犯人とは
その夜、自宅の天井を見上げても、眠りは落ちてこなかった。
目を閉じれば、路地の冷たい空気が蘇る。銀髪の少女の声が、鼓膜の奥で反響する。
――私が、太刀川朝日を白金アリスに転生させた。
――コピー元は、天音アイラ。
言葉の意味が重すぎて、頭が拒否しているのに、胸の奥だけが妙に納得しかけているのが怖い。そうなるだけの“材料”を、あの子――エンマちゃんは持っていた。俺とアリスしか知らない思い出を、いとも簡単に言葉にした。あれを聞かされてしまった以上、もう「ただの嘘だ」と突っぱねるのは難しい。
それでも俺は、現実の手順を守る。
まず寝る。寝ないと判断を誤る。判断を誤れば、アリスを傷つける。
布団の中で深呼吸を繰り返し、ようやく浅い眠りに落ちた。
※ ※ ※
翌日。
学校へ向かう道は、いつもより少し長く感じた。空が高い。風が乾いている。秋の入口の匂いがする。季節は前へ進んでいるのに、俺の中の時間だけが昨日の路地で止まったままだ。
太刀川家の前でアリスと合流すると、アリスは珍しく上機嫌だった。昨日のことが効いている。天音アイラと話して、少し仲良くなった。あの「嬉しい」が顔に出ている。
「隆太郎、おはよ」
「おう」
「昨日ね、アイラさん、最後ちょっと笑ったの。すっごく小さく」
アリスは嬉しそうに言う。俺は「よかったな」と返すことしかできない。胸の奥がざわつくのに、それを顔に出したら一瞬でバレる。
アリスは鋭い。俺の変化に敏感だ。だからこそ、今日の俺は余計なことを言わない。言うべきことがあるのは分かっている。でも順番を間違えたら壊れる。
学校に着くと、文化祭後の抜け殻みたいな空気が少し残っていた。けれど同時に、次のイベントに向かう雰囲気も出始めている。先生が「提出物な」と言い、クラスメイトが「だる」と言いながらも動く。日常は容赦ない。
昼休み、アリスが俺の席に寄ってきて小声で言った。
「ねえ、今日、放課後ちょっとだけいい?」
俺の心臓が跳ねる。嫌な予感じゃない。アリスの「続き」が来る予感だ。
「何だ」
「アイラさんと、もう一回話したい。連絡先交換したいって言われた」
その言葉に、胸の奥がひやりとした。連絡先。距離が近づく。近づくのは良い。良いはずなのに、俺の中では“別の意味”が勝手に警戒を鳴らす。
――コピー元。
それを知ってしまった今、アリスとアイラの接触は、ただの友達作りでは済まなくなる可能性がある。アリスがそれを知ったら、どうなる。アイラがそれを知ったら、どうなる。
でも、それは“今”じゃない。
今のアリスは、ただ友達ができそうで嬉しいだけだ。その嬉しさを、俺が奪う理由はない。
「いいんじゃないか」
俺はなるべく自然に言った。
「ほんと? やった」
アリスが嬉しそうに笑う。その笑顔を見て、俺は心の中で決めた。
――今日、エンマちゃんにもう一度会う。
昨日の続き。転生の詳しい話。コピー元の意味。俺が聞くべきことを聞く。聞けるだけ聞いた上で、アリスに何を伝えるかを決める。
※ ※ ※
放課後、アリスは「ちょっとだけね」と言って一人で商店街の方へ向かった。俺は「気をつけろ」とだけ言って見送った。
本当なら一緒に行くべきだ。危険を避けるならそうだ。けれど、アリスが自分で歩こうとしている。自分で友達を作ろうとしている。その一歩を、俺の警戒で潰したくなかった。
だから俺は、別の一歩を踏み出す。
エンマちゃんを探す。
昨日の路地へ向かう。昼間の路地は、夜より少しだけ現実味がある。猫が通り、洗濯物が揺れ、近所の家のテレビの音が漏れる。それでも、あの子が現れた瞬間に空気が歪むのを俺は知っている。
路地の入口に立って、俺は小さく呼んだ。
「……エンマちゃん」
返事は、すぐ後ろから落ちた。
「呼び方、ちゃん付けになってる」
振り返ると、銀髪の少女が塀の上に座っていた。昨日と同じ位置。昨日と同じように足をぶらぶらさせている。危ないはずなのに、落ちる気配がない。
「来た」
エンマちゃんが言う。
「続き、聞きたい顔」
「……聞かせろ」
俺が言うと、エンマちゃんは軽く頷いた。
「じゃあ二話目。転生の手順の話」
二話目、という言い方が妙に腹立つ。俺の人生は連載じゃない。そう言い返したいのに、言い返す余裕がない。俺はただ、喉の奥が乾くのを感じながら立っていた。
