魔術師の残した罠
非常階段から離れ、明智は廊下を早歩きで進んでいた。外階段のある美術室に向かって真っ直ぐに。
けれど、その足は中央階段まで来たところで止まった。
「なんでも思い通りになると思うなよっ!」
体を回転させ、走って、飛ぶ。階段に空いた穴を飛び越えて、踊り場に着地する。
誰にでも出来る芸当というわけではない。彼が、魔術師であればこそ、可能な動きだ。
そのまま階段を駆け下りた。
1番下までたどり着いたら立ち止まり、左右に目を凝らす。玄関ならば左側だが、右側のゴミ捨て場も隠れるには適している。さらにいえば、図書室などの教室にも窓がついているから、1階ならばどこからでも外に出ることは難しくない。
それは裏を返せばどこにいてもおかしくないということだ。
ゆっくりと視線を動かし、見つけた。
不自然に少しだけ開いている扉を。
一息に駆け寄って扉を開ける。
そこにいたのは、不気味に光る幾何学模様を刻まれた色黒の――
「しまっ――」
爆炎が視界を埋めつくした。
ガラスに叩きつける雨、窓をがならせる風、それに混じって聞こえる爆発音や重低音。嵐のような景色から目を背けるためにカーテンを閉めたが、遮光であって遮音ではないカーテンで音を防ぐことは叶わなかった。
ひとたび雷鳴が轟けば、誰かが息を呑む音が教室を満たす。
そんな不協和音に耳を塞ぎ、現実離れした現状から目を逸らし、近くにいる人との会話だけに注力する。
そうやって、クラスに残った生徒達はただただ時間が過ぎ去るのを待っていた。
林達が戻ってくる気配はない。床に倒れる妻鳥も、机に突っ伏した根村も、そのままだ。
先生ですら、自分の身を守るので精一杯なのか、近くにいる生徒以外には目を向けていない。林を止められなかったことに責任を感じているのかもしれないが、それを責められる生徒はいないだろう。
「次はお前だぞ。参考書の、よだ」
そんな中、雑談も尽きた俺達4人は、しりとりをやっていた。それも、明るいものに限定して。
「それ明るいか?」
「明るい未来を勝ち取るためには必要だろ?」
なんとも智季らしい理屈だった。
「よ、か」
真っ先に浮かんだのは、夜。明るいどころか暗いまである。月明かりとか、星明かりとか、家の明かりとか明るさ要素が皆無というわけではないが、無理だろう。
妖精……は明るいっちゃ明るいかもしれないが、魔術師を連想しそうだから避けるべきか。
「よー、よー、よ。よー……ろっぱ?」
ヨーロッパ。
ポロッと口から漏れたのは、そんな暗いとか明るいとかいう話とは全く関係のなさそうな単語だった。
そんな単語が出てきたのは、昨日見たニュースのせいだろう。俺としては良くも悪くも関係ない出来事なので気にしたりはしないが、たくさん流れてくるせいで単語が頭に残ってしまっていた。
と、そんなことより考えないと。
よー、よー、よ。
「パ、か。なかなか難しいな」
「今のでいいのかよ!?」
さらっと敦が進めようとするので、思わず突っ込んでしまったよ。なんなら、言った本人が明るい理由を1番わかってないまであるよ。
「細かいことは気にすんなって」
「参考書でも進んだしな」
「それは、一応理由をつけたけどね」
三者三葉の意見だが、反対する人はいない。
「止めて悪かった。続けてくれ」
新しく考えるのも、理由を考えるのも面倒なので、流すに限る。そもそも厳密なルールでもないのだ。
ただ面白おかしく時間が過ぎていけばいい。
そのうち、明智が神津を殺した犯人を見つけるだろう。……それまでにどれだけの犠牲が出るかは想像がつかないが。
「パルプンテ!」
いやそれ、何が起こるか分からない呪文だから。
「それは――」
バツッ。
「停電!?」
教室の蛍光灯が消えた。
悪天候かつ遮光カーテンを閉めていても、見えないほど真っ暗だというわけではない。それでも、何がいつ起こってもおかしくない状況では、緊張の糸を刺激する十分な現象だ。
後ろの女子達は悲鳴をあげ、俺達は無意識に立ち上がっていた。
「ん、がついたから負けな。博人」
敦が冗談めかして笑うが、それに乗ってる暇はない。
「とりあえず、カーテンを開けよう!」
智季の発言に頷きで応え、俺達はカーテンを開けに走った。
カーテンは8枚。だが、しっかりと端まで開ける必要はないから、向かう人数は窓の数の4人で十分。1番前は先生が、動けなくなっている女子達のほうには俺が向かい、残りの2つには博人と智季が向かった。
窓の正面に立ち、勢いよくカーテンを開く。
灰色をした光が教室の中を照らした。視界としては困らないが、悪天候のせいで明るいとは言い難い。
「敦。さっきの蝋燭を」
「わかった」
敦がマッチと蝋燭を取り出して、火をつけた。小さな灯火だが、明るくて暖かい光だ。
