第36章 全てはここから
——「ちょっと待って…。」
ノエルは目を見開き、瞳孔が開いた状態でミリルに問いかける。
「その…魔力?というのは何なの?テッセンは魔力を使って負の感情を取り込んだって…。それじゃあお母さんのあの力も、わたしのこの力も全てテッセンの仕業…?」
ノエルの呼吸は荒い。
「…はい。ユーノはテッセンによって無理やりあの力を…。その身に宿した潜在的な魔力が他の人よりも大きく上回っていたのでしょう。あなたの魔力を見ればそれは一目瞭然。」
「そんな…。じゃあわたしは、わたしの家族は…。お母さん…。」
ノエルは拳を強く握りしめる。すると、爪が皮膚に刺さって血が滲み出す。
「ノエル…。あんた血が…。」
フーが心配そうにノエルの元へ行き拳に手を当てる。
「お母さんが昔、酷い仕打ちを受けて育った事は知ってる。…寂しさと恐怖。不安と絶望で苦しんだと思ってる。そしてあの時…。」
目からポロポロと溢れる涙。ノエルは拭う事もせずにミリルに視線を向け続ける。
「『お父さんは死んだ。』というお母さんの目には光がなかった…。あの優しかったお母さんが、あんなにも冷たい眼差しでそんな風に。…話を遮ってごめん。続きをお願い。」
「…ノエル、大丈夫ですよ。あなたは優しいので、きっとユーノの気持ちを汲んだ答えを出すと、わたしは信じています。」
ミリルはノエルの頭にポンと手を置き優しく微笑む。歯を食いしばり、止まることのない涙を流しながらミリルを見つめ、ノエルは小さく頷いた。
「…今度はわたしの視点からお話しします。」
ミリルはノエルの頭から手を離しユウとケイに視線を向ける。
「わたしはずっと、その邪念を見てきました。力を増し続け、それに恐怖する他の意識とは違いわたしだけはその邪念を監視する様に。」
「なぜミリルだけ…。それに君はいつから実体を?」
ケイは眉をしかめ問いかける。
「分かりません。何故か気になる…という風な感覚で。きっと運命や宿命といった大いなる意志の働きがあったのやもしれませんが…。実体に関しては六年前、あなた達二人がこの世界に来る時に初めてです。そして、わたしはあなた達を守る為ある加護を施しました。」
ミリルは左手に力を込め、空間に光を集める。
「ミリル?一体何を…。」
ユウは呆然としながらその光を見つめる。
「これは記憶です。直接見ていただきたいと思い…。」
光は人が身を屈めて通れる程の大きさになり、その形は丸く固定される。
中に映し出される見覚えのない場所。そこでは幼き日のユウとケイが楽しく遊んでいる光景があった。
——蝉の鳴き声がやたらと騒がしく、強い日差しとコンクリートからの熱気で汗が止まらない。
目の前の道路には車が次々に行き交い、その周りには家が立ち並ぶ。
そんな住宅街の少し広めの袋小路の奥の家。ユウとケイは相変わらずはしゃぎながらその家へと向かい歩いていた。
「夏休み最高ー!」
「ねぇ友佑くんもう一回昼飯食べようよ!」
「え、おばちゃん仕事じゃないの?圭紀作れる?」
「作れるよー!インスタントラーメンだけど。」
「へー!俺親がいない時に火は使うなって言われてる!火事にならない様にな。」
「ははっ。何回も作ってるから大丈夫だよ。」
一学期の終業式は昼過ぎに終わり、友佑の家で軽くおにぎりを食べそのまま圭紀の家に遊びに行く二人。
いつもの道を、いつもの様に遊びながら帰る普通の小学五年生。
「ただいまー!」
圭紀の元気の良い声に、家の中から返事が聞こえる。
「おかえり。あんた早めに宿題終わらせてよ。」
友佑と圭紀は二人顔を見合わせる。
「やば!ばあちゃんがいた!」
「…いや、やばくはないだろ。むしろ何か昼ごはん用意してあるんじゃない?」
「あ!確かに。ばあちゃーん!何かご飯あるー?」
「台所にチャーハンあるよ。って、友佑くんも来てたの。本当仲が良いのねー。」
普段は怒りっぽい圭紀のおばあちゃんは優しくそう話す。
「お、お邪魔します…。」
「はいはい。友佑くんも食べる?チャーハン。」
圭紀がずいっと前に出て友佑の代わりに口を開く。
「勿論友佑くんも食べるよ。ね!」
「あんたに聞いてない!早くランドセル部屋に置いておいで!」
「はーい。友佑くん行こう!」
