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話さなきゃいけないこと

 スマホの画面を閉じても、あの写真は頭の中に残り続けた。


 アリスと天音アイラ。並んで笑う、というほどではない。アリスはいつものように明るく、アイラは少しだけ緊張していて、でも逃げてはいない。その温度差が、余計に二人の輪郭を際立たせていた。


 似ている。


 髪色も雰囲気も違う。性格なんてむしろ真逆に見える。それでも、骨の通り方みたいなものが、画面の上では誤魔化しようもなく重なる。頬の線、目元の角度、口元の収まり方。現実で見るより、写真の方が残酷に似ていた。


 そして、その上にエンマちゃんの声が重なる。


 ――コピー元は天音アイラ。


 喉の奥がひどく乾く。呼吸が浅い。立ち止まっているだけなのに、心臓だけが変な早さで脈を打つ。


 アリスはこの写真を、ただ嬉しくて送ってきたんだ。

 友達ができた、その報告のつもりで。

 何の悪意も、何の裏もない。


 だからこそ、俺はすぐに返信しなければならなかった。返事が遅れれば、アリスは気づく。俺の違和感に、俺の戸惑いに。


 俺は指先に力を入れて、短く返した。


『いい写真だな。仲良くなれてよかった』


 送信。


 文面は平静だった。少なくとも、そう見えるはずだ。だが、送った直後に、自分の鼓動がまだ落ち着いていないのが分かった。平静を装うのと、平静でいるのは別だ。


 数秒後、アリスからすぐ返事が来た。


『でしょ! アイラさん、最初ちょっと緊張してたけど、途中からちゃんと笑ってくれたの!』


 文面から弾む声が聞こえてくるようだった。俺は少しだけ目を閉じた。


 ……壊したくない。


 アリスのこういう明るさを。

 ようやく戻ってきた“普通の友達ができる嬉しさ”を。


 だから、順番を間違えるな。今、ここで全部をぶつけるな。そう自分に言い聞かせて、俺は短く返した。


『よかった。気をつけて帰れ』


 それで会話を止める。これ以上は、今の俺には難しい。


 スマホをポケットにしまって、ようやく歩き出した。商店街のざわめきが少しずつ戻ってくる。人の話し声、店先の音楽、スーパーのタイムセールの声。全部が現実だ。現実なのに、その下に別の層がある。


 アリスは転生体。

 アイラはそのコピー元。

 そして、朝日を殺した犯人はまだ捕まっていない。


 日常の下に、異常が重なっている。

 でも俺たちは、その上で生活しなければならない。


 ※ ※ ※


 その夜、俺は太刀川家へ寄らなかった。


 顔を合わせたら、たぶん隠しきれない。アリスは俺の表情を読む。読んで、不安になる。不安にさせたくなかった。少なくとも、今夜は。


 自宅で夕飯を食べながら、母さんが「今日は行かないの?」と聞いた。


「……今日はやめとく」


 俺が言うと、母さんはそれ以上追及しなかった。ただ、少しだけ長く俺の顔を見た。母さんも、俺の顔の変化には敏感だ。


「何かあった?」


 静かな声。


 俺は少し迷ってから、答えた。


「……まだ整理できてない」


「そう」


 母さんは頷いた。そこで無理に聞かないのが母さんらしい。


「整理できてない時は、結論を急がないこと。自分の中で言葉が決まってないのに、人に話すと、言葉の形だけが先に残るから」


 その忠告は、そのまま胸に落ちた。言葉の形だけが先に残る。まさに今の俺が恐れていることだ。


 夜、自室の机に向かっても、文化祭後の感想メモは頭に入らなかった。視線だけが紙の上を滑る。頭の中では、写真の中のアリスとアイラが何度も並ぶ。


 俺は引き出しを開けて、アイラのハンカチを返す前にしまっていた場所を見た。もう中は空だ。当たり前だ。返したんだから。そんな当たり前のことに、自分の頭が変に引っかかる。


 アイラは、ただの“材料”じゃない。

 生活してる。学校がある。怖がりで、人見知りで、でも勇気を出して前に進んでる。

 アリスも同じだ。生活してる。笑ってる。怖がりながらも、前に進んでる。


 その二人が、今、友達になろうとしている。


 この事実を、俺はどう扱えばいい。


 答えは出ないまま、時間だけが過ぎていった。


 スマホが震えたのは、二十二時を少し回った頃だった。アリスからだった。


『今日は会えなくてちょっとさみしかった』


 短い文。顔が見えなくても、少し拗ねてるのが分かる。俺の胸がきゅっとなる。


 俺はすぐに返した。


『悪い。少し考えごとしてた』


 送ってから、足りないと思って、もう一文足す。


『明日、会える?』


 すぐ既読がついた。


『会いたい。休日だし、時間あるよ』


 休日。そうだ。明日は日曜だ。学校もない。時間がある。逃げずに話すなら、むしろ明日しかない。


 俺は指を止めて、それから決めた。


『じゃあ明日、ちゃんと話したいことある』


 送信して、息を吐く。


 しばらくして、アリスから返事が来た。


『わかった。こわい話?』


 その質問が、アリスらしかった。はぐらかさない。けれど、軽くも聞かない。


 俺は正直に返した。


『少し。でも、隠したままにしたくない』


 既読がついて、少し間が空いた。


『うん。じゃあ聞く』


 その返事が、静かに胸に響いた。


 アリスは逃げない。

 だから俺も、逃げない。


 ※ ※ ※


 翌朝、日曜日。


 空は高く、風は昨日より少しだけやわらかかった。秋の匂いが濃くなっている。秋が少し終わる前の、でも確実に季節が動いている空気。


 俺は朝から落ち着かなかった。言うべきことを頭の中で整理する。どこから話すか。何を省くか。何を先に言うか。


 エンマちゃんのことまで一気に言うのは、今は違う気がした。まず話すべきは、アイラのことだ。俺がいつ、どうやって会ったか。なぜ黙っていたか。そこを隠したままだと、全部が歪む。