「みんな、ここに集まって」
中心に立って、智季が号令をかける。本来なら先生の役目なのだろうが、先生よりしっかり出来そうなので、異存はない。
「3人とも行けるか?」
俺は女子達に声をかけて、立ち上がらせる。
そうして、智季の元へと向かうとした瞬間、俺は見た。
蝋燭の火に小さな虫が飛び込むのを。
飛んで火に入る夏の虫。まるで、今の俺達を暗示するようなシチュエーションに、苦笑がこぼれる。だが、笑っていられるのはそこまでだった。
蝋燭の炎がひときわ大きく燃え上がる。
風が吹いたからとかいうレベルじゃない。
火柱といっても申し分ないほどの炎が、天井に向かって螺旋を描くように燃え上がったのだ。
「嘘だろ……」
それだけでは終わらない。
天井にぶつかった炎は、不自然なほどに広く、全方向に向けて火種を放った。
黒板や机に当たった火は、すぐに消える。だが、教室にあるのは燃え広がらない不燃物ばかりではない。
ポスターやカレンダー、机の周りに置かれた荷物に落ちた炎が激しく燃え上がった。教室は明るく照らし出されたが、同時に、危険な場所へと変化する。
「ここから離れろ!」
「逃げてください!」
智季と先生が同時にしゃべったせいでよく聞き取れなかったが、聞くまでもない。この状況でとるべき行動はひとつだけ。
炎の浸食が1番少なかった黒板の前を通って、俺達は教室の外に飛び出した。
中央階段を降りるべきか、ピアノ室から外階段に向かうべきか。ボロボロの非常階段という線はないだろう。
明智と魔術師の戦闘が行われているとしたら、中央は危険か。
俺はそう考えてピアノ室に向かおうとしたし、それぞれがそれぞれの考え方でもって、進行方向を決めた。
前の人について行くというのも、ひとつの選択肢だ。あるいは、俺と同じように考える人が多かったのか、ほぼ全員がピアノ室に向かって走る。
「あいつを追わなくていいのか?」
敦が言うあいつとは、ひとり逆方向に走った博人のことだろう。
「大丈夫だと信じよう」
逃げ足の速いやつだからな。むしろ、追いかけたら俺達のほうが危ないかもしれない。
「そう、だな……」
納得したという表情ではなかったが、それ以上言い合うのは無駄だとわかったのだろう。明智の所在さえわからない今、自分の安全すら全く保証されていないのだ。
それを裏付けるかのように、ピアノ室の扉が勢いよく開かれた。
「こっ……こっちはダメだ!」
飛び出してきたのは林について教室を出ていった猿渡だ。だがその近くには、犬養も雉間も林さえいない。
顔面を蒼くして、それでいて汗はだらだらと流しながら走って、先生とすれ違う。
なぜか、なんて考える暇はなかった。
「グルルゥ……」
猿渡を追いかけて、黒い犬が現れる。とわかりやすく言ってみたが、もちろん犬ではない。目は赤く輝き、牙は鋭く、額には角。爪は鋭く伸びた鉤爪のようで、赤黒い血のついた鎖を全身にまとわりつけている。
反射的に、あるいは遅ればせながら猿渡の言葉を理解したのか、皆が踵を返して戻ってくる。
だが、俺は足を止めても、後ろを向くことは出来なかった。
あの生物に背を向けるという行為に、強い抵抗を覚えたのだ。
「グルァッ!」
獣は立ち止まり、全身から鎖を放った。それらは空中で分裂し、床を壁を天井を抉りながら、襲いかかってくる。
俺は動けなかった。
それなのに鎖は俺に当たらずに過ぎ去り、獣さえも俺を無視して通り過ぎる。ただ、振り返ると獣は離れたところで立ち止まっていた。
腰を落とし、背筋を真っ直ぐに伸ばして、顔を上げる。
「ウォーン」
遠吠えとともに、全身から輝く鎖が放たれた。
狙いなんてつけられていない、全方位、放射線状どころかドーム状に放たれる鎖の嵐。外すなんて隙はなく、避けるなんて余裕もない。
――その攻撃が届くことはなかった。
鎖は輝きを増し、光の粒となって、消えていく。
先端から始まったその変化によって、無数の鎖は壁や天井の1部を壊すに留まった。
やがて、鎖が根元まで完全に空に溶けると、獣の姿が見て取れるようになる。上半身と下半身を真っ二つに切断された獣の姿が。
切断面は煙のようなものが出ていて確認は出来ないが、斬られたということで間違いないだろう。
「……明智か」
彼のペットだとは思えない。野生の獣ではないだろうし、クラスに潜む魔術師の眷属だとでも考えるの自然だ。
そうなれば、魔術師が自分で解放しておいて殺すとも思えないし、やったのは明智だと考えるのが自然だろう。
姿は見えないが、斬撃を飛ばすくらいはやってのけても不思議じゃない。
と、全ては憶測に過ぎないのだが。
獣が完全に動かなくなったことを確認して、俺はみんなと合流した。




