第20話 文化祭とアイドルとギャル先輩③
先輩たちのダンスと歌は、すさまじい錬成の末、もはや珠玉の域に達している。
あとはステージの盛り上げに欠かせない、もう一つの欠片が必要だ。
そして、僕は一つの賭けに出た。
アイドルのステージといえば、コール。とはいえ、僕一人でコールを担当する事は出来ない。協力者が絶対に必要だ。
しかし、僕にはそんな人脈もツテもない。先輩たちの人脈を借りるのは筋が違う。この件に関しては、僕が自分でなんとかしなくては。プロデューサーとして。
文化祭まであと3日。準備が進む体育館は巨大なクジラの体内のような、奇妙に反響する静寂と騒がしさが同居していた。
その時、僕はラグビー部の部室前で、自分の心臓が吐き出す熱い呼気を飲み込んでいた。目の前に立つのは、クラスメイトの佐藤だ。彼の肩幅は僕の倍ほどもあり、その存在感はまるで歩く防波堤のようだった。
「……頼む。ステージを、盛り上げてほしいんだ」
僕は頭を下げた。視界が、佐藤の汚れたスパイクに向けられる。
「こんな事頼める義理ではないのは百も承知だ。山岳部なんて地味で変な部活だと思われているのは知ってる。でも、明日のステージに立つ彼女たちは、槍ヶ岳の断崖を越えてきた本物の登山家なんだ。そんな彼女たちが、人生で一度きりの夢を見ようとしている。……力を貸してくれ。ラグビー部のみんなが部活動説明会でやったウォークライ。あの声が必要なんだ」
佐藤と僕は仲がいいわけでもない。ただのクラスメイトだ。1回か2回挨拶をしたくらいか。彼はいわゆる陽キャというやつで、僕が同じクラスに存在していたかどうか認識すらしていないのかも知れない。
困ったような顔をした佐藤の後ろに、部室の中からいくつかの大きな影が動き出した。
「おい佐藤、その話、詳しく聞かせろよ」
出てきたのは、ラグビー部三年の主将だった。彼の眼光は鋭く、まるで獲物を狙う猛禽類のようだったが、僕のジャージを見て、桃香先輩の名前を出した瞬間、その瞳に「崇拝」に近い光が宿った。
「あの金髪ギャルが踊るのか。……面白そうだな。協力してやる。あいつのファンはうちの部にも多い。謎の部の山岳部が、体育館を揺らすところを見せてもらおうじゃないか」
僕は彼らに動画を渡し、このタイミングで頼むとお願いした。それからすぐに感謝の言葉もそこそこに、次なる準備へと奔走した。照明、タイムスケジュール、音響のチェック。僕は自分が、精密な時計の歯車を一つひとつ組み上げているような、奇妙な全能感と焦燥感の中にいた。戦いの準備は整った。絶対、このステージを成功させる。
しかし、勝利の女神はそう簡単に微笑まない。本番30分前。事件は起きた。
「ジンくん!!……杏菜が、いないの!」
板垣先輩が、青ざめた顔で僕の元へ駆け寄ってきた。
部室の中はパニックに陥っていた。出番直前になって、センターを務めるはずの杏菜先輩が姿を消したのだ。さすがの坂田部長にも焦りが見える。
「大丈夫です。僕が必ず、見つけ出します。坂田部長、桃香先輩、皆さんは最後の打ち合わせをしておいてください。……僕にまかせて下さい。……場所は分かっています」
僕は控え室を飛び出し、階段を駆け上がった。
目的地は、屋上の給水塔の陰だ。
そこは、かつて僕が一人で焼きそばパンを齧り、世界から切り離されていた場所。
案の定、そこに彼女はいた。青と白のステージ衣装を着たまま、膝を抱えて小さく震えていた。
「……岡先輩」
「……あ、……福島さん」
岡先輩は、長い前髪の奥から僕を見上げた。その瞳は、嵐の前の小鳥のように激しく揺れている。
「……無理。……わたし、やっぱり、……アイドルなんて。……みんな、笑うよ。……幽霊みたいなわたしが、……真ん中に、立ったら」
「……誰も、笑いません」
僕は彼女の前で膝をついた。
「先輩は、槍ヶ岳のあの鉄はしごを登りきったじゃないですか。死ぬほど怖い場所で、僕の背中を押してくれたじゃないですか。……あの高さに比べたら、体育館のステージなんて、ただの平地ですよ」
僕は、彼女の冷え切った手をそっと握った。
「僕がついています。坂田部長も、桃香先輩も、みんなが先輩の背中を支えています。……先輩が、箱の中から取り出した夢を、僕たちに見せてください」
「……でも、でも……失敗、したら、みんなの……努力が」
「大丈夫です。失敗しても、みんなは死にません。三俣蓮華の雪渓じゃないし」
僕は努めて明るく言った。滑落したあの時、僕の名を呼んでくれた岡先輩の声はまだ耳に残っている。
岡先輩は、数秒間、僕の目を見つめていた。やがて、彼女は深く、深く息を吐き出すと、ゆっくりと立ち上がった。
「……うん。……行く。……プロデューサーが、……そう言うなら」




