非日常が終わる時
「全員、止まりなさい!」
忽然と現れ、生徒達の動きを止めた凍てつくような声。
女の声だ。だが、全く聞き覚えはない。顔を上げて声のした方を向いてみるが、そこにいた女は、知らない女だった。
というか生徒ではないし、教師ですらない。
年齢は20代半ばくらいだろうか。声に違わず凛々しい顔立ちで、浮世離れした銀髪が印象的な美女だ。身にまとっているのは、魔女狩り執行官の先に死んだ方と色違いの黒いトレンチコート。襟元には時期外れなマフラーが巻かれていた。
「よろしい」
生徒の視線が集まったことを確認して、女は微笑を浮かべる。
「わたくしは、監視官の御手洗波留香。はぐれ魔術師の工藤敬博討伐について、関係者である貴方達に説明するために姿を現させていただきましたわ」
また新しい単語が出てきた。
はぐれ魔術師に監視官か。言葉の意味からすると、協会に属していないのがはぐれと言うことだろう。
つまり、俺もはぐれ魔術師か。
「結論から申し上げますと、はぐれは執行官の明智と相討ちになったと考えられますわ。彼の魂は魔剣により完全に砕かれておりましたので」
それは違う。
明智は敬博よりも前に死んでいるはずだ。剣も奪われているし、彼が殺したというのはありえない。
と、口にしたいのは山々だが、口にした瞬間に俺が疑われるのが目に見えている。
それでも、場合によっては別の魔術師がいることも否定出来ない状況だ。
「魔剣とは何ですか?」
ギロリと睨まれた。静かな威圧感に寒気が走る。心までもが凍結してしまったかのように、体が動かせない。
「好奇心は猫を殺すという言葉はご存知で?」
「あ、はい」
猫はたくさん命を持っているから死なない的なことわざに対して、そんな猫でも好奇心が原因で死んでしまうぞって言葉ですね。
世界的に有名な名前のない猫みたいな。いや、はい、違いますね、ごめんなさい、睨まないでください。
「まあ、ですが」
ふと、女の顔に笑みが浮かんだ。嗜虐的な、例えるなら鼠をいたぶる猫のような、そんな笑み。って、猫はもういい。
「今回の件を一切他言しないのと引き換えになら、教えて差しあげても構いませんわよ」
教えてもらおうとしなくても、緘口令が布かれることは十中八九間違いない。そうでないならば、魔術師の話はもっと表に出てるはずだ。
「他言しません」
だから、ここで首を横に振る理由はない。
「なかなか肝が座ってますわね。魔術師ではないのが残念ですわ」
冗談めかした口振りだが、その眼はしっかりと俺を捉えていた。もしかしたら、魔術師なのではないかと疑われているのかもしれない。
チョーカーをつけている限りはバレないはずだが、残り香的なものでもあるのだろうか。彼女の接近にも気がつけなかったし、この時ばかりは自分が魔術に疎いことが恨めしい。
蛇に睨まれた蛙のように縮こまっていると、女はため息をこぼした。
「あれは、魔術師を殺すための剣ですわ」
疑いが晴れたわけではないだろうが、睨んでいても変わらないと思ったのだろう。
「あの剣は、魔力を込めて使うことで、魔術師を再起不能にすることが可能な魔具ですわ。彼の信条を考えるならば相応しい武器でしたわね」
一瞬だけ、彼女の顔が陰った。明智との間に個人的な縁でもあったのだろうか。同じ組織に属しているなら、不思議なことでも何でもないが。
女は笑みを浮かべなおし、俺を見据える。
「魔術師ではない貴方には難しい話でしょうが、これで満足かしら?」
「……はい」
疑問は全く解消されてないどころか深まったまであるが、最後の問いは俺個人に向けられていた。これ以上の問答はやぶ蛇だろう。
「では、話を戻させてもらいますわね」
視線が外れる。
威圧感から解放され、俺は大きく息を吸った。
「剣……で殺されたんですか?」
「げふっ」
話を広げたのは誰だ。
むせ込んだせいで、冷ややかな笑みを向けられたじゃないか。これで魔術師じゃないかと改めて疑われたらどうしてくれるんだよ。
そう思って声のした方を見ると、円が周りの視線を集めていた。むせた俺を気にしているのは、横で背中をさすってくれている智季だけだ。
