感謝の夜
北鑑連合軍は靖破軍の支配領域から完全に撤退した。
北の楽羅軍は龍伯率いる北部軍の追撃で壊滅的な被害を出し、白眉軍の殿を務める趙隕に拾われる形で自国へ戻る。
西の白眉軍はいの一番に大虎領を脱し、再編した軍をそのまま西の本國へ向けた。
傅磑の率いる虎忙軍に関しても、這々の体で石岳へ帰還。
その一方で出兵に形だけ応えたチバ家当主のヒタチは、無傷のまま引き上げる事に成功した千の兵士から戦の経緯を聞くや、大虎王家との完全な決別を表明。攻める姿勢こそ見せなかったが、勅使を門前払いするような指示が下されたという。
そして肝心要の北鑑軍は、ムラサキの残軍がバルチャーによって撃破されるものの、李迅は侵攻時にとった海路を駆使して撤退に成功する。
李迅の後を追って南東に出たバラガスは、逃げ遅れ・捨て置かれた敗残兵を投降させながら拠点を奪取していき、二千近い北鑑兵を捕虜とした。
陽慶城内 時にして二十一時。
地震による難民の被害は怪我人こそ千を超えたものの、死者の数は僅かだった。
靖破軍は負傷者の手当てを優先的に行い、最低限の警備態勢を整えるや、戦死者の鎮魂を兼ねて簡素な勝利パレードを開催する。
「我等の勝利だ!! 今宵は無礼講だぞ!!」
「「「うおおおぉぉぉぉーーーー!! 祝覧将軍わっしょーーい!!」」」
祝覧の号令を機に、祝家の兵団が真っ先に狂喜乱舞した。
それを皮切りに陽慶城内の至る所で歓声が巻き起こる。心身ともに傷を負い、疲労でフラフラになりつつも、皆の顔には大小それぞれの笑みや喜びが宿っていた。
「凄い……ずっと戦ってきたのに、それでもまだこんなに体力が残ってるなんて」
「ハハ、酒宴は別腹って訳だ。それでもすぐに限界が来て、直に寝るだろうぜ」
城内の被害状況をまとめ終えたリナムと、羽目を外す仲間の為に夜警に徹するロキ。
尽くし体質のルーベルズ兄妹がいざフォロー側に回ると、目の前で広がる歓喜の宴に飛び込む事はなかった。
「兄様……生きていてくれて、本当にありがとう。兄様が居なかったら、私もこの地に集う皆さんも、みんなまとめて違う終わり方を迎えていたと思うの」
「えらく突然だな。……まぁ俺が居なかったら居なかったで、その時は靖破殿や祝覧殿が何とかするさ。嶄條のおやっさんだっているし、何よりリナムがいる。どう転んでも悪い結果にはならなかったと思うぜ」
「でも、兄様という存在が居てくれたから本当に心強かったの。私がルーベルズ家の当主として靖破様の御力になれなかった時、兄様が代弁してくれて……本当に嬉しかった」
「石岳城で謁見した時か? なぁに、兄としての務めを果たしたまでだ」
「この戦いも兄様が援軍を連れてきてくれたから、最小限の被害で勝てた。援軍が無かったらもっと酷い事になっていた筈」
「あぁ、それは確かにそうだな。……だがそれも榲國の後ろ盾あってこそだ」
「援軍の話を纏めてくれたのも兄様でしょう? 領内の兵力を素早く結集して、榲國軍と一緒に戦場に駆けつける。……兄様でなければ到底出来ない」
「…………勘違いしてるぞ、リナム。誰かのお陰でって思うのはリナムだけじゃない。俺だってお前が居なければ、靖破殿や魔女様が助けに来てくれるとは限らなかった。一緒に救出された祝覧殿もそうだし、何より靖破殿も本当の君無道で終わっていたかもしれない。そういう意味では皆を導いたリナムこそ、リナムでなければ到底出来ない話だった。
――“居てくれてありがとう” は、お互い様だ」
「……兄様……!」
妹の頭を軽くポンポンと叩くロキ。リナムも上目遣いのまま小さく微笑んだ。
「さて、俺は城内をもう一周警邏してくる。リナムも疲れてるんだから、程々にして休めよ。最優先事項はもう手配済なんだろ?」
「はい。于雲鮮様が手伝って下さいました」
「あいつもタフだなぁ! それやって今も自分の部下を労いに回ってんだから!」
于雲鮮は戦闘中に帰順した父の部下達を慰安して回り、先に帰順していた者達とともに苦楽を共有していた。
ロキの父ジオンと同様に、于雲鮮の父 于雲夏もまた、兵を大事にする名将。
その優れた用兵家ぶりが確かに受け継がれており、盟友同士の父を介して于雲鮮を知っているロキは、屈託のない笑みを残して消えた。
「……では、私も靖破様とシュラ様のもとに」
ロキがこの場を後にすると、リナムも主を求めても事務所内を捜索した。
だが、シュラはともかく靖破に関しては、喧騒の中に居座る姿が想像に難く、やはりと言うか見当たらなかった。ともなれば宿主に紐付くシュラもまた、この場には居ない。
