表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
79/84

事件を追う者

 帰りの電車の中で、アリスは珍しく静かだった。


 座席には座れなくて、俺たちはドアの横に並んで立っていた。窓の外を流れる景色は、夕方の色に染まり始めている。街の輪郭が少しずつ柔らかくなっていく時間帯なのに、空気だけが妙に硬い。


 アイラが俺たちの関係を知った瞬間の顔が、まだ頭から離れない。


 驚き。

 戸惑い。

 理解しようとして、それでも追いつかない表情。

 そして、何かが胸の内側で静かに沈んでいくような、あの感じ。


 俺は、手すりを握る指先に少しだけ力を入れた。


 アイラの気持ちがどこまで育っていたのかは分からない。本人も、自分で名前をつけられていなかったかもしれない。ただ、今日の反応を見てしまった以上、“何もなかった”とは思えなかった。


 そしてアリスも、それを感じているはずだった。


「……隆太郎」


 電車の揺れに紛れるような小さな声で、アリスが呼んだ。


「ん」


「私、変なこと言っちゃったかな」


 俺はすぐには答えられなかった。否定するのは簡単だ。でも、それは違う。アリスは悪気なく言った。けれど、結果としてアイラを驚かせたのは事実だ。


 だから、嘘をつかない形で答える。


「変っていうか……タイミングは急だった」


 アリスが少しだけ肩をすくめた。


「やっぱり」


「でも、いつかは知ることだ」


「うん……」


 アリスは窓の外を見たまま、小さく息を吐いた。


「アイラさん、びっくりしてた」


「ああ」


「なんか……ちょっとだけ、しょんぼりしてた気もする」


 その言葉が、胸の奥に鈍く刺さる。俺も同じものを見たからだ。


 俺は慎重に言った。


「たぶん、俺たちのことをただの友達だと思ってたんだろ」


「そう、だよね」


 アリスは頷いた。でも、それだけじゃないかもしれない、と薄々分かっている顔だった。


 けれど、そこを今ここで言葉にする必要はない。アイラの気持ちは、アイラの中にあるものだ。俺たちが勝手に名前をつけるのは違う。


 しばらく沈黙が続いたあと、アリスがぽつりと言った。


「……でも、隠したくなかった」


「うん」


「アイラさんのこと、友達だと思ってるから。友達に、そこを誤魔化したくない」


 その言葉は、アリスらしかった。


 明るくて、まっすぐで、たまに不器用だ。でも、根っこのところで誠実だ。相手を大事にしたいからこそ、曖昧にしない。傷つけないように黙るという選択肢もあるのに、アリスはそれを選ばない。たぶん、“誤魔化した優しさ”の方が後で深く傷つくことを、感覚的に知っている。


