生ける伝説の吸血鬼
垣間見えた化物の形相。同じ化物でも靖破とはまるで違い、明確な害意の塊だった。
リナムは意識こそ辛うじて保つものの、それ以外は微動だにできなかった。
呼吸もできているようでできていない。体に鉄塊を巻かれた状態で、海中に投棄されたような重苦しさ。まるで死なない程度のギリギリで封印されたように。
「おっと……これは失礼。自分が襲われると勘違いさせてしまったか。それでも鍛えた兵士より耐えるのは見事という他ない。貴族令嬢といえども名将の娘。伊達ではないな」
笑みを閉まった男がリナムの胆力を評価すると、リナムも少しだけ楽になった。
だがそれも束の間。抗えない状態のリナムを前に、男の加虐性が魔を差した。
「人となりは充分理解できた。……あとは少しだけ味見をさせてもらうか」
男は音もなく歩み寄り、リナムの肩に手を当てるや、襟を少しだけはだけて首筋を露わにさせた。血に飢えた獣であれば、我先に噛み付きたくなる乙女の柔肌だ。
方やリナムは怯える表情を浮かべる余裕すらない。途切れ途切れの呼吸を頼りに、視線を男の口元に向けるのが限界だった。
「――ほっ! ……これは……魔女の術式があるな」
首に鼻孔を近づけた際、男はシュラの施した守護魔法を検知する。
彼はスッと身を離し、改めてリナムの全身を見つめ、術式の根源を探った。
「……並の魔人では言われても信じまい。手を出した挙げ句、跡形もなく粉砕されるのが落ちだ。それほど良く出来ている。そして貴女も貴女だ。これほど高度な術式を体内に組み込まれては、苦痛は筆舌に尽くしがたかった筈。それを耐えた事実に、賛美の言葉を重ねても足りぬ。
――して、そこに施したか……」
話しながら場所を特定した男は膝を折り、リナムのお腹を注視。服を引っ張り一部分を破り捨てるや、かわいらしいおへそを露出させた。
シュラが國宝といって可愛がり、夜な夜なお風呂の度に襲う秘所だ。
ここに来てリナムの表情筋が僅かに動き、恐怖と恥辱を混ぜた得も言えぬ顔を浮かべる。
しかし、それが狂者の加虐性欲を更に唆らせる事を、純粋無垢なリナムは知らない。
「ひぃうっ!? っ……ぅぁぁ……!?」
男は無言のまま手を下向きに添え、そのままへそ周りを握りしめた。手の平の中心がへその位置に当たり、指が下腹部を抉るように食い込む。
黒血色の靄が男の手から発せられ、それがリナムのへそを介して体内へ侵入。下へ伸びる五本の指がそれぞれ別々に動き、外から体内へ入った靄を操作した。
リナムの表情は忽ち苦悶の色に染まり、内部を掻き乱されるような気持ち悪さを覚えるとともに、下半身が痙攣を引き起こす。
シュラが時間をかけて、秘密裏に施した守護魔法が解除され始めたのだ。
「ぅ゙ぅ゙……ぅあ゙っ……! あ゙ぅ゙っ!? ぃや……助……けて……!」
怪物の生贄にされたような理不尽さと、血に酔った兵士に犯されるような恥辱。
本能のままに流れた涙が頬を伝い、振り絞った聲が小さく鳴いた。
「靖破……さまぁ……!!」
刹那。いつからそこに居たかわからぬ程の光速を以て、死神が君臨する。
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地獄級の殺意が男の脳内に木霊し、周囲一帯の時が止まる錯覚に視界がぐらついた。
気付けば手が切り落とされ、目の前で震えていたリナムが消える。
「バレたか。おいたが過ぎた――!?」
瞳孔ガン開きのシュラが頭上より拳を振り降ろし、零距離・一点集中・殺意満点の衝撃砲で男を血溜まりに変えた。
リナムを汚された事で怒りのボルテージが超過したシュラは、静かなる激情のもとに一切の贖罪すら許さない勢いだ。
「手洗い歓迎あ・り・が・と・う。……して、その少女こそお前達の本体という訳だ。違うかね? リシュターブ・シュラ・ノウエ」
『…………吸血鬼。血の匂いを嗅ぎつけて来やがったか』
男の血溜まりは確かにある。間違いなくシュラが何かを屠った筈だった。
しかしながら、男は何食わぬ顔で、かつ無傷で、少し離れた場所に立っていた。
『靖破。お前はリナムを守れ。こいつはうちが殺る』