保育園の頃から何回も遊びに来た圭紀の家。玄関も、廊下も、圭紀の部屋もどこか懐かしい匂いがした。
昼食を食べ終え、二人は圭紀の部屋で漫画を読み始める。友佑は畳にうつ伏せに寝そべり、圭紀は机の椅子に座って片足をあげている。
圭紀はチラッと友佑を一目見たあと漫画本を閉じた。
「どうする?またダーツする?ゲームする?外の畑で遊ぶ?」
友佑は本のページに指を入れ栞代わりにし、上体を圭紀に向ける。
「ダーツ…そういやあの時の怪我はどう?もう治った?」
圭紀は足の親指を友佑に見せつける。
「この通り、完全に治っております。」
「ははは!完全に貫通したと思ったのに!」
お腹を抱えて笑う友佑に、圭紀は少しムッとした表情を浮かべる。
「誰かさんが考えなしに思いっきり投げるからでしょ!自分の親指にダーツが突き刺さる気持ち分かる?」
畳に突き刺さるのが面白く、友佑が全力で矢を投げていた時にたまたま圭紀の足の親指に突き刺さった、小さな事件。
「ごめんってば!その時はアイス買ってあげただろ?」
「…ぷ!まぁ、面白かったから良いんだけど。」
お互いはお互いの笑いにつられ、二人は良くお腹を抱えて笑っていた。今回も友佑の笑いにつられ、圭紀の爆笑のスイッチが少しずつ入っていき、他愛もない事でずっと笑い合っていた。
「はぁ、疲れた。ゲームはばあちゃんがいるから出来ないし、外で遊ぼうか。」
ケイはそう言うと立ち上がり、自分の部屋の窓を開ける。
「鳩だ!」
友佑はバッと飛び出し、散らばったスリッパを適当に履き目の前の畑に駆け出す。
「あはは!待って!」
圭紀も外に出て互い違いのスリッパを慌てて履く。
畑で餌をついばんでいた五羽の鳩はユウの存在に気付くと一斉に飛び立つ。
「あー、逃げられた。」
「もっとゆっくり近づかないと!そしてこの石を…。」
圭紀の手に握られた丸い石。
「バカ!そんなの投げたら前の家に当たっちゃうぞ!」
「あははは!本当に投げる訳ないじゃん。」
圭紀は持っていた石を畑にポイっと投げ捨てる。
畑の畝にぶつかってそのまま土にめり込む石の隣に、綺麗な鳩の羽根が落ちていた。
友佑はその羽根を勢いよく拾い上げる。
「いえーい!鳥の羽根ゲットー!」
友佑は高々と羽根を空に掲げると、指についた土がパラパラと顔に当たり思わず目を細めた。
「綺麗な羽根だぁ!いいなぁ…。」
圭紀は他にも羽根が落ちていないかと辺りを見渡す。
「うえぇ…、目に土が…。」
友佑は片目をこすり、もう片方の薄く開いた目で羽根を探す圭紀を見る。
「羽根、やっぱりないなぁ。」
諦めて友佑に向き直る圭紀。その視線は友佑の持つ羽根に向いていた。
しかし、友佑はそんな圭紀と目を合わせる事はなく、圭紀のズボンのポケットからはみ出る濃ゆい緑色の草を凝視する。
「…その草、いつ採った?」
友佑は少し赤みがかった片目でそう尋ねると、圭紀は首を傾げ友佑の目線とその言葉の意味を整理する。
「え?…あ、これね。今日だよ。そういえば忘れてた。」
おどけた様に笑う圭紀。そしておもむろにポケットの中の雑草を取り出した。
「そんな雑草一体どうするんだよ。」
人差し指と親指で羽根を挟み、擦る様な動きで羽根をクルクル、クルクルと回す友佑は呆れた様な表情を浮かべる。
「ふふふ、気になる?実はね…。」
圭紀はそう言うと家の方へ歩き出し、友佑もその後を追った。
部屋の中へと戻った二人。圭紀は机の小さな引き出しに手をかけゆっくりと開く。
「じゃーーん!!」
「何だよこれ!干からびてるじゃんか!」
友佑は引き出しの中のしなしなになった草を見て笑いながらそう言うと、圭紀がその草を乱暴に握りしめる。
「あはははっ!僕のコレクション!」
二人はしばらく笑い合い、その後圭紀はその草を握りしめたまま再び外へと向かう。
「それ、早く捨てようぜ。」
友佑は笑いながら圭紀の後を追って外に出た。
「あ、新しい草も持ってきちゃった!」
「いいよどうせ干からびるだけなんだから。一緒に捨てようぜ。」
「えーこれはまだ捨てない。」
家の前に均等に並ぶ常緑樹。その根元に圭紀は干からびた草をパッと投げ捨てた。
「そういえばこの木の中に鳩が巣を作ってた事あったよな。」
友佑の脳裏に二年前の出来事が思い浮かぶ。
