神様でもできないこと
翌日、朝から胸の奥がざわついていた。
理由ははっきりしている。エンマちゃんが「明日」と言ったからだ。朝日を殺した犯人について、何かを話すと。あるいは話せないと。どちらにしても、俺にとっては重い。
重いのに、学校はいつも通り始まる。
朝のホームルーム。眠そうな顔のクラスメイト。文化祭の余韻が抜け切らず、誰かが「まだ疲れてる」と言っている。教室の空気は日常そのものなのに、俺の頭の中だけが路地の冷たい空気に取り残されていた。
アリスは、昨日よりさらに明るかった。
休み時間になるたび、スマホをちらっと見て、少しだけ笑う。たぶんアイラから連絡が来ているんだろう。アリスは人と距離を縮めるのが早い。早いけれど、雑じゃない。その相手がアイラみたいに慎重な子なら、なおさら相性がいいのかもしれない。
「隆太郎」
昼休み、アリスが俺の机の横へ来て、小さく言った。
「今日ね、放課後ちょっとだけアイラさんと会う」
「そうか」
「うん。昨日、連絡先交換したから。お茶ってほどじゃないけど、少しだけ話したいって」
楽しそうな顔。純粋に、新しくできた友達に会う顔だ。
俺はその顔を見て、胸の奥がちくりと痛んだ。
痛む理由は、嫉妬でも何でもない。知ってしまったからだ。エンマちゃんの言葉を、俺だけが先に知っているからだ。アリスはただ嬉しいだけなのに、俺はその後ろに別の意味を見てしまう。
それが、嫌だった。
「……気をつけろ」
俺はそれだけ言った。
アリスは笑って頷く。
「うん。変なとこ行かないよ。駅前のカフェ。人多いし」
「ならいい」
「隆太郎も、今日――」
アリスは言いかけて、少しだけ首を傾げた。
「今日、なんか考えごとしてる顔」
やっぱり気づく。アリスは俺の顔を見すぎている。
「大したことじゃない」
「それ、大したことある時の言い方」
アリスが唇を尖らせる。俺は少し笑って誤魔化した。
「放課後、友達と話すかも」
「かも?」
「……うん。かも」
曖昧にしか返せない自分が嫌だ。でも、今ここで全部言うのは違う。順番がある。そう自分に言い聞かせるしかなかった。
※ ※ ※
放課後、アリスは嬉しそうに教室を出ていった。
俺はそれを見送り、少し時間を置いてから校門を出た。向かう先は、またあの路地だ。エンマちゃんは呼べば現れるわけじゃない。でも、待っていれば来る気がした。あの子は、そういう“待たせ方”をする。
商店街の喧騒を抜けて路地に入る。昼より少し暗い。夕方の光が狭い空を切り取っている。生活の音が薄く、風の通りだけが妙に冷たい。
「……エンマちゃん」
俺が小さく呼ぶと、上から声が降ってきた。
「今日もちゃん付け、ちゃんとしてるね」
見上げると、エンマちゃんは塀の上じゃなく、今度は隣の倉庫の屋根の端に座っていた。相変わらず危なっかしいのに、落ちる気配がない。
「降りろ」
俺が言うと、エンマちゃんは鼻で笑うように言った。
「人間ってすぐ“降りろ”って言うよね〜」
「危ないだろ」
「君にはそう見えるだけ」
そう言って、ひらりと降りる。小さな体なのに着地音がほとんどしない。軽い、というより、地面に体重を預けていないみたいな降り方だった。
俺はもう、その異様さに毎回驚くのをやめた。驚いても、相手は平然としているからだ。
「……約束だ」
俺が言うと、エンマちゃんは頷いた。
「犯人の話、でしょ」
「ああ」
喉が乾く。聞きたい。聞きたくない。どちらも本音だ。
エンマちゃんは、あっさり言った。
「知らない」
その一言で、頭の中が真っ白になった。
「……は?」
思わず間抜けな声が出る。
「知らない」
エンマちゃんはもう一度言った。声色も表情も変わらない。ひどく淡々としている。
「お前……神様なんだろ」
「そうだよ」
「だったら調べられないのかよ」
俺の声が少し荒くなる。荒くなるのを止められない。ここまで振り回されて、肝心なことだけ「知らない」で終わるのか。
「神様なんだろ?」
俺は繰り返した。
「朝日を転生させて、魂がどうとか、輪廻がどうとか言えるなら、犯人のことだって分かるだろ。どこにいるかとか、誰なのかとか……調べられるだろ!」
