表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
98/114

決着の準備へ

 警察が本格的に動き出すと、日常は静かに形を変える。


 大きな音を立てて何かが変わるわけじゃない。朝起きて、学校へ行って、授業を受けて、放課後に帰る。その流れ自体は今までと同じだ。けれど、その流れの中に“確認”が増える。誰といるか。どこへ行くか。何時に帰るか。知らない番号からの着信はないか。見慣れない人間が近くにいないか。


 変化は、そういう細いところから始まる。


 翌日の夕方、太刀川家のリビングには、張り詰めた静けさがあった。


 ソファには健一さんと恵さん。対面の椅子に俺とアリス。机の上には湯気の立つお茶が置いてあるのに、誰もほとんど手をつけていない。玄関のチャイムが鳴ったのは、その空気がちょうど固まりきった頃だった。


 健一さんが立ち上がり、少しして二人を連れて戻ってくる。


 一人はもう見慣れた、気だるそうな顔の佐野雪芽。

 もう一人は、昨日名前を聞いたばかりの刑事――神木新田だった。


 神木は家に上がると、無駄な愛想を振りまかず、かといって高圧的でもないちょうど中間みたいな会釈をした。


「神木新田です。警察の者です」


 低く、通る声だった。

 私服なのに、立ち方だけで警察だと分かる。部屋に入った瞬間から、視界と人の位置を把握している感じがある。


「率直にお話しします」


 席につくなり、神木はそう言った。


「四宮ハジメに関して、こちらも本格的に捜査を始めます」


 その一言だけで、リビングの空気が少し変わる。

 佐野がいくら動いていても、どこかでは“個人の追跡”の匂いが残っていた。そこへ警察が“捜査”という言葉を持ち込むと、事件は急に現実になる。


「同時に」


 神木の視線が、アリスへ向いた。次に、俺へ。最後に、健一さんと恵さんへ戻る。


「白金アリスさん、天音アイラさん、この二人を保護対象として扱います」


 保護対象。

 昨日、佐野から聞いていた言葉なのに、警察の口から改めて出ると重さが違った。


 アリスの背筋が少しだけ伸びる。

 怖がって縮こまるんじゃない。受け止める時の伸び方だ。


「具体的には」


 神木が続ける。


「当面の間、単独行動を極力避けていただきたい。帰宅時のルートは固定しない。学校や関係先にも最低限の共有をこちらで進めます。必要なら巡回も増やします」


「必要なら、じゃなくて増やしてよ」


 アリスが思わず口を挟んだ。

 その言い方は半分本音で、半分やけっぱちだった。


 神木は表情を変えずに頷く。


「増やします」


 即答だった。

 冗談で流さない。その感じに、俺は少しだけ安心する。


 恵さんが、静かに聞いた。


「朝日だけじゃなくて、アイラさんもなんですね」


「はい」


 神木は短く答える。


「四宮ハジメは、天音アイラさんの撮影現場に実際に接触しています。これは重要です。白金さんへ繋がる接点として、彼女を“入口”にしようとしていた可能性が高い」


 その言葉に、アリスの顔が少し曇る。

 やっぱり気にしているんだろう。アイラを巻き込んでしまったかもしれないことを。


 佐野が、その空気を読んだみたいに口を開いた。


「巻き込んだのは四宮だよ」


 淡い声だったが、はっきりした音だった。


「そこは履き違えないで」


 アリスは小さく息を吐いて、頷いた。

 分かっていても、言葉にしてもらわないと揺らぐ部分だ。


 神木はそこで、持ってきた資料を机の上に置いた。写真や地図そのものではなく、家庭向けに整理した概要だけの紙だ。行動の注意点、緊急時の連絡、共有すべき事項。警察らしく実務的にまとまっている。


