遊ぶ日!
次の日曜日は、朝から少しだけ落ち着かなかった。
理由は単純だ。今日は、俺とアリスと天音アイラの三人で会う約束をしている。約束を取りつけたのはアリスだ。勢いで決めたように見えて、実際にはちゃんと考えていたんだと思う。俺が間に入ることでアイラが安心しやすいこと。アリス自身も、俺と一緒の方が変に緊張しないこと。そして何より、隠し事をこれ以上増やさずに済むこと。
それでも、落ち着かないものは落ち着かない。
アリスとアイラが二人で並んだ写真の衝撃は、まだ胸の奥に残っている。エンマちゃんの言葉も、消えたわけじゃない。だが、今日の目的はそこじゃない。今日は、三人で遊ぶ日だ。そういう普通の時間として成立させることが、たぶん一番大事だった。
待ち合わせは、アイラの住む街の駅前だった。
俺とアリスは朝から一緒に歩いて駅へ向かった。今日は休日だから制服じゃない。アリスは薄いクリーム色のトップスに、秋らしい落ち着いた色のスカートを合わせていた。髪もいつもより少しだけ丁寧にまとめている。気合いが入っているのが分かる。
「どう?」
駅へ向かう途中、アリスがくるっと一回転してみせた。
「何が」
「服! アイラさんと会うんだから、ちゃんと可愛くした」
「いつも可愛いだろ」
口から出た瞬間、自分で少しだけ早かったと思った。けれど、アリスはしっかり反応した。
「……そういうの、不意打ちで言うのずるい」
「本当のことだ」
「うう……朝から心臓に悪い」
頬を赤くしているくせに、嬉しそうだった。そういう顔を見ると、こっちの緊張が少しだけ和らぐ。
駅に着いて、電車に乗る。アイラの住む街は隣町ほど遠くはないが、歩いて行ける距離でもない。車窓を流れる景色をぼんやり見ながら、俺はアリスの横顔を盗み見た。
アリスは緊張していた。でも、それ以上に楽しみが勝っている顔だ。アイラのことを、純粋に“仲良くなりたい相手”として見ている。そこに打算がない。それがアリスの強さであり、怖さでもある。人にまっすぐ向かっていける分、傷つく時も深い。
「隆太郎」
「ん?」
「今日さ、アイラさんといっぱい話したい」
「うん」
「好きなものとか、学校のこととか、家の近くのこととか。……普通の友達みたいな話、したい」
その“普通”という言葉が、やっぱり胸に残る。
アリスは、普通を取り戻したいんだ。
普通の高校生みたいに友達を作って、休みの日に遊んで、服を見て、食べ歩きして、くだらない話をしたいんだ。
それを壊すようなことだけは、したくなかった。
「できるよ」
俺が言うと、アリスは小さく笑った。
「うん。隆太郎がいると、ちょっとだけ勇気出る」
その言葉を聞いて、俺は背筋を伸ばした。今日の俺の役割は、たぶんそこだ。会話の中心になることじゃない。アリスとアイラが自然に話せるように、空気を整えること。その場が危なくならないように見ていること。
電車が目的の駅に着く。改札を抜けると、休日の駅前らしい賑わいが広がっていた。駅ビル、小さなロータリー、家族連れ、学生、買い物帰りの人。人の気配が多い。アイラと会うにはちょうどいい。
待ち合わせの時計台の下に、アイラはもう来ていた。
私服姿のアイラは、やっぱり少し目立たない。淡いグレーのカーディガンに、濃い色のスカート。派手さはなくて、でも清潔感はある。髪は下ろしていて、両手で小さなバッグの持ち手を握りしめていた。俺たちを見つけた瞬間、肩がぴくっと動いた。緊張しているのが分かる。
「……お、おはようございます」
声が少し上ずっていた。
「おはよう!」
アリスがぱっと笑って手を振る。あの明るさでいきなり距離を詰めるとアイラが怯えるかと思ったけれど、今日は大丈夫そうだった。むしろ、アイラはその元気に少しだけ救われているように見えた。
「……おはよう」
俺も声をかける。
アイラの視線が一瞬だけ俺に来て、それからすぐアリスに戻る。その動きが、今の彼女の緊張の配分を表していた。俺は“知っている人”で、アリスは“仲良くなりたい人”。どちらにも意識が向いている。
「今日はありがとう、来てくれて」
アリスが言う。
「……い、いえ……私の街なのに、来てもらってるの、こっちだし……」
相変わらず遠慮が深い。アリスはその言葉に首を振った。
「それでも。案内してくれるんでしょ?」
「……は、はい……」
「じゃあ、今日はアイラさんが隊長!」
アリスが元気よく宣言すると、アイラは目を見開いた。
「た、隊長……?」
「うん。この街のこと、一番知ってるのアイラさんだもん」
アイラは困ったように、でも少しだけ嬉しそうに目を伏せた。役割を与えられると、人は動きやすい。アリスはそこを本能的に分かっているのかもしれない。
最初の目的地は、駅前のショッピングモールだった。