エンマちゃんは黙って俺を見た。子どもの顔なのに、その目だけが古い。古くて、深くて、人間の怒りをそのまま受け止めても揺れない。
少しして、エンマちゃんは言った。
「神様でも、この人間界では神の力は行使できない」
平坦な声だった。
「全部じゃない。できることと、できないことがある。私は輪廻転生を司る。魂の流れには関われる。けど、人間界の事件捜査とか、物理干渉とか、未来の強制変更とか、そういうのはルール違反」
「ルール……」
俺は吐き捨てるように言った。
「そんなの知るかよ」
「知る必要はないよ」
エンマちゃんは少しだけ肩をすくめた。
「でも、できないものはできない。君が思ってる“何でもできる神様”は、たぶん物語の中だけ」
その言い方が、ひどく現実的で、余計に腹が立った。
「じゃあ何のために出てきたんだよ」
俺の声が低くなる。
「期待だけさせて、肝心なことは何もできないって言うのか」
エンマちゃんは一瞬だけ目を細めた。怒ったようにも見えたし、少しだけ悲しそうにも見えた。でも、すぐにいつもの淡さに戻る。
「何もできない、とは言ってない」
「犯人のことは知らないんだろ」
「知らない。少なくとも“直接”は」
直接。言い方が引っかかる。
俺が黙ると、エンマちゃんは続けた。
「私は人間界を“見てる”だけ。全部を見るわけでもない。全部を追うわけでもない。君たちの周りに関わってるのは、朝日を転生させた責任があるから」
責任。その言葉を、エンマちゃんが使うのは少し意外だった。もっと無機質な存在かと思っていた。だが、責任という単語を選ぶなら、少なくとも自分の行いを“他人事”では見ていない。
「……なら、犯人のことは」
「分からない」
また同じ返答。だけど、さっきより少しだけ柔らかい。
「君が悔しいのは分かる。私も、もし分かるなら教える。でも、できないものはできない」
俺は歯を食いしばった。怒りのぶつけ先がない。目の前の存在を殴ることなんてできないし、殴ったところで何も変わらない。変わらないのが分かっているから、余計に苦しい。
「……朝日は」
俺は掠れた声で言った。
「また殺されるかもしれないんだぞ」
その言葉で、エンマちゃんの目がわずかに揺れた。ほんの一瞬だけ。だが、揺れた。
「だから、見てる」
エンマちゃんは短く言った。
「私はずっと見てるからね」
その言い方は、約束みたいでもあり、監視みたいでもあった。安心していいのか分からない。けれど、完全に突き放してはいない。その曖昧さが、逆に現実味を持つ。
「……見てるだけじゃ足りない」
俺が言うと、エンマちゃんは小さく笑った。子どもっぽい笑い方なのに、妙に達観している。
「だから君がいる」
俺は言葉に詰まった。
「君が守るんでしょ」
エンマちゃんは言った。
「朝日が、もう一回生きたいって願って戻った。その先をどうするかは、君たち人間の仕事」
その言葉は重かった。責任を押しつけられているようでいて、同時に、俺の役割をはっきり突きつけられている。
俺は何も答えられないまま、エンマちゃんを見ていた。
エンマちゃんは最後に、ほんの少しだけ首を傾げた。
「それと、アイラのこと」
胸がひやりとした。
「朝日と仲良くなってる。思ったより早い」
「……ああ」
「君、驚いてる顔してた」
見られていた。やっぱり。俺は奥歯を噛んだ。
「だってそうだろ。コピー元だって言われた直後に、あいつらが仲良くなってるの見たら」
「でも、悪くない」
エンマちゃんが言う。
「二人とも、似てるのに違う。違うのに、どこかで重なる。そういうのは、人間が一番混乱するけど、一番惹かれ合う」
その言い方は、少しだけ優しかった。優しいように聞こえるだけかもしれない。でも、今の俺にはそう聞こえた。
俺が返事をする前に、エンマちゃんの体がふっと輪郭を失った。風が抜けたみたいに、そこから消える。
「おい――」
俺が手を伸ばす前に、銀髪は路地の薄暗さに溶けた。残ったのは、夕方の冷えた空気だけ。
俺はしばらくその場で立ち尽くした。
神様でも犯人は分からない。
人間界では神の力を使えない。
でも、見ている。
朝日を守るのは、俺。
言葉だけなら単純だ。実際は、そのどれもが重い。
