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文化祭の準備の裏で

 文化祭準備が始まると、学校の空気が少しだけ軽くなる。


 授業中は相変わらず眠いし、先生の話は長い。けれど休み時間になると、誰かが黒板の隅のメモを見て「次、買い出しだっけ?」と言い、別の誰かが「装飾どうする?」と騒ぎ出す。予定が教室に入り込むと、人は前を見る。前を見る空気は、今の俺とアリスにとって救いだった。


 放課後、メニュー班の集まりがあった。


 机を寄せてプリントを広げ、予算と衛生ルールを読み込む。楽しい部分より面倒な部分が先に来るのが学校行事の性格だ。周りが「めんど」とぼやく中、アリスはやけにやる気で、ペンを回しながら言った。


「大丈夫。全部やればいい」


「全部やればいいって言うの、簡単だな」


「簡単だから言うんだよ。難しくしたら誰も動かない」


 勢いだけじゃなく、ちゃんと現実を見てるから強い。アリスのこういうところは、班の雰囲気を前へ運ぶ。


 今日は買い出しの下見をすることになった。紙の上で決めるより、店に行って現物を見た方が早い。担任が「何人かで行け」と言い、班から二人ずつ出して四人で行く流れになった。


 俺とアリスは同じ組。もう一組はクラスメイトの男女。


 校門前で集合し、商店街のスーパーへ向かう。歩きながら会話は文化祭の話ばかりだ。「セルフカフェだから券にしよう」「紙コップはこっちの方が安い」「栗味は絶対入れたい」――アリスの栗推しも健在で、周りが笑いながらツッコむ。


「秋カフェなんだから栗は正当だろ」


 俺が真面目に言ったら、クラスメイトが「宮本まで栗側なのかよ」と笑った。アリスが横でニヤッとする。腹立つ。


 スーパーで商品を見て回る。紅茶、砂糖、ミルク、紙コップ、手袋、ゴミ袋。許可の都合で「作る」より「既製品を揃える」方に寄るのが現実的だと分かった。アリスは最初だけ少し不満そうだったが、すぐに切り替えた。


