蒼月に映る可憐なる君へ
リナムはアドバイスに従ってエプロンを脱ぎ、代わりに靖破のマントを胸に抱きかかえながら階段を上がる。
血の気を含んだ夜風が肌を伝うものの、その全てが主の戦装束によって弾かれているように感じた。まるでリナムを護るように、不思議な温もりを宿している。
そして祝那の言った通り、靖破は南の城壁の上で単身見張りをしていた。
横にはアサギ山の上で大の字となり、大口を開けて眠るシュラがいる。
「……靖破様。失礼します」
「ん……あぁ。リナムか。どうした?」
「お姿が見えなかったので、何処に行かれたのだろうと探しておりました」
「……そう言えば何も告げていなかったな。戦後処理に人員を要する故、北鑑側の見張りを買って出たのだ。無駄に捜させてすまなかった」
「いえ、滅相もありません。気を遣ってくださってありがとうございます。ところであの……シュラ様は……」
『スカー(-_-)zzz ンピー(-_-)zzz んにゃらむにゃら……(-_-)zzz』
「さっきまで見張りは退屈だと駄々をこねていたが、それも限界に達して寝たようだ」
『にゃーー(-_-)zzz ……リナム……世界アサギ計画……始めるぞぉ』
「えぇぇ……(-_-;)」
「無視して構わんよ」
可憐な外見から黙っていれば美少女と、陰ながら揶揄されるシュラだが、今にあっては堕落したオッサンみたいな状態だ。仮に祝覧と中身が入れ替わっても問題ないだろう。
「……ふふっ。もう少し早く来ていれば、暇も紛れたでしょうか」
「いや、気にする必要はない。魔女の事だ。どうせ話すだけでは飽き足らず、あれこれと注文をつけて余計に君を疲弊させるだろう」
「大丈夫ですよ。シュラ様は私の事をよくご存じですから、酷使されるような事はありません。きっと……一緒に寝てくださるかなって」
「成る程。そうかもしれんな」
靖破は流し目でシュラを一瞥する。言動こそ豪快で女っ気の無いじゃじゃ馬だが、人の機微には聡い。ことリナムに関しては尚更だ。
「それはそうと、下は片付いたのか?」
「はい。于雲鮮様が手伝って下さいました。于雲鮮様自身も、今は帰順した部下の方々を労いに回っています」
「頑丈で律儀な奴だ。多方面に手を伸ばして器用貧乏になるだろうがな」
「……そうかもしれませんね。ですがそれに甘えて来ました。お陰で果たすべき仕事が迅速に終わり、空いた時間で来ることができたのです。
――靖破様。あの方々の亡命をお許しくださって、ありがとうございます」
「君の役に立っているなら構わん。好きなだけ使い潰してやれ」
「ふふっ……!」
「……どうかしたかね?」
「頼もしいな……って。初めてお会いした時より、リナムはずっとお慕いしております」
「そうか。それは何よりだ」
靖破は不意に夜空を見上げた。大勢の命が燃え尽きた日には、いつも以上に星々が輝いて見える。その中にあって青白く煌めく三日月は、一際美しかった。
「……靖破様。お借りしていた戦鞄です。ありがとうございました」
「ん? ……あぁ、そういえば貸していたか」
風呂敷を敷いて靖破の横に正座するなり、借りていたマントを手渡しするリナム。
返却した後は膝の上に手を置き、折り目正しい姿を見せるが、その一方で祝那の助言にも従い、おへそが見えるように然りげ無く腕を広げていた。
しかし効果は無く、靖破は再び夜空を見上げると、暫く沈黙してしまう。
(……紫華苑で初めてお会いした時の事を、靖破様はどこまで覚えているんだろう……。虎の子の約束は未だに果たしてくださってるから、きっと……)
靖破の記憶が曖昧である為、自分の想いが正確に伝わっているのか不安を感じた。
リナムがまだ小さく、靖破も子供だった頃。陽慶にある紫華苑で園遊会が行われた……のだが、極度の方向音痴である嶄條が会場を盛大に掻き乱した為に、リナムは父や兄とはぐれてしまったのだ。
(花壇の中でうずくまって泣いている私を、靖破様が見つけてくださって。頭を撫でて安心させてくれた。……道に迷っても俺がいると仰り、手を引いてくれた。私は……その時からずっとお慕いしていますよ)
依然として沈黙を崩さない靖破の横で、リナムは問い掛けるように彼の瞳を見続ける。
城内の喧騒とは裏腹に、ここだけ穏やかな時間がゆっくりと流れていた。
「っ……くしゅ……!」
だがお腹を露出している宿命か、夜風は確実にリナムの体を冷やしていた。
穏やかな静寂に突然鳴る小さなくしゃみが、その証拠である。
「……ぁっ!? 靖破様……!」
静かに、そして優しく。靖破の大きな左手がリナムの肩に伸びた。
冷えた体をマントで包み込み、そのまま抱き寄せるや、左膝の上に半身を侍らせるような姿勢で迎え入れる。
