第十幕 須弥山病院その4
「生島さん、ごめん! 今、破水で救急搬送されてきた妊婦さんが三階の産科病棟に直行したの! 大至急、この受付伝票を病棟のナースステーションに届けて!」
北川さんの容体が急変した七階の脳外科病棟から一階受付に戻ったばかりの眞琴に、今度は先輩職員が息を切らせてクリアファイルを差し出してきた。
「分かりました、すぐ行きます!」
眞琴は受け取ったファイルを胸に抱え、再びエレベーターへと飛び乗った。
産婦人科病棟は三階にある。ファイルを抱えた眞琴が産婦人科病棟の重いセキュリティ扉をくぐり、分娩室(LDR)の前の廊下にたどり着いた瞬間、先ほど脳外科病棟で皮膚にへばりついた冷徹な静寂は、強烈な生の熱量によって強引に塗りつぶされた。
固く閉ざされたスライド式のドアの隙間から漏れ出てくるのは、汗と、羊水と、生命そのものが持つあの生臭い匂いだ。防音を突き破って、妊婦の獣じみた絶叫と、助産師たちの「大きく吸って、いきんで!」という鋭い怒号が廊下にまで響き渡っている。
「事務さん、ありがとう! 助かる!」
処置の準備に追われる看護師に伝票を手渡した眞琴は、あとから駆けつけてくるはずのご家族を案内するため、そのまま分娩室の前で待機した。
スタッフが出入りするたびに前室の自動ドアが開き、妙に生温かい熱気が眞琴の頬を打った。部屋の奥からは、「トコトコトコトコ」と、猛烈な速さで刻まれる赤ちゃんの心音モニターの電子音が、不気味なほどのエネルギーで廊下にまで鳴り響いている。
その緊迫した空気の熱に触れた瞬間、眞琴の頭の中で、これまで考えてきた生と死のパズルが、「生の始まり」という逆方向から一気に組み替わり始めた。
(……僕たちは普段、赤ちゃんがこの世界に生まれてくることで、初めてその命が始まると考えがちだ。だけど、本当は逆なんじゃないか?)
眞琴は廊下の隅に立ち、分娩室の重厚なドアを見つめながら、自分の頭の中で思考を噛み砕いていく。
じいちゃんから聞いた唯識の教え、そして自分が自宅のソファーで掴み取った、あの世界の三段論法。
母体の中にいる胎児は、今、どんな世界にいるのだろう。
そこはきっと、僕たちが毎晩戻っていく、あの自由で束縛のない「夢の世界」そのものなのだ。自分一人の意識の中で完結し、現実世界のように他者との観測共有を必要としない、高次元の心地よい領域。そこでは時間の流れも不自由な壁もなく、ただただ満たされたイメージの海が広がっている。出発点としては、あの「あちらの世界」こそが、人間の意識の基準なのではないか!
けれど、その胎児の生命活動――心音や胎動が、エコーの機械や医師、そして母親という「他者」によって観測されたその瞬間から、異変が起きる。
他者から観測され、認められることによって、そのちっぽけな命は、存在する力を少しずつ強めていく。自由だった夢の世界から、この重たくて不自由な現実世界へと、徐々に、けれど確実に引きずり込まれ、具現化していくのだ。
さらに時間を極限まで遡れば、卵子が精子と結合したあの瞬間。
我々は、年齢を重ねるほどに、時間の経過を早く感じるという。ならば逆をたどれば、生まれた瞬間の赤ちゃんは、いわば「無限の時間」を感じていることになる。
つまりあの受精の瞬間こそが、過去も未来もない無限に広がる「阿頼耶識の海」から「末那識の渦」が発生した瞬間とは言えないだろうか。
そして今、あの分娩室の向こうで、一つの命がまさにこの世界へと落とし込まれようとしている。
「生まれたよ……!」
凄まじい産声が、廊下まで響き渡った。
医師や助産師たちが「おめでとうございます!」「元気な男の子ですよ!」と、その姿を確認し、共有する。周囲の人々が「ここに新しい命が生まれた」と同じ現実を認めたその瞬間、初めてその赤ちゃんの存在はこの現実世界にガチッと硬く固定され、一つの独立した「自我」としての人生がスタートするのだ。
(生きるために、僕たちはみんな、あの自由な海からこの不自由な箱庭へと、他者の観測によって引っ張り出されてきたんだ……)
眞琴は深く息を吸い込んだ。
先ほど脳外科で見た北川さんは、他者との観測共有の繋がりを失って、静かに元の海へと溶け去っていこうとしていた。
そして今、この産婦人科で生まれた赤ちゃんは、他者との観測共有の繋がりによって、新しくこの世界へと形を成して現れた。
死ぬことも、生まれることも、すべてはこの現実世界における「観測の共有」が起こしている、精巧な認識のシステムそのものとして解釈できる。
分娩室の奥から聞こえてくる、新しくこの世界に縛り付けられた生命の力強い泣き声を耳にしながら、眞琴は、自らが辿り着いた精神物理学の仮説が、「生の始まり」から「死の終わり」までをつなぐ、双方向のロジックとして完成したのだと、深い畏怖と感動とともに確信するのだった。
【気づき】
《胎児の意識》……「生命の誕生」とは単なる物質の発生ではなく、高次元の自由な海に漂っていた意識が、他者からの観測と承認によって、この重たく不自由な現実世界へ引きずり込まれ固定されるプロセスなのではないか。
《ジャネの法則》……ジャネの法則が示す時間の加速を極限まで遡れば、生まれて間もない生命が体感しているのは時間の経過ではなく、過去も未来もない「永遠(無限の時間)」そのものなのではないか。