靖破本人は男の正体を微塵も気にせず殺る気だが、気絶したリナムを抱えた状態で戦える相手でない事は確か。
それに正体を知るシュラの方が戦うには適任であった。
「…………」『…………』
互いに一定の距離を保ったまま、無言の圧が両者を牽制し合う。
暫くして男の方が動きを見せ、右人差し指を突き出すや、指先から一滴の血が滴り――
「ッ……!!?」 ギャリィン!! !『チッ……!』
激突するや超常的な轟音が鳴り響き、陽慶一帯の人間を驚愕させた。男とシュラの間には空高くまで真空の膜ができ、両者を中心に重圧を帯びた暴風が突発的に吹き荒ぶ。
同時に男の指先で滴った血が、今しがた何の干渉も受けずに重力落下を始めた。
「何だ!? ……あ! 魔女様!?」
「本陣で戦っているのか!? 一体いつの間に!」
ロキと于雲鮮が声を荒げ、それにつられて大勢の者が城壁上の本陣に目を向ける。
そこには、右半身を吹き飛ばされても平然と牙を見せる男と、右腕を失っても平然と生足を晒すシュラの姿があった。
(魔女の拳を屠るのに力を向けすぎて、次いで繰り出された右足を防ぎきれずに半身が吹き飛んだ。……魔女はともかく、あいつは不死身か?)
激突の様子を目で追った靖破は、シュラの本気の速度に対応できた男に驚いた。
軽く見て両者の実力は五分。シュラの気配にもいつもの余裕はない。
当のシュラは失った腕を再生させようと魔力を巡らせるが、損壊部位に纏わりつく何らかの力に阻害されて叶わず、僅かに疑問符を浮かべて黙考した。
「あぁ、それは貴女が封印されて以降の術式だ。知る由もないだろう」
『……へぇ、そう。今知った』
言って、シュラは術式を解除。失った右腕を再生させ、男を驚嘆させた。
「相変わらず恐ろしいな……蒼髪の魔女。二百年の研究に数秒で追いつくのか……」
『こんなもんに二百年もかけたのかお前。バカじゃん』
「それだけに時間をかけたという意味ではないのだが……まぁ、いい。魔女の凄さに変わりはない」
とは言うが、男の方も損壊した右半身に血水の塊が憑依し、瞬く間に全回復を果たす。
「魔女よ、どういう理屈だ。お前もあいつも何故回復できる」
『うちは際限ない魔力の塊みたいな存在だ。実体があってないようなもんだから、どんだけボコられても平気なんだよ。……んで、あいつは見ての通りの能力者……もとい、お前と似て非なる契約者だ』
「契約者か。向こうもお前を知っているようだが、封印される前に面識があったのか?」
『名前ぐらいはお前も知ってる筈だ。徐世勣。現役の剣合国二十七将軍だ』
「……理解した。第二十鎮血水将 徐世勣か。道理で桁外れな気配を纏う訳だ」
剣合国二十七将軍。それは三百年前の世界統一戦争において、剣合国軍を率いて破格の活躍を示した二十七人の主将軍達の総称だ。
その僅かな生き残りが目の前にいる。靖破は実力の高さに納得した。
「剣合国を守護する者として、単身俺達を討伐しに来たという事だな」
『あいつの行動理由はそんな崇高なもんじゃねぇよ。……そうだろ、吸血鬼』
「せめて名で呼んでほしいところだが、まぁいい。
――言うに正しく、私は私の個人的理由によって赴いただけだ。貴女達と本気でやり合うつもりはない。ただ味見をしようとしたら、本気で襲われたということだな」
『味見ってのが、うちにとっての宣戦布告だ。生きて帰すかよ』
「帰るとも。どうやら貴女は、まだ真価を発揮できないようだしな」
言うや逆鱗に触れたかのように、シュラが間髪入れずに拳を繰り出した。
山に風穴を開通させられる威力の圧殺光線が光の速度で徐世勣に迫り、徐世勣もまた薄ら笑みと牙を見せながら血水となって爆散する。
『ウダウダ言ってないで来いよ……!!! 三百余年前みたいにお手玉して殺る……!!!』
(封印されて尚、これ程か。……化物め)
シュラが放つ静かなる激情は目に見えぬものの、感じる者であれば地獄級の覇気が城を包むように渦巻いて見えた。これは徐世勣をして想定外であった。
彼はその中にいる。表向きこそ笑っていたが、実際は悪寒に近いものを感じた。




