姫を助ける好敵手
教室を飛び出したほぼ全員が階段を駆け下りていく中、姫だけは階段で曲がらず、その先の廊下を走っていた。
砂月は慌ててそれを追いかける。
「どうして姫はあっちに?」
同じように姫を見つけたらしい吉備津が追いかけてきた。
「わからない。けど」
「ほっとくわけにはいかないな」
砂月の言葉を引き継いで、吉備津が笑う。普段なら顔も見たくないような相手だが、いまばかりは頼もしい味方だ。
2人は拳を合わせて、姫を追った。
2人が姫に追いついたのは、彼女が廊下の突き当たりにある部屋に入ってしばらくしてからだった。
砂月は転びそうな勢いで教室へと駆け込んだ。
「2人ともどうしてここに?」
勢いよく飛び込んできた2人を見て、姫は驚いたような表情を浮かべる。普段よりわずかに大きく開かれた瞳に見つめられ、2人は思わず仰け反った。
そのまま気絶し倒れてしまいそうな勢いだが、今はそんなことをしている場合ではない。
拳を握りしめ、あるいは歯を食いしばって、意識を保つ。そして、砂月は姫の問いに答えた。
「こっちへ走ってく姫を見つけたから心配で追いかけてきたんだ」
「オレは姫を守るためならどこにだって駆けつけるんだよ」
声を被せるように吉備津も答える。
2人がほぼ同時に言ったせいか、姫は困ったような笑みを浮かべた。言い終わりこそ同じくらいだったが、言い始めは砂月のほうが早かったので、悪いのは吉備津だ。
「走ってく姫を見つけて、心配だから追いかけてきたんだ」
吉備津より前に出て、砂月は改めて答える。
「そっか。ありがとね、砂月くん」
姫がにっこりと微笑んだ。
砂月は何時までもその笑顔を見ていたかったが、吉備津が2人の間に割って入る。
「オレは、姫を守るためならどこへだって駆けつけるんだよ」
「そっか。ありがとね、一矢くん」
吉備津は決め顔だが、姫は困ったような微笑だ。砂月は吉備津の肩を掴み、後ろに下がらせる。
「何すんだよ」
吉備津はいちゃもんを付けてくるが、無視。野郎との会話など今は必要ない。必要なのは、姫を助けるための行動だけだ。
「おれに手伝えることはあるかな、姫」
砂月が優しく提案すると、姫はゆっくりと窓のほうを指さした。窓枠に何かが置いてあるとか、外に何かがあるとかではない。
目に映るのは、窓だけだ。
「ここから降りたいの」
「え?」
砂月はその言葉の意味を理解出来なかった。すぐに、とつけたほうが正確だろうか。難しい言葉を言われたのではなく、予想外の言葉を言われただけだ。
代わりに、言葉の意味を即座に理解して窓に向かったのは、吉備津だった。
「そんなやつじゃなく、オレに任せなよ」
窓の近くの机を寄せて、その上に立ってカーテンをレールから外す。さらにレースを外して、窓を開けた。
それを見て、遅ればせながら姫のやりたいことを理解した砂月も動き出す。
向かったのは、部屋の隅に置かれている掃除用具入れ。その中に入っているゴミ袋とビニール紐を取り出して、ゴミ袋の取手にビニール紐を通した。
「「さぁ、姫。これを使って」」
奇しくも、2人が脱出のための道具を完成させるのは同時。台詞までもが一緒だった。
「くっ……」
「ちっ……」
互いに睨み合うが、それは一瞬。姫に自分の案を受け入れてもらおうと、2人は笑顔で姫のほうを向いた。
「んー……」
姫は2人の道具を交互に見比べる。
そして、何故か、吉備津のほうへと進んでいった。
「くっ……」
砂月はゴミ袋を放り捨て、姫に寄り添う。吉備津の案が勝ったのは不本意でも、姫が選んだのだから、否定はしない。
だが、吉備津の一人勝ちを認めるかといえば、別の話だ。
砂月は歩きながら考えて、1つの結論に至った。
「吉備津。先に手本を見せてくれよ」
悔しそうに吉備津が睨む。だが、表情はすぐに不敵な笑みへと変化した。
「わかった。オレが最初でその次は姫。で、最後がお前な」
砂月はその案を否定しようとするが、吉備津が続きを言うほうが早い。
「下と上、両方に人がいたほうが姫も安心だろ?」
その言葉に姫が頷いたので、何も言うことが出来なくなった。結果としては引き分けだが、過程を考えると砂月の負けだろう。
そんな悔しさを抱えつつ、笑顔を浮かべて、砂月と姫、と吉備津の3人で脱出の準備を始めた。
こうして、暖房の柱に縛りつけられたカーテンを使って、外へ脱出する作戦が決行されることとなる。
最初に挑戦した吉備津は、発案者だけあってか、何事もなく降りきった。
そして、次に挑戦するのが姫である。
初めての体験で怖いのか、表情はいつもより暗い。吉備津が成功させても、安心には繋がらなかったのだ。
「おれが上で押さえてるから。安心してくれよ、姫」
「ありがとね、砂月くん」
「あ、お、おぅ」
「どうしたの?」
吃る砂月に、姫は首を傾げる。その表情があまりに可愛らしくて、砂月は思わず本音を口走った。
「おれのことも、名前で呼んでくれないか」
姫が固まる。だがそれは少しだけで、すぐに破顔した。
「全然おっけぃだよ、六駆くん」
「……姫ぇ」
「泣く程じゃないでしょ、もう」
名前で呼ばれたことが嬉しくて、砂月は瞳を潤ませる。それを見て、姫は呆れたような優しい笑顔を浮かべた。今は2人だけの世界だ。
「早く降りておいでよ! 姫!」
長くは続かなかったが。
「うん! 降りるよ!」
姫は下に向かって返事をしてから、ゆっくりとカーテンを降り始める。
カーテンは一定間隔に結び目がついていて、それを足場にして降りていく形だ。その結び目は姫が降りやすいような間隔でついていた。
「……流石だな」
そればっかりは、吉備津を褒めるしかない。
そう素直に認められるくらいには、姫に名前で呼んでもらった砂月は浮かれていた。
だからといってミスはしない。
ここは3階。高さは10メートルくらいはあるだろう。転落すれば即死も有り得る高さだ。姫が落ちることだけは絶対に避けなくてはならない。砂月は全身全霊をもって姫を見守っていた。
「えっ?」
それでも対処することは出来なかった。
突然、姫のすぐ上のカーテンが破れたのだ。鋏で切ったかのように、真っ直ぐに。
支えを失った姫は下へと落下していく。
砂月は必死に手をのばすが、姫にも、彼女が掴まるカーテンにも届かない。
落ちていく姫の目は見開かれていた。
何かを叫んでいた。
必死に手を伸ばしていた。
「――姫!」
カーテンが破れてから落ちるまではほんの数秒の出来事だ。けれど、砂月にとってはとても長い時間のように思えた。
「おい、姫! 姫!」
地面に倒れた姫に吉備津が必死に声をかけている。その足元で、赤い水たまりがゆっくりと大きくなっていた。
「ひ、め……」
下で嘆く吉備津とは対照的に、砂月は虚ろな瞳で窓の縁へと足をかける。
「君を1人にはしないよ」
それが、砂月の最後の言葉だった。