「……アリス」


「ん?」


「お前は間違ってない」


 俺がそう言うと、アリスは少しだけ目を丸くした。それから、ほんの僅かに表情を緩める。


「……隆太郎がそう言うなら、少しだけ安心する」


 少しだけ。

 その“少し”が、今の俺たちには大きい。


 電車が駅に着いて、俺たちは人の流れと一緒にホームへ降りた。改札を抜け、外へ出ると、夕方の空気は思ったより冷たかった。秋が、少しずつ本気を出し始めている。


 太刀川家までの帰り道、アリスはもう一度だけアイラの名前を出した。


「……また、連絡してもいいかな」


 歩きながらの、独り言みたいな声だった。


「したいなら、すればいい」


「うん……。でも、少し間を空けた方がいいかな」


 それはたぶん正しい。今日のアイラには、整理する時間が必要だ。


「そうだな」


 俺が言うと、アリスは小さく頷いた。


「じゃあ、今日はやめとく」


 そう決められるところが、アリスの優しさなんだと思う。


 太刀川家の前に着いた時には、空がもうだいぶ暗くなっていた。窓から漏れる灯りがやけに温かい。アリスが立ち止まって、俺の顔を見上げる。


「今日、疲れた」


「だろうな」


「でも、行ってよかった」


 その言葉に、俺は静かに頷いた。


 今日一日で何かが解決したわけじゃない。むしろ、関係は少し複雑になった。でも、だからといって“行かなければよかった”になるわけじゃない。


 人と関わるって、たぶんそういうことだ。


「隆太郎」


「ん」


「今日も言って」


 いつもの合図。言葉が足場になる。


「好きだよ」


 俺が言うと、アリスは目を細めて、少しだけ疲れた笑顔を浮かべた。


「うん。じゃあ、今日は眠れそう」


 その言葉に、俺の胸が少しだけ温かくなる。アリスは家に入り、俺は自宅へ向かった。


 帰り道、空を見上げる。薄い雲が流れていて、星はあまり見えない。それでも、夜がちゃんと夜としてそこにあるだけで、少し落ち着く。


 落ち着くはずなのに、路地の冷たい空気はまだ身体の奥に残っていた。


 エンマちゃん。

 転生。

 コピー元。

 そして、犯人のことは“分からない”。


 知るべきことは増えていくのに、答えは簡単に手に入らない。


 ※ ※ ※


 その夜、太刀川家では、アリスが自分の部屋でスマホを握っていた。


 アイラとのトーク画面は開いている。最後に送られてきたメッセージは、帰り際の短い挨拶だけだ。


『今日はありがとうございました。楽しかったです』


 その“楽しかったです”の後ろに、今日の驚きがどれだけ混ざっているのかは分からない。


 アリスは画面を見つめて、打ちかけては消し、また打ちかけては消した。


『今日は急に言ってごめんね』

『また遊ぼう』

『大丈夫?』


 どの言葉も、今のアイラにとっては重い気がした。だから結局、アリスは何も送らずにスマホを伏せた。


 そして小さく呟く。


「……友達って、難しいね」


 難しい。

 でも、それでも欲しい。


 アリスはベッドに倒れ込んで、目を閉じた。今日のことを全部整理するには、少し時間が必要だった。


 ※ ※ ※


 一方、アイラもまた、自室で静かに座っていた。


 バッグは床に置きっぱなし。買ったものも、そのまま。机の上のスタンドライトだけが点いていて、部屋の隅がやけに暗く見える。


 スマホの画面には、アリスと撮った写真がまだ残っていた。


 楽しそうだった。

 嬉しかった。

 アリスは明るくて、優しくて、思っていたよりずっと一緒にいて疲れない人だった。

 そして、宮本隆太郎は、その隣に立つ人だった。


「……付き合ってるんだ」


 アイラが、小さく呟いた。


 今さらみたいに、その言葉の形を確かめる。頭では分かった。耳でも聞いた。けれど、胸の奥が追いついていない。


 好き、だったのかどうか。

 それすら、まだはっきりしない。


 ただ、あの人が他の誰かのものだと知った瞬間、胸の中で何かが落ちた。静かに、でも確かに。あれに名前をつけるのは、まだ怖かった。


 アイラはスマホを伏せて、布団を引き寄せる。今日は、考えたくない。考えたら、余計に苦しくなる。


 けれど、眠る前に一つだけ思った。


 アリスは、悪くない。

 むしろ、優しかった。


 だから、嫌いにはなれない。


 それが、余計に苦しかった。


 ※ ※ ※


 翌日、月曜日。


 学校は容赦なく始まった。文化祭が終わっても、宿題は出るし、小テストはあるし、先生は待ってくれない。そういう無慈悲さが、逆にありがたい。頭を使わざるを得ないから、余計なことを考える時間が減る。


 アリスは朝から少し静かだった。けれど、沈んでいるというより、考えている顔だった。話しかければ普通に笑う。クラスメイトとの会話もできる。ただ、スマホを見る回数が減っていた。


 昼休み、俺が弁当を食べていると、アリスがぽつりと言った。


「アイラさんから、まだ連絡来てない」


 その一言に、いろんな意味が詰まっているのが分かった。


「……そっか」


「うん。別に、来なくてもいいんだけど」


 そう言いながら、少しだけ唇を尖らせる。来てほしいんだろう。友達として。昨日の続きが欲しいんだろう。


「少し時間いるんじゃないか」


 俺が言うと、アリスは小さく頷いた。


「……だよね」


 それ以上、アイラの話は続かなかった。


 放課後、教室の空気がゆるんで、みんなが帰り支度を始める頃。俺のスマホが震えた。


 画面を見る。


 佐野雪芽だった。


 短い文が表示される。


『今夜、太刀川家に行く。君も来て』


 心臓が一瞬で強く打った。


 佐野が動く。

 それだけで、空気の色が変わる。


 文化祭の余韻も、アリスとアイラの微妙な距離も、全部まとめて“次の段階”へ押し出される感じがした。


 俺は短く返信した。


『分かりました』


 送ってから、アリスを見る。アリスも俺の表情の変化に気づいたらしく、眉を少し寄せた。


「……どうしたの?」


 俺は息を吸って、言った。


「佐野さんが、今夜、太刀川家に来る」


 その一言で、アリスの顔色が少し変わった。


 佐野雪芽。

 事件を追う女。

 そして、あの人が自分から来る時は、たいてい何かが動く時だ。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。

応援が次回更新の励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