「こちらにも協力をお願いします」


 健一さんが、その紙を見ながら低く言った。


「四宮は、今どの段階にいる?」


 神木は一拍だけ置いた。


「追い詰められている自覚は持ち始めていると思います」


 その答えは、嬉しいものではなかった。


「だからこそ危険です。証拠が積み上がる前に動く可能性もある」


 俺は奥歯を軽く噛みしめる。

 ここ数日、ずっと聞かされている話だ。なのに、何度聞いても慣れない。慣れていい話でもない。


「こちらでも証拠を詰めています」


 神木が続ける。


「佐野さんの情報、自首犯への金の流れ、撮影現場への出入り、倉庫街の接触。この複数の線を一つずつ固めていきます」


 佐野は、横でコーヒーに口をつけながら淡く言った。


「四宮って、人間の輪郭が薄いんだよね」


 全員の視線が集まる。


「表向きの職歴はある。身元もある。けど、“生活してる匂い”が薄い。友達も、恋人も、家族も、全部が遠い。代わりに“感じのいい人”の顔だけはちゃんと作ってる」


「演技してるってことか」


 俺が聞くと、佐野は少しだけ首を傾げた。


「演技というより、それしかないのかもね」


 ぞっとする言い方だった。

 普通を装っているのではなく、普通の皮しか持っていない人間。

 中身が空洞だからこそ、外側だけが不自然に整っている。


 神木がそこで言葉を継ぐ。


「四宮の周辺を固めるのと並行して、こちらで天音アイラさんにも接触します」


 アリスがすぐ顔を上げる。


「……優しくしてください」


 真っ先にそこを言うのが、アリスらしかった。

 事件のことより、アイラが知らない大人に囲まれることの方を先に心配する。


 神木は一瞬だけ目を細め、静かに頷いた。


「配慮します」


「ほんとに?」


「本当に」


 そのやり取りを見て、佐野が小さく息を吐く。


「私は逃げられたけどね」


「佐野さんは距離の詰め方が雑なんだよ」


 俺が言うと、佐野は不満そうな顔をした。


「結果的に話せたからいいじゃない」


「それ途中まで完全に不審者だった感じだろ」


「それは認める」


 認めるのかよ。そう思うのに、その一言で少しだけ空気が緩んだ。

 こういうどうでもいい会話が混ざると、全員が張り詰めすぎずに済む。


 話は一時間近く続いた。


 学校への連絡はどうするか。

 アイラの事務所への共有は警察経由でやること。

 アリスの帰宅ルートは数日ごとに微妙に変えること。

 太刀川家の周辺も、必要なら巡回区域に入れること。


 決めることが多い。多いが、こうして一つずつ現実的に決めていくと、不安が少しだけ“やるべきこと”に変わる。


 最後に神木が立ち上がる時、アリスへ真っ直ぐ言った。


「白金さん」


「……はい」


「無理に強がらなくていいです。ただし、違和感は小さくても必ず共有してください」


 その言い方は、ただの警告じゃなかった。

 “あなたの感覚を軽く見るな”という意味も含まれていた。


 アリスは小さく頷いた。


「分かりました」


 神木と佐野が帰る頃には、外の空気はすっかり冷えていた。


 玄関まで見送ったあと、リビングへ戻ると、全員が少しだけ疲れた顔になっていた。話している間は気が張っていたんだろう。


 恵さんがお茶を淹れ直しながら、ぽつりと言う。


「やっと、ちゃんと動き始めたのね」


「うん」


 健一さんが短く答える。


「だが、ここからだ」


 その言葉は重かった。でも、たぶん一番正しい。


 ※ ※ ※


 翌日から、また少し生活が変わった。


 校門の近くには、時々見覚えのない大人が立っているようになった。制服じゃない。けれど、立ち方が普通の通行人じゃない。たぶん神木の言っていた巡回だろう。


 アイラの方にも、事務所経由で警察から連絡が入ったらしい。

 アリスは昼休みにそのことをアイラからメッセージで短く聞いて、少しだけ心配そうにしていたが、『でも、ちゃんと話してくれる人だった』と知って少しだけ安心していた。


 そして佐野は、退院したばかりだというのに相変わらず止まらなかった。


 自首犯への金の中継口座。

 四宮が出入りした撮影現場の記録。

 過去の被害者と四宮の生活圏の重なり。

 倉庫街で使われたレンタカーの履歴。


 そういうものを神木と共有しながら、少しずつ“偶然”を潰していく。


 週の後半になる頃には、もう誰の目にもはっきりしていた。


 事件は動いている。

 しかも、かなり本気で。


 放課後、アリスと並んで帰る道で、俺はふと空を見上げた。

 夕焼けの色が薄い。秋の終わりの夕方は、綺麗なのに少し寂しい。


「隆太郎」


「ん?」


「最近、前より怖いのに、前より逃げたくない」


 アリスがそう言った。


 俺はその横顔を見る。

 怖さに慣れたわけじゃない。むしろ、名前がついて、輪郭がはっきりしたぶん、前より怖いだろう。

 それでも逃げたくない。

 たぶん、それは戦う準備が少しずつ整ってきたからだ。


「俺も」


 そう答えると、アリスは少しだけ目を細めた。


「そっか」


 その返事だけで十分だった。


 警察が動き、佐野が追い、神木が加わり、家族も知った。

 四宮ハジメは、もう“遠い誰か”ではいられなくなっている。


 そして、その先に来るものが“決着”だということを、俺たちはもう何となく感じ始めていた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。

応援が次回更新の励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