「じゃあ、既製品の中で一番“秋”を探せばいいんだよね」


「秋の定義が広い」


「広いから勝てる」


 勝負じゃない。でも、勢いで押し切るのがアリスだ。


 下見のメモをまとめて商店街の角で解散した。クラスメイト二人は反対方向へ。俺とアリスは並んで歩く。


「買い出し、意外と楽しいね」


 アリスが言う。


「楽しいというより、生活してる感じがする」


「重い。でも、嫌じゃない」


 アリスがそう言って笑った。俺はその笑いに救われる。


 太刀川家の前で別れる時、アリスが小さく言った。


「今日、ありがとう。栗も援護してくれて」


「栗は正義だからな」


「ふふ。佐野さんみたい」


「それは嫌」


 俺が即答すると、アリスは笑いながら家に入っていった。


 ※ ※ ※


 夜、自宅で夕飯を食べているとスマホが震えた。天音アイラからだった。


『この前はありがとうございました。……明日、少しだけお願いがあります』


 短い文。丁寧で、遠慮がにじんでいる。俺はすぐ返すのではなく、一度呼吸を整えた。


 助ける、はする。けど、関わり方は整える。余計な誤解を作らない。アリスの不安を増やさない。自分の軸をずらさない。


 それを前提に、簡潔に返した。


『内容によるけど、短くなら大丈夫。どこで?』


 少し遅れて既読がつき、返事が返ってくる。文章を作るのに時間がかかっているのが分かる。


『撮影が近いです。

 人が多い場所が怖いけど、行かないといけなくて。

 駅から撮影場所までの道だけ、途中まで一緒に歩いてほしいです。

 駅は御代志駅です』


 駅名が出たことで、状況が自然になる。アイラはおそらく別の町の学校だ。だから、学校で待ち合わせするのではなく、移動の結節点で合流するのが現実的だ。


 俺は条件を固める。


『分かった。

 明日放課後、俺は御代志駅の改札前に18:00。

 人の多い場所で合流して、5〜10分だけ歩く。

 もし変な人に絡まれた時はすぐ駅員か大人に頼る。それでいい?』


『はい……ありがとうございます……』


 すぐに返ってきた。たぶん、ほっとしている。


 次に必要なのは、アリスへの共有だ。隠すのは違う。だから必要な分だけ伝える。


『明日放課後、友達に頼まれて駅から商店街まで少しだけ付き添う。御代志駅で合流する。終わったらすぐ連絡するから』


 送ると、少し間が空いて返事が来た。


『わかった。気をつけてね。終わったらすぐ言って。

 ……ちゃんと帰ってきてね』


 最後の一文が胸に刺さる。行動じゃなく、存在に対するお願い。俺は短く返した。


『うん』


 ※ ※ ※


 翌日、放課後。


 文化祭準備で教室が浮つく中、俺は時間を確認して鞄を持った。アリスは装飾班で残ると言っていた。俺は「終わったら連絡して」とだけ伝え、先に校門を出た。


 電車ではない。俺の学校は徒歩圏だが、目的の駅までは歩いて行ける。少し距離はあるけれど、夕方の散歩だと思えば悪くない。人通りのある道を選び、視界の開けたルートで進む。


 御代志駅の改札前は、帰宅時間帯で人が多かった。学生、会社員、買い物帰りの人。混ざった視線がある場所は、逆に安全だ。俺は柱の横、邪魔にならない位置で待った。


 十八時ちょうど。


 アイラは改札の向こうから出てきた。


 制服ではなく私服。地味なジャケット、控えめな色のスカート。髪は下ろしたまま。周囲を警戒するように視線を泳がせ、それでも人の波に押されてここまで来た感じがした。俺を見つけた瞬間、肩が小さく跳ねる。けれど、逃げない。小さく会釈して近づいてくる。


「……宮本、さん……」


「こんばんは」


 俺はいつも通りの声色で言った。


「短く行く。無理なら戻るし。もし嫌になったら言ってくれ」


 アイラは小さく頷く。


「……はい……」


 俺たちは駅を出た。撮影場所は駅から少し歩いたところらしい。大通り沿いなら人は多い。人が多い場所が怖いと言っていたけど、人がいなさすぎる場所も危ない。だから“多すぎない大通り”を選ぶのが現実的だ。


 アイラは俺の半歩後ろを歩く。並ぶと緊張するのだろう。距離はそのままにして、俺も歩く速度を落とした。


「……すみません……」


 アイラが小さく言う。


「謝らなくていいよ」


 俺は即答した。


「怖いのは普通だ。怖いって言える方がマシ」


 アイラが少しだけ息を吐く。呼吸が深くなる。ほんの小さな変化。


「……撮影、嫌なんですか」


 俺が聞くと、アイラは少しだけ首を振った。


「嫌……というか……人が、怖い……」


「じゃあ、今日は“行けた”だけで勝ちだな」


 俺が言うと、アイラが一瞬だけ目を上げた。驚き。次に視線を落とす。でも、口元がほんの少し緩んだ。


「……勝ち……」


 言葉が小さく繰り返される。


 大通りの角まで来たところで、撮影スタッフらしき大人が見えた。機材を運び、手を振っている。アイラがその姿を見て、足が止まりかけた。怖いのに、行かなきゃいけない場所が目の前にある。


 俺は言った。


「ここまで。行けるか」


 アイラは小さく頷いた。頷くまでに一拍かかった。けれど、頷いた。


「……はい……行きます……」


「終わったら、駅員のいるところ通って帰れ。暗い道は避けた方がいい」


「……はい……」


 アイラは数歩進んで、そこで振り返った。口が動く。


「……ありがとう、ございます……」


 礼を言うのに、いつも全力だ。


「気にしないでくれ。それじゃ」


 俺がそう言うと、アイラは小さく頭を下げて、大人たちの方へ向かった。背中はまだ硬い。でも、昨日までの“逃げる背中”ではない。行くべき場所へ向かう背中だ。


 俺はすぐスマホを取り出し、アリスに送った。


『終わった。駅から少し歩いただけだから、今から帰る』


 送信して、息を吐く。


 役割は終わった。ここから先は、アリスのところへ戻る。


 帰り道、夕方の風が少し冷たかった。文化祭の話で浮かれていた空気と、駅前での緊張が混ざって、胸の中が妙に落ち着かない。けれど、やるべきことは守った。短く、条件を整えて、終えた。


 太刀川家の前に着くと、ちょうどアリスが外に出てきたところだった。装飾の材料を抱えていて、疲れた顔。でも俺を見た瞬間、表情がほどけた。


「隆太郎」


「おう」


 アリスは俺の顔をじっと見てから、小さく息を吐いた。


「……帰ってきた」


「当たり前だろ」


「当たり前ってのが大事」


 アリスが小さく笑う。俺はその笑いに救われる。


 今日は文化祭準備が進んだ。

 アリスは笑っていた。

 俺は約束を守って帰ってきた。


 それだけで、今日という一日は十分だった。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。

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