「あー、あったね。落ちてた卵を孵そうとしたけど結局諦めて巣に戻したよね。」
「そうそう。…あの時の鳩は無事に孵ったのかな。」
二人は常緑樹をしみじみと見ていた。
——ゆらゆらと揺らめく一つの意識が友佑と圭紀を上から眺める。
真夏の正午過ぎ。通り過ぎる風は冷たくて涼しい、気持ちの良い日差しだった。
穏やかな気配は友佑と圭紀を見守る様に漂い、陽気な空気を巻き込んで徐々に人の形を形成していく。
意識はより鮮明になり、言葉を紡ぐ為の口が形成され、目と鼻と耳が出来る。
「ミリル…。」
圭紀の家の縁側に置かれたゲームの雑誌。その表紙に描かれたキャラクターの横に、大きな文字でそう書いてあった。
「…わたしの名はミリル。テッセン、聞こえているでしょう?わたしはずっとあなたを見ていました。わたし達の世界の禁忌を無視してあらゆる世界に干渉したあなたをこれ以上看過できません。」
ミリルの周りに幾千もの光が集まり、少しずつ体へと浸透していく。
「ほら、分かりますか?みんなが望んでいるのです。わたし達の世界にあなたという存在は必要ない。わたしの全てをかけてあなたの野望を阻止します!」
——一瞬生ぬるい風が友佑と圭紀を通り過ぎる。二人は思わず通り過ぎた風を目で追う様に畑を見た。
「…何あれ。」
圭紀が指差す畑の手前の空間の一部が陽炎の様にゆらゆらと揺らめいている。
「どれ?」
「え、あれだよ。何かゆらゆらしてない?」
「はぁ?」
友佑は目を凝らしながら畑の方に足を一歩踏み出した。
——ミリルの額に冷や汗が滲み出る。
「テッセン!あなたって人は姿も見せずにこんな事…!聞こえているのでしょう!わたしが相手です!姿を現しなさい!」
不意に、揺らめきに近づく友佑が目に入る。
「…!だ、駄目!離れて!」
——「ん?なんか言った?」
友佑は圭紀に振り向き問いかける。
「え、何も言ってないけど…。それにしても何だろうねこれ。もしかしてこの辺の地面が暑いのかな?」
「ここだけ?それはないだろ。現にそこまで暑さを感じていない。」
「うーん、だよねぇ…。」
揺らめきは突然大きな歪みに変わり、体が無理やり引き寄せられる。
「うおっ!」「うわっ!」
二人は地面を慌てて掴み、その引力に抗う。
「何!?何なのこれ!」
「圭紀!落ち着け!」
ぐんぐん増していく引力は二人の筋力を容赦なく奪っていく。
「友佑くん…僕、もう…」
「圭紀!!」
——「いや…!待って!」
友佑と圭紀の元へ行こうとしたミリルの前に、不敵な笑みを浮かべたテッセンが突然姿を現す。
「お前か。いつも僕を監視する様に見ていたね。名をミリルと言ったか。」
「テッセン!あなたの存在は危険すぎる!全ての世界の秩序を守る為、わたし達はあなたを許しません…!」
ミリルの体が光り輝き、両手を前に突き出した。
「良いのかい?あの子達はどうなっても。」
——「圭紀ーっ!」
圭紀の体が地面を離れた瞬間、友佑は地面を思いっきり押して引っ張られて行く圭紀の元へ飛ぶ。
そして圭紀の腕を掴み、二人は歪みに吸い込まれる。
「友佑くん…怖いよ。」
「あぁ、俺もだ…。」
歪みはいつしか人が通れる程の丸い穴に形を変えて二人を待ち構える。
「い、いぃ…い。」
恐怖に飲み込まれた二人は言葉を発せずただ呻き、足から穴の中に引き摺り込まれる。
「う、うぅ…う、うう、う、」
やがて腰まで入り込み、段々と穴の中に沈んでいく二人の体。
「あ、あ、あぁ…っ!」
友佑と圭紀が最後に見たものは圭紀の家と、友佑は右手に握りしめた鳩の羽根。圭紀は左手に握りしめた濃い緑色の雑草。…そんな何気ない日常の一欠片を頭に焼き付ける。
「友…」「圭…」
お互いがお互いの名を呼ぶが最後まで言い切る事は出来ず、二人は完全に消え去っていった。
「待って!あなた達はわたしが必ず…!」
二人の後を追い、ミリルは一瞬遅れて穴の中へと消えていく。
——「この世界から別の世界へ召喚する事は可能か…。しかし、何故他の世界からはこの世界に送れないのだ…?」
テッセンは顎に手を置き、考える。しかしすぐに不敵な笑みを浮かべた。
「さて、ドラゴンの様子でも見にいくか。」
テッセンが目の前の空間に手を差し出すと先程二人を飲み込んだワープホールが出現し、テッセンはその中へ消えていった。




