事件を追う者
帰りの電車の中で、アリスは珍しく静かだった。
座席には座れなくて、俺たちはドアの横に並んで立っていた。窓の外を流れる景色は、夕方の色に染まり始めている。街の輪郭が少しずつ柔らかくなっていく時間帯なのに、空気だけが妙に硬い。
アイラが俺たちの関係を知った瞬間の顔が、まだ頭から離れない。
驚き。
戸惑い。
理解しようとして、それでも追いつかない表情。
そして、何かが胸の内側で静かに沈んでいくような、あの感じ。
俺は、手すりを握る指先に少しだけ力を入れた。
アイラの気持ちがどこまで育っていたのかは分からない。本人も、自分で名前をつけられていなかったかもしれない。ただ、今日の反応を見てしまった以上、“何もなかった”とは思えなかった。
そしてアリスも、それを感じているはずだった。
「……隆太郎」
電車の揺れに紛れるような小さな声で、アリスが呼んだ。
「ん」
「私、変なこと言っちゃったかな」
俺はすぐには答えられなかった。否定するのは簡単だ。でも、それは違う。アリスは悪気なく言った。けれど、結果としてアイラを驚かせたのは事実だ。
だから、嘘をつかない形で答える。
「変っていうか……タイミングは急だった」
アリスが少しだけ肩をすくめた。
「やっぱり」
「でも、いつかは知ることだ」
「うん……」
アリスは窓の外を見たまま、小さく息を吐いた。
「アイラさん、びっくりしてた」
「ああ」
「なんか……ちょっとだけ、しょんぼりしてた気もする」
その言葉が、胸の奥に鈍く刺さる。俺も同じものを見たからだ。
俺は慎重に言った。
「たぶん、俺たちのことをただの友達だと思ってたんだろ」
「そう、だよね」
アリスは頷いた。でも、それだけじゃないかもしれない、と薄々分かっている顔だった。
けれど、そこを今ここで言葉にする必要はない。アイラの気持ちは、アイラの中にあるものだ。俺たちが勝手に名前をつけるのは違う。
しばらく沈黙が続いたあと、アリスがぽつりと言った。
「……でも、隠したくなかった」
「うん」
「アイラさんのこと、友達だと思ってるから。友達に、そこを誤魔化したくない」
その言葉は、アリスらしかった。
明るくて、まっすぐで、たまに不器用だ。でも、根っこのところで誠実だ。相手を大事にしたいからこそ、曖昧にしない。傷つけないように黙るという選択肢もあるのに、アリスはそれを選ばない。たぶん、“誤魔化した優しさ”の方が後で深く傷つくことを、感覚的に知っている。
「……アリス」
「ん?」
「お前は間違ってない」
俺がそう言うと、アリスは少しだけ目を丸くした。それから、ほんの僅かに表情を緩める。
「……隆太郎がそう言うなら、少しだけ安心する」
少しだけ。
その“少し”が、今の俺たちには大きい。
電車が駅に着いて、俺たちは人の流れと一緒にホームへ降りた。改札を抜け、外へ出ると、夕方の空気は思ったより冷たかった。秋が、少しずつ本気を出し始めている。
太刀川家までの帰り道、アリスはもう一度だけアイラの名前を出した。
「……また、連絡してもいいかな」
歩きながらの、独り言みたいな声だった。
「したいなら、すればいい」
「うん……。でも、少し間を空けた方がいいかな」
それはたぶん正しい。今日のアイラには、整理する時間が必要だ。
「そうだな」
俺が言うと、アリスは小さく頷いた。
「じゃあ、今日はやめとく」
そう決められるところが、アリスの優しさなんだと思う。
太刀川家の前に着いた時には、空がもうだいぶ暗くなっていた。窓から漏れる灯りがやけに温かい。アリスが立ち止まって、俺の顔を見上げる。
「今日、疲れた」
「だろうな」
「でも、行ってよかった」
その言葉に、俺は静かに頷いた。
今日一日で何かが解決したわけじゃない。むしろ、関係は少し複雑になった。でも、だからといって“行かなければよかった”になるわけじゃない。
人と関わるって、たぶんそういうことだ。
「隆太郎」
「ん」
「今日も言って」
いつもの合図。言葉が足場になる。
「好きだよ」
俺が言うと、アリスは目を細めて、少しだけ疲れた笑顔を浮かべた。
「うん。じゃあ、今日は眠れそう」
その言葉に、俺の胸が少しだけ温かくなる。アリスは家に入り、俺は自宅へ向かった。
