最前線からの帰還
「……おい!」
……………………
「み……おい!」
脳が、震える。いや、頭が震えてるのか。違う、体が揺さぶられているのだ。肩は手が置かれているのか、ほのかに温かい。
「さみ……おい!」
誰かが俺を起こそうとしているのか。
「さみ! おい、浅見!」
聞こえてきたのは女の声。力強さを感じるこのアルトボイスは、誰の声だ。
「ほむ、そ、そんなに揺すったら危ないよ……」
別の声が聞こえた。耳に残りやすい甲高いソプラノボイスは、誰の声だ。
聞き覚えのある声なのに、思考が追いつかない。
「で、でも!」
「とりあえず、落ち着こう?」
3人目の女の声。女が3人寄れば姦しいなんていうけれど、彼女達の声は静かだ。声をひそめて話しているのだろう。
「……わかってるけどさ」
欲を言えば、この状況ならご褒美の膝枕くらいあってもいいじゃないかと思うけれど。うつ伏せに倒れたのを仰向けには変えてくれたようだが、床が硬すぎて、背中も頭も痛い。
「ほむらは自分の心配もしなきゃでしょ」
「そうだぞ、ほむ」
「わ、わかってるってば!」
3人以外の声は聞こえてこない。彼女達しかいないのだろうか。まあ、女子3人に看取られて死ぬなら、悪くないか。
死なないけど。
「あ、目が覚めたみたい」
そう言って顔を覗きこんできたのは、細面の美少女だ。野球部のマネージャーで、名前は巴優奈。美少女だけど、ヒロインじゃない。彼氏持ちだし。
「ったく、心配させるなよ」
そんなつっけんどんな態度で腕を組むのは、荒瀨ほむら。彼氏持ちじゃないけど、男勝りな彼女もまたヒロインじゃない。
「ほむ、助けてもらったんでしょ?」
「わっ、わかってるし」
「じゃあ、優しくしなきゃ」
そう言って荒瀨にウィンクしたのは、円世緋。明智狙っちゃおう宣言の筆頭だし、ヒロインじゃない。というか、彼女の性格を考えると彼氏のひとりやふたりくらいいても不思議じゃない。
いや、2人もいたら不自然か。
「浅見!」
荒瀨がグッと顔を覗き込んでくる。声の距離感からすると、俺を揺すっていたのは彼女か。
「助けてくれてありがとな」
至近距離から、そんなに頬を赤らめせて言われても反応に困る。
「ほむ……まさか?」
円の声にビクッと跳ね、荒瀨が離れた。その頬はさらに赤みを増している。
「全然違うから! これは……そう、吊り橋効果! 吊り橋効果的なドキドキだから! 全然それ以外の感情は全くこれっぽちもないから!」
「そんな照れんな」
「だから違うって!」
「はいはい。そんなに強がらないの」
「優奈まで!?」
俺が目覚めたとたんに姦しくなった。
女の中に男がいるのは、姦しいじゃなくて嫐るだと思うのだが。あ、いや、巴と円が荒瀨を嫐ってるから間違いじゃないか。いやでも、それだと女子3人の間のことだから姦しい。でも、からかわれてる原因は俺だから嫐るか。
まあ、どっちでもいいや。
ぼんやりと女子達のやり取りを眺めていると、荒瀨と目が合った。
「か、勘違いするなよ!」
その顔は熟れた林檎のように耳まで真っ赤だ。男勝りな面はあるが、案外中身は乙女らしい。
「しないよ」
それでも彼女が俺のヒロインになる可能性は皆無だろう。
閑話休題。
倒れていたおかげか、少し頭が回るようになってきた。少し思考がおかしいのは熱に浮かされてるのだろう。
魔力は解放されたままなので、重たい感じも抜けてないのだけれど。
「そうだ、戻らないと……」
自分の魔力の状態すら感知出来ない俺だが、解放されぱなっしだっていうのは理解出来る。首に慣れ親しんだ感覚がなくてそわそわするし、体の中は異様に熱く、頭はぎしりと軋むように痛い。
目覚めてすぐに思い至らなかったあたりは、まだ頭が回りきっていないからだろう。あるいは、彼女の会話を聞いているのが少し楽しかったからかもしれない。
「って、考える場合じゃない……」
とりあえず移動しなければと手足に力を込めてみる。が、上手く歩けない。力すら入らないよりはマシだが、まともに動けてるとは言いづらかった。
産まれたての子鹿、とでも例えようか。俺の感覚としては、そんな感じだ。
「無理しないほうがいいよ」
それはわかっている。だが、魔力を封じないことには悪化していく一方なので、待つという選択は出来ない。
と、事実を伝えることは出来ないので。
「教室のみんなが心配なんだ」
もっともらしい理由をつけてみる。
「ったく、仕方ないんだから」
ため息をついて、荒瀨が立ち上がった。が、すぐに脇腹を押さえて座り込んでしまう。よく見れば、服に赤く血が滲んでいた。
「ほむらは無理しないの」
「ほら、掴まって」
代わりに、巴が肩を貸してくれる。しゃがみこんでしまった荒瀨には円が肩を貸して、立ち上がらせた。
まあ、魔術師討伐の立役者なので、満身創痍な点には目を瞑ってもらうとしよう。
荒瀨の活躍は知らないが。
空手部最強の彼女のことだから、簡単に敬博に組しかれたわけではないだろう。彼女が万全だったなら、むしろ技術で圧倒していたかもしれない。
「戻るって言っても、」
と、そういえば敬博はどうなったんだ。
「だね。なら、外階段?」
少なくとも視界に入るところにはいない。本人だけじゃなく、黒い生物の眷属達もだ。
「非常階段のほうがここから近いよ」
後ろどころか横もほとんど見えていないが、いるならば彼女達が触れるはずだろう。
「あんなボロボロなの嫌だよ」
魔術師だと知らないならクラスメイトとして――俺にしたように――気にするだろうし、魔術師だと知ったのなら、近くで暢気に過ごしたりはしないはずだ。
「でも、向こうまで行くのも」
俺が居たから動けなかったという説はあるが、それなら目覚めた時点ですぐに動こうと言う話になるだろう。
「もう時間かかってもいいんだし、いいでしょ」
だとすれば、逃げた?