エンマちゃんは、淡々と語り始めた。
「輪廻転生ってね、基本は流れ作業。魂は次に行く。記憶は薄れる。家が変わる。名前が変わる。人格が変わる。……人間が想像する“生まれ変わり”は大体そのイメージで合ってる」
俺は息を飲んだ。朝日が本来行くはずだった場所。俺と無関係の人生。想像するだけで胸が痛む。
「でも太刀川朝日は、そこに乗らなかった」
エンマちゃんが言い切る。
「死後、無自覚な未練が強かった。本人は『未練がある』って自覚してない。でも魂って、言葉より先に引っ張られる。切れない糸があると、次へ行けない」
俺は拳を握った。未練。糸。朝日が弱かったわけじゃない。大事なものがあっただけだ。俺はそう思いたかった。
エンマちゃんは俺の表情を見て、小さく肩をすくめる。
「怒る顔してるけど、悪口じゃないよ。未練が強いのは、しつこいって意味じゃない。……執着じゃなくて、愛着」
その言葉で、胸の奥が少しだけ緩んだ。愛着。朝日がこの世界に残したかったもの。それがあったからこそ、今がある。
「私はね、そういう魂を見ると、たまに興味が湧く」
エンマちゃんが言う。
「この子、何にそんなに引っ張られてるんだろ、って」
淡い声。子どもの声。なのに語っている内容は、人間の枠から外れている。
「私は朝日の人生を見た」
エンマちゃんが続ける。
「君といた時間も、家族との時間も、あの子が笑ってた場所も、泣いてた場所も、全部。……それで思った。面白い、って」
面白い。その言い方は腹立つ。けれど、そこがエンマちゃんの価値観なんだろう。
「そして朝日に言った。『もう一度チャンスをあげようか』って」
俺の喉が鳴った。アリスが時々、ふいに遠い目をする瞬間がある。何かを思い出しそうになる瞬間がある。あれは、その言葉の名残かもしれない。
「朝日は、選んだ」
エンマちゃんは短く言った。
「選んだ?」
「うん。『行きたい』って」
たった二文字で、胸が熱くなる。朝日が選んだ。俺のところへ戻ることを。家族のところへ戻ることを。生活へ戻ることを。もしそれが本当なら、俺はその選択を絶対に無駄にしたくない。
エンマちゃんは指を立てる。
「でも、魂だけ戻しても意味ない。体が必要」
そこで、あの話に繋がる。
「本来、朝日は別の赤ちゃんになる予定だった。でも私は、今の時間軸で“高校生としての彼女”を成立させたかった。君と同じ時間でね」
時間軸。高校生として成立。言葉が冷たいのに、意図は残酷なほど優しい。朝日が戻るのに、俺と同じ時間で戻す。そうしないと、朝日は“俺に会えない”。
エンマちゃんは淡々と結論を落とした。
「だから私は、器を作った。……白金アリス」
俺は唾を飲んだ。
「白金アリスは、太刀川朝日の魂を入れた転生体。だけど転生体には“ベース”が必要だった。無から人間の体を作るのは、こっちの世界では制約が多い」
「制約……」
「うん。人間界で神の力を好き放題に使えない。だから、既に存在する“情報”を使うのが早い」
そして、その言葉が刺さる。
「ベースとして起用したのが、天音アイラ」
俺は目を閉じたくなった。閉じたら、現実味が増すから閉じられない。だから目を開いたまま、受け止める。
「どうしてアイラなんだ」
俺が絞り出すと、エンマちゃんは首を傾げた。
「条件が合ったから」
「条件?」
「年齢、体格、遺伝情報の安定、生活圏、偶然性、波長」
波長、という言葉だけがやけに曖昧で、逆に怖い。
「……それって、アイラ本人は」
俺が言いかけると、エンマちゃんはあっさり言った。
「知らない。もちろん」
もちろん、と言うな。人の人生を材料にしておいて、もちろんで済ませるな。怒りが湧きかけたのに、次の言葉で止まった。
「でも、害は与えてない」
エンマちゃんが言う。
「アイラはアイラとして生きてる。白金アリスは白金アリスとして生きてる。情報の“参照”をしただけ。君が思ってるみたいに、アイラの人生を奪ったわけじゃない」
参照。コピー。言葉が相変わらず冷たい。けれど、“奪っていない”という一点は重要だった。もし奪っているなら、アリスの存在そのものが罪になってしまう。
俺は歯を食いしばって問う。
「……その話、信じろって言うのか」
エンマちゃんは少しだけ目を細めた。
「信じないでいい。……信じたくなる材料を追加する」