帰り道、空を見上げる。薄い雲が流れていて、星はあまり見えない。それでも、夜がちゃんと夜としてそこにあるだけで、少し落ち着く。
落ち着くはずなのに、路地の冷たい空気はまだ身体の奥に残っていた。
エンマちゃん。
転生。
コピー元。
そして、犯人のことは“分からない”。
知るべきことは増えていくのに、答えは簡単に手に入らない。
※ ※ ※
その夜、太刀川家では、アリスが自分の部屋でスマホを握っていた。
アイラとのトーク画面は開いている。最後に送られてきたメッセージは、帰り際の短い挨拶だけだ。
『今日はありがとうございました。楽しかったです』
その“楽しかったです”の後ろに、今日の驚きがどれだけ混ざっているのかは分からない。
アリスは画面を見つめて、打ちかけては消し、また打ちかけては消した。
『今日は急に言ってごめんね』
『また遊ぼう』
『大丈夫?』
どの言葉も、今のアイラにとっては重い気がした。だから結局、アリスは何も送らずにスマホを伏せた。
そして小さく呟く。
「……友達って、難しいね」
難しい。
でも、それでも欲しい。
アリスはベッドに倒れ込んで、目を閉じた。今日のことを全部整理するには、少し時間が必要だった。
※ ※ ※
一方、アイラもまた、自室で静かに座っていた。
バッグは床に置きっぱなし。買ったものも、そのまま。机の上のスタンドライトだけが点いていて、部屋の隅がやけに暗く見える。
スマホの画面には、アリスと撮った写真がまだ残っていた。
楽しそうだった。
嬉しかった。
アリスは明るくて、優しくて、思っていたよりずっと一緒にいて疲れない人だった。
そして、宮本隆太郎は、その隣に立つ人だった。
「……付き合ってるんだ」
アイラが、小さく呟いた。
今さらみたいに、その言葉の形を確かめる。頭では分かった。耳でも聞いた。けれど、胸の奥が追いついていない。
好き、だったのかどうか。
それすら、まだはっきりしない。
ただ、あの人が他の誰かのものだと知った瞬間、胸の中で何かが落ちた。静かに、でも確かに。あれに名前をつけるのは、まだ怖かった。
アイラはスマホを伏せて、布団を引き寄せる。今日は、考えたくない。考えたら、余計に苦しくなる。
けれど、眠る前に一つだけ思った。
アリスは、悪くない。
むしろ、優しかった。
だから、嫌いにはなれない。
それが、余計に苦しかった。
※ ※ ※
翌日、月曜日。
学校は容赦なく始まった。文化祭が終わっても、宿題は出るし、小テストはあるし、先生は待ってくれない。そういう無慈悲さが、逆にありがたい。頭を使わざるを得ないから、余計なことを考える時間が減る。
アリスは朝から少し静かだった。けれど、沈んでいるというより、考えている顔だった。話しかければ普通に笑う。クラスメイトとの会話もできる。ただ、スマホを見る回数が減っていた。
昼休み、俺が弁当を食べていると、アリスがぽつりと言った。
「アイラさんから、まだ連絡来てない」
その一言に、いろんな意味が詰まっているのが分かった。
「……そっか」
「うん。別に、来なくてもいいんだけど」
そう言いながら、少しだけ唇を尖らせる。来てほしいんだろう。友達として。昨日の続きが欲しいんだろう。
「少し時間いるんじゃないか」
俺が言うと、アリスは小さく頷いた。
「……だよね」
それ以上、アイラの話は続かなかった。
放課後、教室の空気がゆるんで、みんなが帰り支度を始める頃。俺のスマホが震えた。
画面を見る。
佐野雪芽だった。
短い文が表示される。
『今夜、太刀川家に行く。君も来て』
心臓が一瞬で強く打った。
佐野が動く。
それだけで、空気の色が変わる。
文化祭の余韻も、アリスとアイラの微妙な距離も、全部まとめて“次の段階”へ押し出される感じがした。
俺は短く返信した。
『分かりました』
送ってから、アリスを見る。アリスも俺の表情の変化に気づいたらしく、眉を少し寄せた。
「……どうしたの?」
俺は息を吸って、言った。
「佐野さんが、今夜、太刀川家に来る」
その一言で、アリスの顔色が少し変わった。
佐野雪芽。
事件を追う女。
そして、あの人が自分から来る時は、たいてい何かが動く時だ。
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