大きすぎず、小さすぎず、休日に時間を潰すにはちょうどいい。アリスは入る前からきょろきょろしていて、アイラはそれを少し後ろから見る形になっていた。
「ねえ、服見たい!」
モールに入ってすぐ、アリスが言った。
「服、ですか……?」
アイラが聞き返す。
「うん。アイラさんの服、見てみたい」
「わ、わたしの……?」
「うん。似合いそうなのいっぱいありそう」
アイラは困った顔をした。困った顔をするのに、完全には嫌がっていない。アリスはその絶妙な反応をちゃんと見て、押し込みすぎない。
「見るだけでもいいよ?」
「……見るだけ、なら……」
そうして三人で入った店は、柔らかい色合いの服が多い場所だった。アリスがラックの間を楽しそうに歩き、アイラはその少し後ろをついていく。俺はそのまた後ろで、二人の会話を聞いていた。
「これ、アイラさん似合いそう」
アリスが淡いブルーのブラウスを持ち上げる。
「……む、むりです……こんなの……」
「なんで?」
「きらきらしてる……」
「服に対する評価が独特」
俺が思わず口を挟むと、アイラが一瞬だけ俺を見る。それだけで少し落ち着くのか、続けて小さく言った。
「……こういうの、着たことなくて……」
アリスはそこで無理に押さなかった。代わりに、少し落ち着いた色のカーディガンを手に取る。
「じゃあこれは?」
アイラがそれを見る。今度は即座に首を振らない。
「……それ、なら……」
「ほら!」
アリスが嬉しそうに俺を見る。俺に見られても困るが、つい頷いてしまう。
「似合いそう」
俺が言うと、アイラの耳が少し赤くなった。褒められること自体に慣れていないんだろう。アリスはそれを見て、なんだか楽しそうだった。
「試着してみる?」
「えっ」
アイラが固まる。
「いや……その……」
「嫌なら無理しなくていいよ?」
アリスが言葉を足す。その一言があるから、アイラは逃げない。
しばらく迷ったあと、アイラは小さく頷いた。
「……やってみます……」
その“やってみます”が、彼女にとってどれだけ勇気のいる言葉か、見ていて分かった。
試着室から出てきたアイラは、ほんの少しだけ恥ずかしそうにしていた。でも、似合っていた。柔らかいベージュのカーディガンが、彼女の暗めの雰囲気を和らげている。派手じゃない。けれど、ちゃんと可愛い。
アリスが目を輝かせた。
「やっぱり! 可愛い!」
アイラが赤くなって、視線を床へ落とす。
「……か、可愛くは……」
「可愛い」
アリスが言い切る。強い。
アイラが俺の方をちらっと見る。助けを求めるみたいな視線。俺は少しだけ笑って、柔らかく言った。
「似合ってるよ」
それだけで、アイラはもう完全に顔が赤くなった。逃げるかと思ったが、今日は逃げなかった。代わりに試着室へ戻っていって、戻ってきた時には元の服に着替えていた。
「……か、買いません……」
「買わないのか」
「……まだ、無理です……」
でも、少しだけ口元が緩んでいた。たぶん、嫌じゃなかったんだろう。
そのあとも、三人でモールの中を歩いた。雑貨屋を覗き、文房具コーナーで変な動物のメモ帳を見て笑い、フードコートで軽く昼を取った。アリスはポテトを買って、アイラに「食べる?」と勧め、アイラは最初「いいです」と断ってから、アリスがしょんぼりした顔を見せると「……ひとつだけ」と受け取った。
そのやり取りが妙に可笑しくて、俺は少し笑ってしまった。
フードコートの席で、アリスが話題を次々出していく。好きな飲み物。苦手な食べ物。通学時間。休日の過ごし方。アイラは最初こそ一問一答みたいだったが、少しずつ自分から言葉を足すようになっていった。
「……本、読むの好きです」
「え、ほんと? どんなの?」
「……静かなやつ……」
「静かなやつって何!」
アリスが笑う。アイラも少し困った顔をして、それでも「……たとえば、日記みたいな」と続ける。言葉の選び方が慎重で、でも丁寧だ。
アリスはふいに、自分のカップを持ちながら言った。
「アイラさんって、最初はすごく緊張してるのに、話してるとちゃんと優しいね」
アイラが固まる。
「……え」
「言葉が柔らかい。今も、ポテト一個受け取る時、ちゃんと“ありがとう”って言ってたし」
アイラの耳がまた赤くなる。今日は赤くなる回数が多い。
「……ふ、普通です……」
「普通じゃないよ。私は好き」
アリスのそういうところが、たぶん人を落とす。恋とかじゃなく、人間として。警戒していた相手でも、気づくと“嫌いじゃない”側に引っ張られてしまう。
アイラは視線を彷徨わせて、最後に俺の方を見た。俺は、あえて何も足さなかった。今の会話は、アリスとアイラのものだ。そこに俺が入ると、温度が変わる。
