第28話 カリフォルニアとヤマトナデシコとギャル先輩①
第8章 カリフォルニアとヤマトナデシコとギャル先輩
4月の空気というものは、新しくアイロンをかけたばかりのシャツに似ている。パリッとしていて、どこか清潔な匂いがするけれど、注意深く扱わないとすぐに取り返しのつかない皺が寄ってしまう。
二年生になった僕、福島陣太郎を待ち受けていたのは、進級という名の単なる時間の経過だけではなかった。
「今日から君が、宮の北高校山岳部の部長よ。福島くん」
坂田部長――いや、今は「坂田先輩」と呼ぶべきか――が、部室の鍵を僕の手のひらに置いたとき、その冷たい金属の感触は、まるで見知らぬ惑星の重力そのもののように感じられた。
今まで、僕はあらゆる責任や役職から、熟練の逃亡者のように身をかわして生きてきた。屋上で一人、つぶれたパンを食べていた僕にとって、組織の長なんていうものは、深海魚がエベレストの頂上を目指すくらいに非現実的な話だった。
「……僕が、ですか? 坂田部長。それは論理的なバグというか、選出ミスではないでしょうか。僕には
リーダーシップの欠片も、人を惹きつけるカリスマ性も備わっていません。あるのはただ、ネイビーの登山靴と、少しばかり発達した大腿四頭筋だけです」
「リーダーシップなんていうものは、後からついてくる帳尻合わせのようなものよ。君には、槍の穂先で涙を流した『実感』がある。それで十分だわ」
坂田先輩はそう言って、冬の星のような鋭い、しかし温かい眼差しで僕を見た。
そんな僕の不安を加速させるように、部室の扉が勢いよく開いた。
現れたのは、僕の人生の設計図には到底書き込まれていないような、圧倒的な質量を持った「異物」だった。
「ハロー! ボス・センパーイ! ココが、DreamのMountain・Clubデスカ?」
身長185センチ、体重90キロ。カリフォルニアの太陽をそのまま肉体化したような男、小沢・ジョージマイケル。アメリカからやってきたアメフト仕込みの巨体は、部室の空気を一瞬で希薄にした。彼は日本人である母親の影響でサザンオールスターズを「ジャパニーズ・カルチャーの聖域」だと信じて疑わず、部室に足を踏み入れるなり、桑田佳祐の物真似で挨拶を済ませた。
しかし現在の若者にサザンは通じにくいらしく、「誰?」といったリアクションが半々だったことはここに記しておく。
そして、その巨大な影に隠れるようにして立っていたのが、もうひとつの新しい風だった。
彼女はジョージと同じカリフォルニア育ちとは思えないほど、静謐な大和撫子の空気を纏っていた。身長150センチ。ジョージの半分ほどの体躯だが、その背筋は定規で引いたように真っ直ぐで、瞳には古い井戸の底のような、深く静かな意志が宿っていた。
「ジョージ、うるさいです。……実柚姉、お久しぶりです」
「わぁ、かのんちゃん。本当にうちの学校に来たのねー」
エビちゃん先輩は優しい目ををより細めて嬉しそうに微笑んだ。
「実柚姉に会いたくて、日本に帰ってきました。渋沢かのん、実柚姉と同じ部活に入ります。先輩方、よろしくご指導ご鞭撻、よろしくお願い申し上げます」
ぺこりと僕たちに向けて礼儀正しいお辞儀をする。その所作は非常に洗練されていて、つい見とれてしまうほどだった。そんな彼女をエビちゃん先輩が紹介した。
「かのんちゃんは私の従妹なんですよー。おととしまでアメリカに住んでいたのですよねー。みなさん、仲良くしてあげてくださいねー」
あとでエビちゃん先輩に聞いた話では、渋沢さんもアメリカ・カリフォルニア育ちで、ジョージの幼馴染だったという。向こうでも日本文化に大変憧れており、趣味は書道と茶道らしい。
ただ、彼女の日本文化観はどうもアメリカナイズされたステレオタイプなもので、切腹はいまだに習わしとして残っていると勘違いしているようだった。おそらく忍者の実在も信じているだろう。
「ボクはかのんのBODY GUARDデス!かのんの行くところがボクのBATTLE FIELDデース!」
「ジョージ、静かにしなさい。あまりうるさくすると、腹を斬らせますよ」
「オー、それは怖いネ…」
一瞥され、急に大人しくなるジョージ。
「渋沢さん、よろしく。……ジョージ、君も。でも僕はボスじゃない。ただの、少し先に山に登り始めただけの人間だ」
「ノー、センパイ! ユーはボスだ! ボク、センパイについていきマース!」
ジョージはそう言って、僕の肩を壊れんばかりの力で叩いた。
その圧倒的パワーを目の当たりにした板垣先輩は、僕の薄い胸板と彼のパンパンに膨れ上がった胸板を見比べながらニヤニヤして言った。
「このアイアンマン、…いや超人ハルクにもあのジャージ着せるの?」
「そうなりますね。XXLサイズがあればですけど」
僕は平静を装いつつも、彼の青いジャージ姿を想像し、こみ上げる笑いを抑えることに苦心した。