「貴方、名前は?」
御手洗の鋭い視線は、すでに円に向けられていた。
「……円世緋です」
荒瀨と巴に支えられながら、円は答える。足が震えているから、恐怖がないわけではないのだろう。
それでも、彼女は引き下がらなかった。
「そう。では、円さん。なぜ、疑問を抱くのですか?」
御手洗も簡単には答えない。
俺の時と違う反応なのは、内容か、聞いた人が違うからか、2度目だからなのか。
緊迫した空気の中で、円が静かに、たどたどしく口を開いた。
「それは……その、く……工藤の……その、あの……あれを……あの……」
「あぁ、あの死体を見たのですか」
魔術師がため息をつく。
「魔剣についての補足説明を致しますわ。あれは剣の形をしておりますが、斬る必要はありませんの。あれはあくまで媒体。魔力量に差があれば、斬らずとも魔力を流すだけで殺すことが可能ですわ」
その答えで合点がいった。
あいつを殺したのは他の誰でもなく、俺だ。いや、殺そうとしたつもりはないどころか殺されるところだったということだが。
「魔術師ではない貴方には難しい話でしょうが、これで満足かしら?」
笑みとともに発せられる言葉は、俺の時と一言一句変わらなかった。彼女にとって、俺達に差はなく、会話は事務的に行われるものでしかないということか。
「はい」
静かに答えて、円は落ちるように席に座った。御手洗は冷ややかな視線を全体に向ける。
「他に、質問のある愚か者はおりまして?」
生徒達の手は挙がらない。質問がないというよりは、聞き方のせいだろう。むしろ、グダグダとした質問会を終わらせるためにキツイ言い方をしたのかもしれない。
「では、話を戻させてもらいますわね」
沈黙を肯定と捉えて、御手洗は話を進める。
ともかく、彼女の話のおかげで状況は理解した。
敬博はあの剣で俺を殺そうとしたが、俺のほうが魔力が多かったから死ぬ羽目になったのだ。
敬博は学校中に仕掛けた罠や明智との戦闘で消費していて、俺は押さえ込んでいた魔力が一気に溢れ出した状態だった。
その差がこの結果だ。
「――以上の観点より、事件は解決と判断されましたわ」
あ、聞きそびれた。
まあ、それほど重要なことではないだろう。今後とも魔術師とは関わりたくはないし、緘口令が布かれるのだから、一般人が知る必要のある情報ではないはずだ。
「今後、か……」
犯人だった敬博も含めて、30人だったクラスメイトの内、少なくとも12人が死んだ。今まで通りの生活に戻ることはないだろう。
足りない分の人数はそのままか、他のクラスから生徒が回されてくるかもしれない。だが、半数近くの生徒が突然死――死んだとすら伝えられないかもしれないが――したクラスに来たいと思う生徒がいるだろうか。
そもそも、こんな学校にいたいと思うだろうか。
新学期が始まってから、まだ2ヶ月少々。本格的な受験シーズンは到来していないし、クラスの半数がいなくなったというのは、転校の理由としては十分過ぎる出来事だ。
消えた理由を転校としたとしても同じだろう。生徒達が、魔術師の事を口外しないとしても、ここから離れたいとは思うかもしれない。
それは違う学年でも同じだ。
学校に馴染み始めてきたであろう1年生も、進級したばかりの2年生も、辞めるハードルだけなら俺達3年生よりも低いだろう。
魔術師の件は隠せたとしても、大量に生徒がいなくなった事実は消せない。真実を隠すほどに噂は大きくなり、不安を呼ぶ。不安は伝播し、不審となって、不信へ変わる。
それを止めるだけ力は、学校にはない。
「貴方達の体にも異常がないかを調べさせてもらいますわ。この後はわたくしの指示に従って動きなさい」
御手洗の宣言に異を唱える人は、俺も含めて、誰もいなかった。暗く重たい雰囲気に包まれた教室で、誰もが暗い顔で俯いている。
事件は一応の解決を迎えた。
けれど、壊れてしまったものーー俺が望む日常は、もう戻ってこない。雨は止んだが、空は曇天。一筋の光さえ見えはしなかった。




