第29話 カリフォルニアとヤマトナデシコとギャル先輩②
こうして、僕の二年生、そして「福島部長」としての新しい日々は、カリフォルニアの風とサザンのメロディ、そして逃げ場のない重圧と共に幕を開けた。
新入生歓迎登山に選んだのは、秩父の宝登山だった。
3年生の先輩たちにとっては、散歩道のようなぬるい山だ。だが、新入部員という名の「未知の生命体」を連れた僕にとっては、エベレストを目指すのと同じくらいの慎重さが要求されるミッションだった。
「オー、ボスセンパイ!JapaneseのMouitainは、どうしてこんなに『Vertical』デスカ? ボク、Gravityに喧嘩売られてる気分デース!」
登山開始から30分。185センチの巨体を揺らしながら、例の青いジャージに身を包んだジョージが喘いでいた。アメリカのハイスクールでアメフトのスターだったという彼の筋肉は、平地での爆発的な突進には向いていても、重力に逆らい続ける持続的な苦行には適応していなかったらしい。
「ジョージ、無駄な動きが多いよ。山はアメフトのフィールドじゃないんだ。一歩一歩、座標を積み上げるように歩くんだ」
僕は最後尾から彼に声をかけた。自分がかつて、坂田先輩に言われた言葉をそのままなぞっていることに気づき、少しだけ妙な気分になる。
「ノー……。アメフトよりキツイデース……。ボク、今ならサザンの『希望の轍』を歌いながら昇天できそうデース……」
「ジョージ。うるさい、です。舌を噛んで、腹を斬りなさい。先輩に、失礼です」
すぐ後ろを歩く渋沢さんが、息を切らしながらも、冷徹に一喝した。彼女の身長はジョージの胸元にも届かないが、その立ち姿には凛とした風格があった。彼女はジョージのように弱音を吐かない。だが、その顔は既に青白く、小さな肩が激しく上下している。
「……渋沢さん、無理はしなくていい。ペースを落とそう」
「いえ、福島先輩。私は……大丈夫です。先輩方の背中を追うのが、私の役目ですから」
彼女の瞳に宿るド根性に、僕は舌を巻いた。そんな彼女の脇を、岡先輩がそっと支えるように歩いている。
「……渋沢さん、……ゆっくり、呼吸して。……大丈夫、……わたしが、後ろに、いるから」
前髪を上げた岡先輩は、今や頼もしい「ベテラン」の風格を漂わせていた。かつて僕を支えてくれた彼女が、今度は後輩を支えている。その光景は、山岳部という組織が持つ、静かな血の巡りのようにも思えた。
キャンプ地に到着すると、ジョージが意外な特技を披露した。
「キャンプはAmerican styleが得意デース!」
彼は慣れた手つきでバーナーを操り、手際よく湯を沸かした。アメリカでは家族でよくオートキャンプに行っていたらしい。
「でも、いつもは『Big なTrack』で移動してたデース……。自分の脚でキャンプ地まで歩くなんて、開拓時代のPioneerの気分デース……」
一方の渋沢さんは、初めての野外生活に目を輝かせていた。
「……外で食べるおにぎりは、こんなに味が深いものなのですね。福島先輩、山というのは、あらゆる感覚を研ぎ澄ませてくれる場所なのですね。できれば、次はハンバーガーが食べたいですね」
彼女はお茶を淹れるような所作で、アルミのカップを大切そうに両手で包んでいた。それを見たジョージは、自分の目の前に人差し指を一本立て、小さく囁いた。
「ああ見えてかのんはハンバーガーが Favorite Foodなのデース。Secretデスヨ?」
5月の連休が明けると、山岳部は県大会に向けての「戦時体制」に突入した。舞台は秩父の名峰、雲取山。2泊3日の縦走。
関東大会とは違い、今回は全員参加だ。新入生の二人を抱えての長丁場になる。
「渋沢さんのザック、中身をこっちに振り分けて」
パッキングの際、僕は彼女の荷物のほとんどを自分とジョージ、そして他の部員のザックへと移した。
「……福島部長。それは、私だけが特別扱いされているようで、納得がいきません。私も部員の一人です」
渋沢さんが、珍しく不満げに眉を寄せた。
「これは特別扱いじゃない。戦略的な配分だ」
僕は努めて落ち着いた声で、彼女の目を見つめて言った。
「渋沢さん。君が最後まで自分の足で歩き切ることが、このパーティの最大の目標なんだ。重荷を背負って途中で動けなくなるよりも、身軽な体で一歩を積み重ねてほしい。……みんなで協力して、一人の脱落者も出さない。それが僕たち北高山岳部だ」
僕がそう言うと、部室の隅で装備をチェックしていた桃香先輩たちが、顔を見合わせて小さく微笑んだ。
「……ジンタロー。あんた、いつの間にかそれっぽいこと言うようになったじゃん」
桃香先輩の声には、からかうような響きと、そしてどこか誇らしげな温かさが混ざっていた。
だが、そんな先輩たちも、自分自身の「人生という名の山」に直面していた。
3年生の進路希望調査。部室の壁に貼られた予定表とは別に、彼女たちの前にはそれぞれ違う色の未来が並び始めていた。
坂田先輩は機械工学を学ぶために理系の大学へ。
エビちゃん先輩は文学部のある大学へ。
板垣先輩はデザインの専門学校へ。
そして岡先輩は、家庭の事情を鑑みて、市役所の職員を目指すと静かに告げた。
「アタシはさ……」
桃香先輩が、夕暮れの部室でポツリと言った。
「イギリスの大学に行きたい。経営と言語を学んで、日本の良いものを世界に広める仕事がしたいんだ。……でもこれ、まだパパには理解されてない。年明けにちょっと言ったけど、全然聞いてもらえなかった。でも、アタシは絶対諦めないから」
彼女の横顔は、槍ヶ岳の頂上で見た時と同じくらい美しく、そして危ういほどに透明だった。




