に値します。全軍に示しを付ける為にも、此奴は処断して見せしめにすべきです!」
「……全軍は傅磑に預けているではないか。その示しは傅磑自身がつける故、余も宰相もすることは何もない。
――傅磑。話は聞いた。もう下がってよいぞ」
「…………御意にございます」
君主としての威厳すらも、虎忙には面倒くさい存在であるのか。彼は傅磑の諫言も狒易の讒言も取り入れる事はなかった。
(……奸臣の言葉に耳を貸さぬだけ、まだマシか。それでも狒易さえ居なければ、援軍が来ている事を殿下に伝えられるのだが……)
靖破軍に帰順した張侍から、傅磑は援軍の存在を知らせれていた。
しかし、それを虎忙の前で伝えれば、北鑑軍と内通している狒易にも知れてしまう。
(奴は性根が卑しい。保身の為なら迷わず殿下を売るだろう。今は私の配下が護衛についている事で、下手な真似はしてないようだが……)
実直な傅磑と違い、狒易は利を貪る人間だ。そんな奴の前で張侍と鐘鬼が寝返り、靖破やアダオウが駆け付けていると口に出せば、せっかくの反撃の機会を損なうおそれがあった。
「……父上、お伝えしたき事がございます」
「冬か。なんだ?」
傅磑が屋敷を出ると、松明を片手にした兵達とともに、息子の傅冬が待っていた。
傅冬は銀の甲冑を纏い、肩当てに白のマントを付けた長身の青年である。
その勇ましき出で立ちと白い肌は、雪原に堂々とそびえる巨木を思わせた。
「ついさっきですが、東の方角に火の手が見えました。城を包囲する北鑑軍も何やらザワついています。もしや東の郊外で、戦闘のようなものが起きているのかもしれません」
「なにっ!? それはまことか!?」
援軍が近づいている様子に、傅磑は珍しく大声を上げた。
彼は傅冬を伴って東の城壁へ登り、そこから城外の様子を見渡した。
確かに東の空が薄っすらと赤く染まり、その下で火事のようなものが見える。北鑑軍の陣地からも聞き慣れない怒号が幾つか飛んでおり、昨日までの包囲状態とはまるで違った。
「……ん!? あれを見よ! 照明弾に旗が照らされたぞ!」
遠くで撃ち上がった照明弾が、赤い夜空に黄色い煙の線を引く。それがゆっくりと地上に落ちるにつれて、掲げられた大旗が確認できた。
旗印は大虎本軍を表す「赤き猛虎の横顔」と、大虎北部軍を表す「盾心の猛虎」。靖破とアダオウの援軍が、遠目に映る所まで来たのである。