「少しはマシだろうが、長居は良くない。ある程度したら下で休みたまえ」
「……いえ、とても暖かいです。できれば、このまま傍に居させてください」
「そうか。だが無理はするな。俺や魔女とは違い、君は生身の人間だ。それもロキや祝覧のように鍛えた武人でもない。下手をすれば風邪どころでは済まないだろう」
「では……もう少しだけ、お身体に寄り添ってもいいですか?」
「構わん。それで暖まるなら好きな姿勢でいたまえ」
許しを得たリナムはゆっくりと身を起こし、靖破の体にピッタリとくっついた。
靖破は自分を人外だと言うが、だとすればこの温もりは虎の衣に包まれたようなものだろうか。外からの冷気もまるで感じない。本当に、穏やかな空間だった。
そして目と鼻の先には、再び夜空を見上げる靖破の顔がある。
無表情ではあるが、瞳には以前感じられなかった生気が宿っている。それがガラス玉のように活きて三日月を映し込み、リナムはその美しさに思わず見惚れてしまった。
「…………綺麗……」
「……? 何がだ?」
「今さっき靖破様の瞳に、月が映り込んでいました。それがとても幻想的なんです」
言われるや、靖破はリナムが良いと思うものを見せてやろうと想ったのか、再び夜空を見あげて蒼月の煌めきを見据える。
同時に靖破の表情が少しだけ崩れ、優しく微笑んだように感じた。
「靖破様。私は以前に書物で読んだことがあります。世界には人の目を視て、その人となりを見抜く達人がいるそうです。もしもその様な方が靖破様の瞳を視たら……きっと、深く気に入られるでしょうね」
「そうはなるまい。ただ空っぽの化物という評価で終わるだろう」
「空っぽなんかじゃ、ありません。だって靖破様は……こんなにも温かいのですから……」
マントの中で抱き寄せる靖破の左手をとり、それを露出した腹部にあてる。
自然と靖破の指が穴を擦り、リナムは小さな電流を浴びたようにピクッ! と痙攣した。
初めて触れてもらえた喜びと、それに勝る胸の高鳴り。改めて知った靖破の指の逞しさがそのまま性的快感となって、彼女の目に僅かなとろみを帯びさせた。
「どうした? まだ冷えるか?」
リナムにとっては色仕掛けであると同時に、身を捧げる忠誠という意味も込めていた。
しかし当の靖破はそれに気付けない。契約者ゆえの感情の欠落だ。
「大丈夫ですよ。……ただ少しだけ、靖破様の温もりを直に感じたくて」
「俺の手は冷たいぞ。余計に冷やさなければよいのだがな」
再び「大丈夫ですよ」と、リナムは覗き込む靖破に微笑み返す。
靖破は「そうか」とだけ答えると、再び夜空の蒼月に目を向けた。
その瞳を見れば見るほど、吸い込まれるような綺麗さがリナムを夢中にさせる。
やがて語らずの幸せは、彼女の働きを労うような心地良い睡魔を覚えさせ、敬愛する主君の腕の中で眠りたいという想いを抱かせた。
「靖破様…………リナムは靖破様の事を……誰よりも深くお慕いしています。貴方様の不幸につけ込んで……自分だけが月のように美しい幸せを感じるなんて……とても畏れ多い事ですが…………願わくば今……貴方様に包まれて眠る事を、お許しください……」
「……あぁ、ゆっくりと休め。今はただ、この穏やかな時間を君に捧げるだけだ」
上目遣いするリナムの瞳と、覗き込む靖破の目が合わさった。
リナムは頬に朱を混ぜて微笑んだ後、多幸感に心を満たされながら瞼を閉じた。
小さな寝息が語らずの幸せに添えられ、靖破は残る右手で彼女の頭を撫でてやる。
「心配せずとも、しかと覚えているさ。花壇の中で泣いていた君が、安堵した途端に見せた花のごとき微笑みもな」
元武人ゆえの口下手か、契約者ゆえの気遣いの欠如か。
肝要な事を眠った後に口ずさむ靖破だったが、彼の腕に抱かれて眠るリナムの瞼に、一雫の涙が輝いていた。
これにて大虎編(上)は終了です。次は蔡編を投稿します。12月1日投稿予定です。
シリーズ物として設定していますが、一応は別作品になります。検索する時は「八重の火華 〜激流の蔡〜」で調べるとたぶんヒットすると思います。ヒットしなかったら責任とって切腹させます。職場の敷地内で産まれたタヌキ八兄妹を。
【蔡編あらすじ】
大陸南東の弱小國《蔡》は、大国《北鑑》の従属國だった。かの國は三百年前の世界統一戦争に敗れて以降、掟に縛られながら細々と命脈を保ってきた。
だが争乱の荒波は、“軍力を持てぬ國” と噂される蔡にも襲い掛かる。武の名門國《大虎》が北鑑に侵攻を始めたのだ。
蔡は北鑑の援軍要請を受けて、従属以降初めての遠征軍を組織する。その遠征軍の大将に、今はまだ才能の卵たる王子の姿があった。
おおよそ戦うに向かぬ海亀の如き弱小國は、どのようにして乱世の到来に挑むのか……。