午後は、モールを出て駅前の小さな広場へ行った。ベンチがあり、噴水があり、休日の家族連れが休んでいる。そこで少し休んでから、今度はアイラが「こっちに……」と小さく案内してくれた。
アイラの街の、小さな書店だった。
「ここ、好きで……」
アイラが言う。好きな場所を案内するのは、彼女なりの心の開き方なんだろう。
店内は静かで、紙の匂いがした。アリスは「こういうお店、落ち着くね」と嬉しそうで、アイラは少しだけほっとした顔をしていた。自分の好きな場所を、ちゃんと受け入れてもらえた時の顔だ。
三人で本を眺めていると、アリスが小さく俺の袖を引いた。
「隆太郎、見て。これ、栗のレシピ本」
「お前は本当に栗だな」
「秋の王様だもん」
そのやり取りを聞いて、アイラがふっと笑った。
「……栗、ほんとに好きなんですね」
「好き!」
アリスが即答する。アイラはその勢いに少し驚いて、でも嫌そうじゃない。
書店を出る頃には、夕方の光が少し傾いていた。駅まで戻る道を、三人で並んで歩く。アリスは今日一日を本当に楽しんでいたし、アイラも緊張しながらも、来た時よりずっと表情が柔らかかった。
駅前の改札が見えてきたところで、アイラが小さく立ち止まった。
「……今日は、ありがとうございました」
その礼は、最初に会った時よりずっと自然だった。おどおどしているのは変わらない。でも、言葉が“逃げるため”じゃなく“伝えるため”に出ている。
「私も楽しかった!」
アリスが言う。
「また遊ぼうね」
アイラが少しだけ目を見開いて、それから頷いた。
「……はい……また……」
そこで、アリスがふいに言った。
「今度は、私と隆太郎と――」
俺の心臓が跳ねた。
アリスは何も考えていない顔で、当たり前みたいに続ける。
「――二人でデートした話も聞いてね」
その言葉で、空気が一瞬止まった。
アイラの目が、はっきりと見開かれる。さっきまでの“少し驚く”とは違う、本気の驚愕。視線が、アリスから俺へ、俺からアリスへ、何度も揺れる。
「……で、デート……?」
声が掠れる。
アリスはきょとんとして、それから「あ」と小さく声を漏らした。今さら気づいたのだ。自分たちが付き合っていることを、まだ明言していなかったことに。
「え、あれ、言ってなかったっけ」
アリスが俺を見る。俺は言葉を失っていた。言っていない。わざわざ切り出すタイミングがなかった。でも、今、その事実は唐突にアイラの前に落ちた。
アリスは少しだけ照れた顔で、でも嬉しそうに言った。
「私たち、付き合ってるの」
その言葉が、駅前のざわめきの中で妙に鮮明に響いた。
アイラの顔色が変わる。
驚き。理解の遅れ。何かが胸の中で沈む反応。全部が一瞬で顔に出て、それから慌てて押し込められる。人見知りで、感情の処理が顔に出るタイプだからこそ、その変化が痛いほど分かった。
「……え……あ……」
アイラの喉が震える。言葉が出ない。
俺は何か言うべきか迷った。でも、ここで半端にフォローを入れる方が残酷な気がした。事実は事実だ。俺とアリスは付き合っている。それを誤魔化す気はない。
アリスも、ようやく自分の言葉の衝撃に気づいたらしく、少しだけ慌てた。
「ご、ごめん。変なタイミングで――」
アイラが首を振る。小さく、何度も。
「……い、いえ……そ、そうなんですね……」
声が細い。聞いているこっちの胸が締まるくらい細い。
でも、アイラは逃げなかった。逃げなかったことが、逆に痛々しかった。
彼女は必死に表情を整えて、ぎこちなく、でも礼儀正しく頭を下げた。
「……今日は、ほんとうに……ありがとうございました……」
それだけ言うのが精一杯だったんだと思う。
アリスは気まずそうにしながらも、最後に小さく手を振った。
「……また、連絡するね」
アイラは頷いた。頷いて、改札の方へ向かった。背中は真っ直ぐじゃない。少しだけ揺れている。ショックを受けた時の歩き方だった。
俺はその背中を見送りながら、胸の奥に鈍い痛みを感じた。
アイラの恋が、どこまで育っていたのかは分からない。本人も自覚していなかったかもしれない。けれど、“何か”は確かにあった。それに今、はっきりと線が引かれた。
アリスが小さく息を吐いた。
「……私、言ってなかったんだ」
「言ってなかったな」
「そっか……」
アリスは少しだけ眉を寄せた。でも、それ以上は何も言わなかった。今日のアイラの反応を見て、何かを感じたんだと思う。
俺たちはそのまま電車に乗った。帰り道、アリスは少し静かだった。俺も何を言えばいいか分からなかった。
ただ一つだけ、はっきりしていた。
今日で、三人の関係は一段変わった。
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