死地よりの生還者
静寂を取り戻した廊下に、鎖はない。獣が最後に放った分だけでなく、最初に放った鎖さえ跡形もなく消えていた。だが、破壊の痕跡だけはしっかりと残されていて、夢ではなく現実だったのだと痛いほどに教えてくれる。
「……こいつは何だったんだ」
俺は1番近くにいた智季に声をかけた。
「僕が知るわけないだろう」
ごもっともである。
「それより、よく無事だったね」
「足がすくんで動けなかっただけなんだけどな」
「運のいいヤツだ」
智季は眼鏡を押し上げて、不敵に笑った。
「ま、運も実力のうちってことだな」
会話が一区切りついたところで、生き残った生徒達について確認しておく。
智季の近くには、うつ伏せに倒れている敦と肩で息をする四つん這いの猿渡。女子3人は廊下の真ん中に集まってへたりこんでいて、壁に背中を預けて座り込む先生には、福部が寄り添っている。
まあ、簡単に言えばほぼ全員が無事だった。
「生き残ったのは、日頃の行いが良かったからだな」
「それなら、こんなことには巻き込まれないと思うけどね」
「…………」
少しでも雰囲気を明るくしようと言う発言だったのだが、にべも無く切り捨てられてしまう。そんなズバッといわなくてもいいだろうに。
そんな思いが表情に出ていたのか、智季は気まずげに頬をかく。
「悪い。つい本音が」
気にするな。とは、言えなかった。
その思いはここにいる誰もが、いや、ここにはいないみんなだって同じはずだ。学校が違えば、学年が違えば、クラスが違えば、こんなことに巻き込まれることはなかった。
クラスに潜んでいる魔術師が、神津を殺しさえしなければ。
と、そこまで考えたところでふとした疑問が湧いてきた。
神津賢丞という男は、他人の怨みをかうような人間なのかという疑問だ。
俺はあまり関わる機会もなかったが、クラスの中心にいるわけでもなく、かといって輪を乱すはぐれ者でもない。事なかれ主義というか、日和見主義というか、漫画ならコマに映っても顔のない人畜無害なモブキャラみたいなイメージだ。名前だけは、無駄にインパクトあるけど。
オカルトに詳しいとかいう話も聞いたことはないし、魔術師に狙われそうな理由は思い浮かばなかった。
「顔が怖くなってるぞ」
「悪い、ちょっと考え事をな」
ついさっきも同じような会話をした気がする。俺は考え込むと、顔が怖くなってしまうのか。
俺は口角を上げて笑顔を作った。
「で、これからどうするよ?」
教室はまだ赤々と燃えている。
獣がまた動き出すとも限らないし、壁も床も崩れかけていて、安全とは言い難い。
「……離れたほうがいいだろうね」
はっきり言ってこの中だったら、智季が1番頼り甲斐がある。周りを見てそのことを理解したのか、智季は小さくため息をついた。
「みんな、立って」
敦と猿渡は頷いて、起き上がる。福部と先生は支え合いながら立ち上がった。
俺は女子3人に手を貸して、立ち上がらせる。
全員が動き出したことを確認して、智季は大きく頷いた。
「ここから出よう」
「待て」
そんな俺達の前に、中央階段を上がってきたと思われる明智が立ち塞がる。
出ていく前より服がボロボロになっているのは、戦闘があったからだろうか。剣を抜き身で構えているので解決したというわけではなさそうだが。
「上から魔力を感じた。説明してもらおうか?」
切っ先は真っ直ぐに智季に向けられていた。彼もまた、この場のリーダーを智季と判断したらしい。
「こ、ここは危険だから、場所を移動――」
明智が剣を振る。
「これで満足か?」
そう言って視線を向けた先は俺達の教室。壁の亀裂から溢れ出ていた炎は消え失せ、窓の外の曇天が見て取れるようになっていた。
「さあ、教室に戻れ。話を聞かせてもらおうか」
明智の登場により、俺達は教室へと押し戻された。炎は消えたとはいえ、壁が崩れかけていたりと危険の残る教室に。逃げられないように窓側に固めて座らされた上でだ。
