第18話 文化祭とアイドルとギャル先輩①
第6章 文化祭とアイドルとギャル先輩
9月末の空気は、使い古されたレコードの溝のように、夏の終わりの熱気と秋の始まりの乾いた気配を交互に再生させていた。
槍ヶ岳の頂上で流した涙が乾ききる前に、僕たちの前には新しい「山」がそびえ立っていた。文化祭。出し物は、山岳部によるアイドルステージ。ユニット名は、「an'ner-Z」(あんなーず)。
「ユニット名はan'ner-Zでいきます。ステージでは岡先輩をセンターに置いて戦います。杏菜とZenith (頂点)のZです。我々山岳部にまさにふさわしい」
僕は自信満々でみんなの前で宣言した。
「…あ、アンナーズ…」
まさか自分がセンターで自分の名前をもじったユニット名になるとは思ってもいない岡先輩は軽く絶句していた。
「いいじゃんアンナーズ!かわいいし!アタシは賛成!」
「ま、モモカーズとかナツメーズよりはいいよな」
桃香先輩と板垣先輩はあははと明るく笑いながら賛同してくれた。
それからというもの、放課後の体育館裏や部室は、ザックの代わりに重いビートと、不慣れなステップの音が支配する空間へと変わった。
岡先輩がやっていたアイドル育成ゲーム。このゲームが参考になる。
動きも歌も、キャラの声を担当している声優さんのコンサートも。
実際のアイドルには、正直なところ疎い僕でも、得意のゲームがベースとなっているものなら、みんなを多少なりともプロデュースできるはずだ。
「1、2、3、4! 坂田部長、少し腰のキレが甘いです。ここはもっと、鋭利なナイフで空気を切り裂くように」
僕はプロデューサーとして、パイプ椅子の背もたれに逆向きに座り、彼女たちに指示を出していた。
「……福島くん。君にそう言われると、なんだか自分がとても非論理的な動きをしているような気分になるわ」
坂田部長は、額に薄く汗を浮かべながら、ひどく羞恥心と戦っているような顔で答えた。彼女の動きは正確だが、どこか精密機械がダンスをエミュレートしているような硬さがある。
一方で、桃香先輩と板垣先輩のコンビは、まるで長年連れ添ったジャズ・デュオのように息がぴったりだった。二人が並んでステップを踏むと、そこには目に見えない調和の糸がピンと張り詰め、周囲の空気を華やかに塗り替えていく。
エビちゃん先輩は、その圧倒的な長身と長い手足を存分に活かし、まるで洗練されたバレリーナのような、優雅でダイナミックなダンスを見せていた。
そしてセンターに立つ岡先輩は、僕の予想を遥かに超える熱量で練習に没頭していた。
彼女はもう、部室の隅でゲーム機を握りしめていた小動物ではなかった。内に秘めていた「アイドルになりたい」というかつての夢が、槍ヶ岳の空気を吸ったことで発火したのだろうか。彼女の瞳には、ステージの照明を先取りしたような、激しくも静かな光が宿っていた。
「坂田部長、ちょっといいですか」
休憩中、僕は浮かない顔で壁際に立っていた凛さんに声をかけた。
「……何かしら。今日の私のステップは、まだ『落石』のように無様だと言いたいのかしら」
「いえ。部長がこのステージに乗り気じゃないのは分かっています。でも、これは杏菜先輩の夢なんです。彼女が箱の中から取り出した大切な宝物を、一緒に守ってあげられるのは、親友である部長だけじゃないですか」
坂田部長は一瞬、言葉を失ったように僕を見つめた。それから視線を、一心不乱にソロパートの練習をする岡先輩へと移した。
「……君は、時々残酷なほど正しいことを言うわね。……分かったわ。論理は脇に置いておく。今は、彼女の『正解』のために、私の筋肉を捧げることにする」
翌日から、坂田部長のダンスは見違えるように変わった。恥ずかしさを捨てた彼女の動きは、山道で僕たちを導く時のような、圧倒的な力強さと説得力を持ち始めた。
プロデューサーとしての僕の仕事は、ダンスの指導だけではなかった。
板垣先輩の底知れないオタクネットワークを駆使して、衣装の調達に奔走した。届いたのは、山岳部の青いジャージをモチーフにした、白と青の爽やかなステージ衣装だ。
照明担当との打ち合わせ、分刻みのタイムスケジュール作成、そして広報。僕はかつての自分からは想像もつかないほど、他者との関わりの渦中にいた。
文化祭の本番まであと10日。
その日の移動教室の途中、廊下で立ち止まった僕に、クラスの男子が驚愕の混じったどよめきが上がった。
向こうから歩いてくる2年生の集団に中心にいた桃香先輩が、僕を見つけて小さく手を振ったからだ。
彼女の屈託のない笑顔。廊下の温度が数度上がったような錯覚を覚えた。クラスの連中の視線が、針のように僕に突き刺さる。それはかつての蔑みではなく、明らかに「羨望」の色を帯びていた。
僕は少しだけ、鼻が高いような、自分が特別なステージに上がったような、そんな浮ついた感覚に浸っていた。
だが、その浮力はあまりにも脆いものだった。
放課後、音響の確認を終えて体育館の裏手を通ったとき、僕は足を止めた。