そして、昨日よりさらに細い話を語った。
朝日が好きだった駄菓子の名前。小学生の時、俺が転んだ場所。朝日が泣きそうなのを隠して笑った時の癖。俺が朝日に渡せなかった言葉。俺が胸の奥にしまい続けた、どうでもいい恥ずかしい思い出。
全部、俺と朝日しか知らない。
全部、今のアリスにしか繋がらない。
俺の背中に冷たい汗が浮いた。
怖い。恐ろしい。なのに、否定できない。
「……分かった」
俺は、ようやく言った。声が掠れている。
「信じる。……信じざるを得ない」
エンマちゃんは満足そうでもなく、ただ軽く頷いた。
「うん。君はそういう人。逃げない」
逃げない、と言われるのは、褒められているのか試されているのか分からない。どちらでも、今の俺には重い。
俺は、聞かなければならないことを口にした。
「……じゃあ、朝日を殺した犯人のことは」
エンマちゃんの目が、ほんの少しだけ動いた。
「また、それを聞くんだ」
「当たり前だろ」
「神様なんだろ? って顔」
昨日と同じ言葉。俺は腹が立った。腹が立つのに、目の前の存在が神だとしたら、その腹立ち自体が滑稽だ。
「……教えろ」
俺が言うと、エンマちゃんは一拍置いた。
そして、淡々と言った。
「その質問は、答えない」
俺の胸の奥が、ぐっと冷える。
「ふざけるな」
声が低くなる。怒りが混ざる。エンマちゃんは怖がらない。怖がるわけがない。
「今は、君が崩れる」
エンマちゃんが言う。
「情報が重なると、君は守り方を間違える。守り方を間違えたら、君がいちばん後悔する」
後悔。俺はそれを知っている。振り返らなかった後悔。守れなかった後悔。あの夜の後悔。
エンマちゃんは、俺の弱点を正確に押さえている。
「……じゃあ、いつだ」
俺が絞り出すと、エンマちゃんは子どもみたいに指を一本立てた。
「明日」
明日。
「明日、君に“神様でもできないこと”も含めて話す」
胸がざわつく。神様でもできないこと。つまり、犯人を教えられない可能性もある。そんな不安が一瞬で膨らむ。
エンマちゃんは最後に、軽く言った。
「あと、君は今日、見ておいた方がいい」
「何を」
エンマちゃんが路地の出口を顎で示す。
「白金アリスと天音アイラが、仲良くなっていくところ」
俺は喉が詰まった。
仲良くなる。良いことだ。良いはずだ。なのに、その良さが別の意味を帯びるのが怖い。
エンマちゃんは、風みたいに消えた。昨日と同じ。存在だけがすっと消える。現実の継ぎ目が一瞬、空白になる。
俺は路地を出て、商店街に戻った。
アリスとアイラは、確かに距離が縮まっていた。アリスがスマホを見せ、アイラが小さく笑って、アリスが嬉しそうに頷く。アイラはまだ俯きがちなのに、逃げない。アリスがそれを尊重している。
アリスは良い意味で容赦がない。人を明るさで引っ張る。でも、押し込まずに引く。そういう明るさだ。
しばらくして、アリスがアイラと別れてこちらへ走ってきた。
「隆太郎!」
弾む声。無邪気な顔。
「アイラさんね、連絡先交換した! それでね、今度一緒に――」
アリスの言葉が止まる。俺の顔色で、何かを察したのかもしれない。
「……どうしたの?」
アリスの声が小さくなる。心配の色。
俺は、笑おうとした。できなかった。だから、できる限り穏やかに言った。
「大丈夫。……ちょっと疲れただけ」
嘘だ。完全な嘘じゃない。疲れているのは本当だ。でも、理由を隠している。隠す棘がまた胸に刺さる。
アリスは少しだけ眉を寄せた。それでも、無理に踏み込まなかった。最近のアリスは、相手の間合いを測れるようになっている。
「……じゃあ、帰ろ」
「うん」
二人で歩き出す。太刀川家の前までの道。秋の風が頬を撫でる。アリスは楽しそうに文化祭の後日談を話してくれる。俺は相槌を打ち、笑えるところは笑う。でも、胸の奥では別の言葉が回り続ける。
明日。
エンマちゃんは明日、犯人の話をすると言った。
そして、コピー元の真実を、俺はもう信じてしまった。
この真実を、アリスにいつ伝えるべきか。
アイラに関わるべきかどうか。
そして何より――アリスを守るために、俺は何を選ぶべきか。
答えはまだ出ない。
でも、逃げない。
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