 昼前、太刀川家へ向かった。


 玄関を開けると、恵さんが「いらっしゃい」と迎えてくれた。リビングにはアリスがいた。私服姿で、ソファに座っていたが、俺を見るとすぐ立ち上がる。顔に少しだけ緊張がある。俺の「話したい」が軽くないと分かっている顔だ。


「隆太郎」


「……よう」


 恵さんが空気を読んで、「二人で話してきなさい」と言ってくれた。俺たちは庭側の縁側に出た。日当たりがよくて、外の風が少し通る。重い話をするには、むしろちょうどいい場所だった。


 俺はしばらく黙って、それから言った。


「……アリス、まず謝る」


 アリスの目が揺れる。


「何を」


「アイラのこと。……俺、前から知ってた」


 アリスが一瞬、言葉を失ったのが分かった。驚き。次に、少しだけ眉が寄る。怒りというより、戸惑いの色。


「……前から?」


「ああ」


 俺は頷いた。


「少し前に、街でナンパされてるのを見て、助けた。それが最初」


 アリスは黙って聞いている。口を挟まない。途中で止めない。その沈黙が、逆に重い。


 俺は続けた。


「そのあと何回か、偶然みたいな形で会った。ハンカチ返したり、撮影に行く道を少しだけ一緒に歩いたり。……でも、アリスには言わなかった」


「どうして」


 短い質問。責める声じゃない。でも、核心だ。


 俺は息を吸った。


「……似てるからだ」


 アリスの目が少しだけ大きくなる。


「雑誌で見た時から、似てると思ってた。実際会っても、やっぱり似てた。……だから、アリスに先に話したら、ドッペルゲンガーみたいに感じて怖がるんじゃないかと思った」


 言いながら、自分の言葉が言い訳にも聞こえるのが嫌だった。けれど、本音だ。本当にそう思っていた。アリスの怖さを増やしたくなかった。だから黙った。


 アリスは少しだけ黙ってから、意外なほどあっさり言った。


「そんなことないかな」


 俺は顔を上げた。アリスは、穏やかな目で俺を見ていた。


「怖いより、気になるが勝つと思う」


 その言い方が、昨日のアリスそのものだった。似ているから怖いんじゃない。似ているから知りたい。そういう人間だ、アリスは。


「……怒らないのか」


 俺が聞くと、アリスは少しだけ頬を膨らませた。


「怒ってないわけじゃない」


 その返事に、俺の胸が少しだけ締まる。


「でも、隆太郎がそう思った理由は分かるよ。……私が怖がると思ったんでしょ?」


「うん」


「だったら、考えてくれてたのは分かる」


 アリスはそう言って、少しだけ肩をすくめた。


「ただ、次からは言って。私、置いていかれる方が怖い」


 その言葉が、静かに刺さった。


 守るために黙った。

 でも、黙ることで置いていく形になっていた。


 それは、完全に俺のミスだ。


「……ごめん」


 俺が言うと、アリスは小さく頷いた。


「うん。今回はそれでいい」


 そこで終わらせるのが、アリスの優しさだ。


 少しだけ空気が緩んだところで、アリスがふいに笑った。


「でもね、私、アイラさんのこと、好意的に思ってるよ」


「……そうだろうな」


「うん。優しいし、ちょっと可愛いし、守ってあげたくなる感じ」


 可愛いし、守ってあげたくなる。アリスらしい評価だ。俺は少し笑ってしまった。


「だからさ」


 アリスが身を乗り出す。


「日曜日、三人で会おうよ」


「今日が日曜だろ」


「あ、そっか」


 アリスが自分で言って、自分でずっこけるような顔をした。俺は思わず吹き出した。


「じゃあ次の日曜!」


「気が早い」


「でも、会いたいもん。隆太郎も一緒なら、アイラさんも安心すると思う」


 その言葉に、俺は少し考えた。確かに、アイラは俺がいた方が少し落ち着くかもしれない。いや、正確には“知っている人がいる”方が落ち着くんだろう。そして、アリスも一緒なら、俺の隠し事も増えない。


「……分かった」


 俺が頷くと、アリスの顔がぱっと明るくなった。


「やった!」


 その無邪気さに、救われる。問題は何も解決していないのに、少なくとも俺とアリスの間にある棘は少しだけ抜けた。


 アリスが俺の袖をちょんと引いた。


「ねえ、隆太郎」


「ん?」


「ちゃんと言って」


「何を」


「分かってるくせに」


 頬を膨らませる。こういう時のアリスは、いつも通りでいてくれる。俺はその“いつも通り”が欲しかった。


「好きだよ」


 俺が言うと、アリスが満足そうに笑った。


「うん。じゃあ、もう大丈夫」


 ほんの少しだけだろう。でも、その“もう大丈夫”を積むしかない。


 そして俺は、心の中で別の決意をした。


 次にエンマちゃんが現れたら、今度はアリスに関わる危険の話まで聞き出す。

 犯人のことも、守り方のことも。


 アリスを守るために、知らなければならないことがまだある。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。

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