明智は剣を抜き身で構えたまま、尋ねる。
「まずは居なくなったメンバーの確認だ。言え」
明智は教卓から出席簿を取り出した。
「……林くん達は――」
「達じゃなく、名前を言え」
「……林くんと雉間くん、それから馬飛と涼太はあなたが出ていってしばらくしてから出て行きました」
明智は舌打ちをして、猿渡を睨みつける。
「そこにいるのは?」
「……あの生き物から逃げて、戻ってきたんです」
「へぇ」
明智の瞳に鋭さが増した。そこに生まれた感情を読み解くことは難しくない。
「違う! 俺じゃない! 俺達はピアノ室でアレに――」
「黙れ」
猿渡の言っていることは嘘じゃないだろう。クラスメイトでもある俺はそう思ったが、明智は納得したという表情ではない。
「続けろ、梅本」
「……博人はあの生物から逃げ――」
「バーゲストだ」
「え?」
予想外のタイミングでの発言に、智季が固まる。というか、しゃべってないから目立たないだけで、皆が固まっていた。
明智は面倒臭いとばかりに頭を搔いてから、補足する。
「あの魔獣の名前だ。本物じゃないが、それが1番近い。ややこしくなるからそう呼べ」
「は、はい」
バーゲストか。
ゲームに、ブラックドックとかヘルハウンドとかの仲間でそんな名前のキャラクターがいたような気がする。元ネタは確か、ヨーロッパのほうの伝承で出てくる不吉な妖精だったか。
まあ、そんなことはどうでもいい。
「で? 悪七がどうした?」
「……博人はバーゲストから逃げる時に、逆方向に行ったので今はいません。標葉さんはバーゲストに殺されました」
「死体は確認した。あとは……いるみたいだな」
明智は教卓に置いた出席簿に印をつけていく。消去法で魔術師を探し出すつもりだろうか。
「大橋、萌島、三上。この3人は死んだのを確認した」
いきなり告げられた3人の犠牲者。
教室から出ていった時点で予測のついた事態ではあるが、いざ言葉にされると何も言えなかった。
「この中で犯人になり得るとすれば、1度は離れた貴様だな」
剣の矛先が猿渡に移る。
だが、彼は顔を青くするばかりで何も言えなかった。弁明すらしてないが、その態度はむしろ魔術師ではないと雄弁に語っている。
それが演技なら大したものだが。
「……こっちに来たのは失敗だったな」
明智も同じ結論に至ったのか、静かに剣を鞘に収める。
でも、失敗はないだろ。
まるで魔術師がいると思ったから戻ってきただけで俺達の命なんてどうでもいいみたいじゃないか。
「お前達はここに残ってろ。絶対に動くな。2度目はないぞ」
それだけ言って、明智は教室から出ていった。
教室の外に出た明智は、ひとつ、大きな勘違いをしていた。容疑者のひとりである博人が逃げた方向についてだ。
彼は崩れた中央階段を駆け上がって、3階に駆けつけた。その道中で件の生徒を見かけてはいない。
廊下に死体があって、生徒達がいて、その奥にバーゲストがいた。四方に刻まれた破壊の痕跡は奥から手前へと伸びている。
それらを考慮し、バーゲストは音楽室から現れ、生徒達はそれに背を向けて逃げる中、ひとりだけ音楽室のほうに向かっていたのだと、考えたのだ。
「逃がすものか」
開け放たれていた扉をくぐり、鉄球の重みで抜け落ちた床を飛び越え、体当たりで外階段への扉をぶち破る。
転げ落ちるかのようなスピードで階段を駆け下り、美術準備室は無視して、1階へと到達。ガラス戸を開ける手間さえ惜しんで、叩き割って中へと入る。
その首にワイヤーが絡みついた。
「ぐっ……」
解こうと手を伸ばせば、その手にもワイヤーが絡みつく。
「このっ!」
残っていた足さえもワイヤーに捕らわれ、身動きが取れなくなった明智の前に、魔術師が姿を現した。
「貴様ァッ!」
憎悪に満ちたその視線を受けて、魔術師は微笑む。
「安心して眠ると良い。俺はお前を忘れるだろうけどな」