「代わりに居るのはアタシだぜぇ!! アンタも飲みなリナムゥゥ〜!!」
「祝那将軍……もう相当酔っておられますね」
執務室を覗けば、祝覧の席にふんぞり返る祝那が居た。
机の資料は片隅に押しのけられ、代わりに兄が貯め込んだ秘蔵のツマミが勝手に並べられている。そこにお洒落な酒瓶を添えれば、祝那だけのセルフ居酒屋の完成だ。
「……皆さんと一緒には飲まないのですか?」
「祝家の宴会は品性がないから嫌だよ。ドカ食いしながら騒いで裸になって、歌って踊って倒れて……遊びならともかく、食事を兼ねる場でそれは見てらんないよ。食材に感謝と、酒の酔いに趣を! 良い女なら当然の心得だね!」
「……なるほど。何となくですが、わかります」
よく見れば片隅に追いやられた資料の山も、無造作ではなく丁寧かつ整然と置かれていた。秘蔵のツマミも祝那なりの美意識のもとに広がり、酒も一滴一滴を愉しむ為に仕込まれた高級酒だ。ドカ食いドカ飲みとは真逆の美である。
「祝覧将軍であれば、ここで飲んでいた方が祝那将軍であると気づきますね。逃げられませんよ」
「だろうね。他の奴なら資料とゴミが散乱して、挙げ句の果てには重要な書類が濡れてダメになってたりするところだよ。……それはそうと、リナムも飲まないかい?」
「軽くお酌するぐらいであれば付き合わせて頂きます。ですが二十歳を超えるまで酒を飲むなと、父に厳しく言われておりますので、申し訳ありません。それに、今は靖破様とシュラ様を探しておりますから」
「そりゃ残念だ。せっかく品のある女同士で愉しめると思ったんだけどね。……まぁいいや。それよりね、リナム。ちょっといいかい?」
「!? な、なんですか祝那将軍?」
上手いこと躱せたと思ったリナムだが、祝那が微笑を浮かべて立ち上がると、何やらよからぬ気配を感じて目に見える警戒を示す。
祝那は既に酔っているとは言え、それをまったく感じさせない軍人然とした足取りでリナムに近寄り、腰を屈めるなり彼女のエプロンをたくし上げた。
「なんで数日も戦ったのに腹筋が仕上がらないんだい!!?」ガァーーン!!!
「すみませんね事務方で!!」バッ!!
破られた服を隠す為のエプロンを除けると、そこには加虐性欲をそそられる程に可愛らしいおへそ(シュラ曰く國宝)がチョンと顔を出すだけで、その周囲には祝那の期待に反して腹筋のふの字もない。リナムは上げられたエプロンを強引に下ろした。
「武器を振れない私に筋肉がある訳ないじゃないですか。私の本分は事務方です!」
「それでもずっと戦場にいたんだろ? 仕上がらない方がおかしいじゃないか」
「では南の地より逃げてきた難民の女性達はどうなるんですか。私以上に戦場にいた筈ですが、みんながみんな筋力に自信があるとは思えませんよ」
「あれは民であって言うなれば外野みたいなもんさ。でもリナムは軍部の人間さね」
「だからといって資料とにらめっこしてるだけで腹筋が割れる訳ないでしょう」
「なら今から特訓だよ! さぁ脱ぎな!!」バッ! ビリビリ……!
「破れます! 服を引っ張らないで――もう! お断りします!!」ババッ!!
酒が入っている分、祝那の強引さは勢いがあった。リナムも服を剥ぎ取られまいと、普段見せない剣幕さで専守防衛する。
「もう! 靖破様に用があるので、これで失礼しますね!!」
エプロンの丈は短くなったが、ギリギリお腹が見えないぐらいには死守した。
リナムは踵を返し、さっさと執務室を出ようとする。
「リナム」
「なんですか? 特訓ならお断りですからね!」
「今、楽しいかい?」
言われて、リナムは一瞬疑問符を抱いた。祝那は祝那で穏やかな顔色を浮かべている。
「戦は終わったよ。今だけは武人どもに混ざって仕事するのは無し。自分の気持ちを素直に出して、年相応に乙女らしくしてきな」
「祝那将軍…………それと私の服を破ろうとしたのはどういう関係性があるのですか?」
「色仕掛けして来いって意味だよ! 自分の武器は魅せていきな!」
再びズイッと近寄った祝那が、破れたエプロンの隙間に指を入れて、リナムのおへそをツツツーとなぞる。
予想外の攻撃に驚き退くリナムだが、これが祝那なりの男の落とし方だと知った。
「アンタ等の大将なら、南の城壁に居るよ! 兵は休ませて自分が見張るんだと」
つまり邪魔者はいない。やや遠回しではあるが、リナムは祝那の助言に感謝した。
それと同時に彼女のスキンシップのお陰で、肩の力が大きく抜けたのも事実だった。
リナムは一礼して執務室を出るなり、靖破から借りていたマントを持って駆け出した。