気絶した俺にトドメを刺すことなくか?
「それは……そうだけど」
剣で斬れなくても、あいつは鉈を持っていたはずだ。いや、魔力が開放されたままだったから、鉈でも傷つけられなかったのか。
「なら、決まり。行くよ」
「はーい」
少女達が動き出す。
俺は肩を引かれながら、置いていかれない様に足を動かした。その1歩が果てしなく重い。血液の代わりにマグマでも流れてるんじゃなかろうか。
そう思えてしまうくらいに体は熱く、足取りは重かった。
「悪いな」
「気にしなくていいよ」
俺の呟きに、巴が儚げな笑みを返す。それ以上の会話はない。
誰も声を発することなく、俺達は教室に向かった。
「なに……これ……」
ピアノ室から出るなり、巴の口から引きつった声が漏れる。
床や天井には無数の裂創が刻まれており、教室の壁は崩れ、外側からでも中の様子がわかる有様だ。その反応は当然だろう。
「真か?」
そして、これだけ壁が崩れていれば、中からも俺達の姿は確認出来て当然か。
「あぁ、無事に戻ったぞ」
教室から顔を覗かせる智季に、俺は軽く手を挙げて答える。重たすぎて、肩の高さまですら上がっていなかったが。
「何が無事にだよ。怪我はないみたいだけど……」
智季は空いている方の肩を支えに入る。それを確認すると、巴が肩から手を抜いた。
「任せてくれ」「任せるわ」
そんなアイコンタクトが交わされたのだろうか。巴は荒瀬の方へとパタパタと走っていった。
「とにかく、座ったほうが良さそうだね」
「席まで戻るよ」
「そんなに無理しなくても」
俺の席は、入口から最も遠い場所だ。
だからこの発言は智季なりの優しさなのだろう。だが、途中で座らされてはむしろ困る。再び立ち上がるような力は残ってないだろうし、こんな状況でチョーカーを取ってきてもらえる保証はない。
「大丈夫だ。頼む」
何が大丈夫なのかは言ってる自分もよく分からなかったが。
「仕方ないな」
ため息をつきながらも、智季は最後まで付き添ってくれた。片手で椅子を引き、俺を座らせて、しっかりと座ったことを確認してから、自分は隣の席に座る。
俺は鞄を引き寄せ、チョーカーを取り出して首に巻いた。疲れがどっと肩にのしかかってくる。予想以上の疲労だ。魔力は体を蝕む一方で、体を動かすエネルギーにもなってくれていたらしい。
このまま机に突っ伏したら、寝てしまいそうだ。
寝ないけど。
「敦は?」
隣の席の本来の主は彼のはずだ。
「後ろだよ」
言われるがままに振り返ると、教室の隅に丸く縮こまっている人影がひとつ。服装から判断して、敦に間違いない。
無事に戻った事がわかって、一安心。
「あいつだけ戻ってきたときは何事かと思って心配したんだぞ。肝心のあいつは何も言わないし」
「悪かった」
まあ、かなり放心状態だったからな。個人的には無事に戻ってきただけでも褒めていいと思う。
かなりトラウマになってそうで今後が心配だが、それは今考えても仕方がない。それに、あれくらいの出来事がなければ、敦は止まらなかっただろう。
「で、何があったんだ?」
距離を詰め、声を抑えた問いかけ。
全員で共有したいのではなく、あくまで個人的な質問ということか。もしくは、代表として聞いて、噛み砕いた上でみんなに説明するつもりかもしれない。
「俺は――」
「全員、止まりなさない!」
刃物のように鋭い声が生徒達の動きを止めた。