※ ※ ※
その頃、駅前の小さなカフェで、アリスとアイラは向かい合って座っていた。
アリスの前にはカフェラテ、アイラの前には紅茶。休日じゃない平日の夕方だから、店内はほどよく空いている。隣の席との距離もある。アイラが話すにはちょうどいい空気だった。
「……こんなお店、あんまり入らなくて」
アイラが紅茶のカップを両手で包みながら言う。
「そうなの?」
「……一人だと、緊張して……」
「分かる。最初はね、私もそうだった」
アリスは嘘をつかない。けれど、重たくしない。
「最初?」
「うん。新しい場所って、最初はどこでも怖いよ」
アイラは少しだけ目を丸くする。白金アリスみたいな明るい子でも、怖いことがある。そこが意外なんだろう。
「……白金さんも?」
「うん。けっこう」
アリスが笑う。笑うことで、怖さが“弱さ”じゃなく“普通”になる。
アイラはその笑いに、少しずつ引っ張られていった。
話は思ったより弾んだ。学校のこと。好きな食べ物。秋のものが好きかどうか。アリスはやっぱり栗の話をして、アイラが小さく笑った。
「……白金さん、栗好きすぎる」
「秋の王様だからね」
アリスが真顔で言って、アイラは今度はちゃんと笑った。笑ったあとで恥ずかしそうに俯く。でも、前より逃げない。
「アイラさん」
アリスがふいに言う。
「今まではメッセージアプリだったでしょ? だからLINE、交換しない?」
アイラが固まった。驚いた顔。嬉しいのに、慣れていない顔。
「……いいの?」
「うん。だって、まだ話したい」
アリスがそう言うと、アイラは小さく頷いた。震える指でスマホを出し、画面を操作する。その慎重さが、なんだか可愛かった。
登録が終わると、アリスが嬉しそうに言った。
「よし、友達!」
アイラの耳が赤くなる。
「……ともだち……」
「うん。だめ?」
「……だめ、じゃないです」
その返事が、アリスには十分だった。
帰り際、アリスがスマホを持ち上げた。
「ねえ、写真撮ろう」
「……え」
アイラが目を見開く。けれどアリスはもう並ぶ気満々だ。
「ツーショット。今日仲良くなった記念」
「……記念……」
「うん。嫌?」
嫌、と言えばやめる顔。アリスは押しつけない。そこがアイラに効いた。
「……いや、じゃ……ない、です」
アリスがぱっと笑って、アイラの隣に座り直す。スマホを少し上に持って、顔を寄せる。アイラは固まっていたが、逃げなかった。シャッター音が一回鳴る。
画面には、明るく笑うアリスと、少し緊張したままのアイラが並んでいた。
見れば、やっぱり似ている。
似ているのに、表情の作り方が全然違う。そこが余計に目を引く。アリスは太陽みたいに笑う。アイラは影の中で、少しだけ光る。
「送るね!」
アリスがそのままLINE画面を開いた。
送信先は――隆太郎。
※ ※ ※
俺が路地を出て、ようやくスマホを見たのはその直後だった。
通知が一件。アリスから。
『見て! アイラさんと撮った!』
軽い文面。嬉しさがそのまま乗っている。俺は何の心構えもないまま、画像を開いた。
息が止まった。
アリスとアイラが並んでいる。
同じ画面の中で、二人の輪郭が重なる。髪色も雰囲気も違うのに、骨格が、目元が、頬の線が、首筋が、似ている。しかも、写真という“平面”になると、その一致が現実より強く出る。
そこに、エンマちゃんの言葉が重なった。
コピー元は天音アイラ。
俺はその場で立ち尽くした。
商店街のざわめきが遠くなる。視界の中心に、スマホの画面だけが残る。指先が少し震える。怖い。気持ち悪い。なのに、目を逸らせない。
エンマちゃんが言ったことが、本当だと認めざるを得ない証拠みたいに、その写真はそこにあった。
アリスは今、ただ嬉しくて送っただけだ。
その無邪気さが、余計に胸を締めつける。
俺はすぐには返信できなかった。
写真の中の二人が、笑っている。
その笑顔を壊したくない。
だけど、その笑顔の裏側にある真実を、俺だけが知ってしまっている。
喉の奥がひどく乾いて、俺はようやくスマホを握り直した。
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